第13話

 柱の残骸にもたれかかって倒れる黒厨子闇丸くろずしやみまるを見下ろすかたちで鉄太郎は立っていた。

 乱れた呼吸をととのえる。それだけの死闘であった。

「朝敵、山岡鉄太郎。徳川慶喜の名代だけのことはあるようだな」

 口から血の泡をこぼしながら、嘲笑まじりに闇丸が言った。

「朝敵とな。薩摩の手先で動いているおまえたちに呼ばれるいわれはない」

「なにを言う。われらは代々天子さまにお仕えしてきたのだぞ。そのわれらを敵とする者は、すなわち朝敵ということよ」

「どうだかな。岩倉卿のような貧乏公家に使われているのがまことのところではないか」

 闇丸は自嘲めいた笑いをこぼした。

「先ほどおぬしが言っていた稲垣定之助という剣士だが」

「稲垣先生がどうかしたか」

「死の間際に言っていたのはおぬしのことだったのだな」

「どういうことだ」

「日なたのような剣士がいると。あれはおぬしのことであったのだな」

 鉄太郎は稲垣定之助と研鑽けんさんを積んだ道場での日々を思い起こした。

「所詮影は日の光には勝てぬ。稲垣定之助が言った通りであったな」

「稲垣先生はそこまで見抜いておられたか。さすが」

「いいさ。多くの先代と仲間たちが一生この鬼の力をふるうことなく死んでいった。それらの屍の上にいまの八瀬童子衆、ことに鬼童衆がいる。おれは存分にその力を使うことができた」

 鉄太郎はなにも言わずに闇丸のかすれた声を聞いた。

「後悔はしていない……。それに八瀬姫さまがもうすぐ我らを日の当たる世界に導いてくださる」

「八瀬姫とな」

 闇丸の瞳の光は消えていった。

 鉄太郎は己の胸に、名付けようのない想いが去来するのを覚えた。

「旧幕府方の勝ち。これで五対四」

 いつの間にかお満があらわれ、立会人として勝負の結果を宣言した。

「あの鬼童衆を倒すとは、お見事でございます、山岡さま」

「ああ」

 鉄太郎はあいまいな返事をした。

「お満。八瀬姫とは何者だ」

「え――」

 お満がわずかに驚いたような声を上げる。

「いえ、知りません」

「そうか。であればいいのだ」

 鉄太郎は、お満が心がここにあらずの顔になっていたような気がした。

「先生」

 正雪たちが駆けつけてきた。

「やりましたなあ」

「正雪、おぬしの策は見事であったぞ」

「なんのなんの」

 正雪は首からぶら下げている竹筒を撫でると、亜門が首だけのぞかせる。

「それに五寸釘と市。おぬしたちの技もたいしたものだ。これからも頼りにしているぞ」

 次郎長の子分たちはたしかに心強い。鉄太郎の顔にはいつもの明るさが戻っていた。

 砂埃にまみれて白い顔になった石松がのっそりと立ち上がった。

「石松も手柄であったな」

「うへへ」

 巨体に似合わぬ子供のような笑みであった。

「まだこの勝負はじまったばかり。八瀬鬼童衆、うわさにたがわぬ恐るべき者たちだ。おぬしら誰一人として死んではならぬぞ。失うのはこの鉄太郎の命ひとつで十分」

 正雪たちは黙って聞いていた。

「先を急ぎましょう」

 気を取り直したように、正雪が張り切った声をあげる。

「今日はこの先の戸塚宿とつかじゅくまで進んでから休みましょう」

 次郎長の子分たちとお満はふたたび東海道を歩みはじめた。

 鉄太郎は殿しんがりをついて行く。菅笠をあげて黒厨子闇丸を倒したあばら家を振り返る。

 春の風が巻き上げた砂埃に目を細めた。

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