第21話

 博徒四人と旅装の男女が並んで歩いている。

 菅笠すげがさをかぶった山岡鉄太郎と、お満は手ぬぐいを頭巾にしている。

 朝早くに藤沢宿を出て行こうとするそんな鉄太郎一行を見つめる目があった。

「ふぉふぉふぉ。蓮月、おまえほどの女が山岡鉄太郎を討ち漏らしたか」

 子供の声。だが老成した言葉使いだ。

「油断するでないぞ。あの男、思っていたよりかなり使う」

「おまえがそこまで言うとはめずらしいではないか。だが慎重を期すに越したことはないのう」

 鉄太郎一行が行く通りが見える茶屋。その店先の縁台に蓮月は座っていた。

 縁台のそばでは五、六歳ほどの山吹色の着物のおなごのわらべがしゃがんで風車で遊んでいる。

「しかし益満休之助――今はお満というのか。山岡鉄太郎たちとかなり打ち解けているようじゃな。薩摩隠密の女。あ奴らに加勢するようなことがあれば約定違反ではあるが」

「おまえが言うか、凶念」

 凶念――。

 鬼童衆の牙刀院狂念がとういんきょうねんは、中村半次郎なかむらはんじろうに斬られたはずではないか。

 そのために童子衆の五人目として中村半次郎が加わっている。

 だが、あの時の虚無僧姿で彫の深い顔で精悍な雰囲気を漂わせていた男は、今ここには見当たらない。

「ふぉふぉふぉ……。わしは、これは単なる薩摩と旧幕府の闘争ではないと見ている。約定などは表向きのもの。裏に何か隠された秘密があるのではないか」

 蓮月は黙って地面を見つめた。

「蓮月。何か知っているのか」

「いや、知らぬ。我らが知ることではなかろう」

「――八瀬姫さまが見ておられるぞ」

「どういうことだ」

「姫はいつも我らの近くにおわすはずだ」

「心のありようの話か……」

「この闘争、どのような手を使っても勝たねばならぬぞ」

「それはもとより。山岡鉄太郎たちが箱根の関所に行くまでに、剛斎と紅之丞が迎え討つ手はずになっている」

「あの二人で大丈夫か。金嶽剛斎かなだけごうさいは良いとして、とくに紅之丞――」

月ノ輪紅之丞つきのわこうのじょうが隠れた力を発揮すれば敵う者はいない」

「神頼み、運頼みか……」

「そのために二人で行かせた。凶念、おまえはどうする」

「あの市とかいう座頭の女もただ者ではない。おまえの天敵となるかもしれぬぞ」

「目が見えぬと言っていたな……」

「うむ。おれは新しい体を見つける。できるだけ腕の立つ者を見つけるわい。すでに目星はついておる。ふぉふぉふぉ」

「頼んだぞ」

 しばらくすると、風車で遊んでいた童が駆け去って行った。

 連月は振り返った。

 童と入れ替わるように、「だんぶくろ」と称するズボンの白い洋装に身を包んだ中村半次郎が現れた。

「中村さま。こちらにおいででしたか」

「山岡鉄太郎との勝負は見事であった」

「見ていたのですね」

「ああ」

「山岡鉄太郎は強きかたです。戦いは互角。久しぶりに肝を冷やしました」

「そうか。おぬしはまだ何か隠しちょっと見たが」

 蓮月は軽く笑みを浮かべた。

「山岡は何かゆちょったか」

「また会おう、と」

 半次郎は声をあげて笑った。

「敵にまた会いたいとは、なんちゅう男じゃ」

「山岡さまは不思議なお方ですね」

「うむ。あいつは強き者をひきつけっ男じゃ。そして勝負をしてみたくなる男じゃ。そなたが倒すか、おいが倒すか。考えるだけで胸が躍っじゃらせんか」

 朝の藤沢宿にいつものにぎやかさが蘇りつつあった。


 東海道の道中。

 石松は一人離れて街道沿いに咲いている花を摘んでいた。

 花を渡した時にお満が笑ってくれるのが嬉しい。石松はその一心であった。

 近くで鳴き声がする。おなごの童の声だ。

 膝ほどまである草を踏みしめて、声の方まで行く。

 なにせ身の丈七尺(二・一メートル)ちかくある石松だ。膝ほどの高さと言っても小さな童の背丈はある。

 やはり、草のない空地で山吹色の着物のおなごの童が泣いていた。

「お、お、お」

 石松はうまく言葉が出ない。なんで泣いているのだろう。

 童が石松を見た。

「ど、ど、どう……」

「銭が……」

 童が指を指したのはお地蔵様。高さ三尺(九〇センチメートル)ほど。

「お地蔵様の下に銭が入ってしまったの」

 たしかに手が入る隙間もない。大切な銭をなくして泣いていたのだ。

「お、おれ」

 石松はお地蔵様に近づいて、軽々と持ち上げた。

「あ!」

 童はしゃがんで銭を拾った。

「ありがとう! 大きなおじちゃん」

「えへへ」

 石松はお地蔵様を持ったまま、はにかんだ笑みを浮かべた。

「ありがとう。じゃあね」

 童は駆け去って行く。

 石松はしばらくその姿を見送った。

「おーい。石松」

 五寸釘の声だ。

 お地蔵様をもとの場所に置いて、一行のもとへ戻った。

「何してるんだ。一人で動くと危ねえだろ」

「お、お、お」

 石松は言い訳をしたかったが、うまく説明もできないし、面倒なので止めた。

 後ろを振り向いた。

 遠く離れたところに山吹色の着物の童が立って、こちらを見ていた。

「う、う、う」

「どうかしたか石松」

 正雪が振り向く。

 石松が正雪の方を見てから、目を後方に戻した。

 童の姿は消えていた。

「や、や、や」

 不思議な気がしたが、面倒なので考えるのは止めた。

「どうかしましたか石松さん」

 お満が声をかける。

「せ、せ、せ」

 思い出したように石松は懐に入れていた花束をお満に差し出した。

 花束を手にすると、微かな春の香りがお満の鼻をくすぐった。

 お満は心がはるか遠くに飛んで行ったような気持ちになる。

 何人かの大人に囲まれて、幼いお満は手を引かれて細い小路を行く。

 川を越えて野を越えて。たくさんの春の花が咲いている。辿り着いたところは。

 たくさんの異形の影がお満の前にひれ伏す……。

「せ、せ、せ」

 石松の声にお満は我に返った。

 ――わたしはいったい……。

 誰もお満の動揺には気づいていないようだ。

「まあ、きれいなお花。石松さんありがとう」

 石松はくしゃくしゃになった童子のような顔を真っ赤にしてうつむいた。

「よかったな石松。お満は喜んでおるぞ」

 鉄太郎は石松の背を叩いた。

 お満も頬を赤らめて笑っていた。


 山岡鉄太郎一行が立ち去った街道に山吹色の着物の童が立っている。

彼奴きゃつらをうまく手懐てなづけておるようじゃのう。ふぉふぉふぉ」

 それはたしかに牙刀院狂念の声であった。

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