第12話

 赤い血の糸をひいて腕が飛んだ。

 闇丸の左肘から下が斬り飛ばされた。闇丸は二間(三・六メートル)ほど横に飛びすさった。

 背後には市が仕込み杖を抜刀して立っていた。市が闇丸の腕を斬ったのだ。

「女! なぜ動ける」

 闇丸は絶叫のような声をあげた。

 市はなにも応えない。

 鉄太朗も身体の痺れがとれ、自由に動けるようになりつつあるのを感じた。己の影を見る。

 ――影を縫いとめていたマキビシがなくなっている。

「やれやれ。ここはあっしの出番ですかねえ」

 五寸釘がいつの間にか木から降りている。右手を振ってなにかをはなった。釘  ――五寸釘だ。釘は正雪の影に飛び、闇丸のマキビシを弾き飛ばした。

 正雪もつんのめるように動きだした。

 ――市とおれの影のマキビシも五寸釘が弾いてくれたのか。

「さあどうする」

 五寸釘は指の間から三本の釘が生えた両拳を構える。

「ちっ」

 闇丸はふたたびマキビシを放つが、五寸釘の放った釘に空中でことどとく弾かれる。

「次はおめえさんの脳天に叩き込むぜ」

 五寸釘が釘を投てきしようと構えた。

「このままでは終わらぬぞ。みな殺しだ」

 五寸釘が釘を放つと、闇丸は池に跳びこむように木の影に潜った。

「また隠れやがった。だがこんど出て来たらあっしの釘が逃がさねえ」

「よくやったあ、五寸釘」

 正雪が手を叩かんばかりに喜んでいる。

 またしばらく時が流れた。辺りには春風が木の葉を揺らす音しか聞こえない。

「……逃げたか」

 正雪が恐る恐るあたりに目をやる。

「いや、いまここで奴を倒さないとまずい」

「え……、あっ!」

「分かったか。奴は影から影へ自由に動くことができる。日が落ちたら奴がどこから現れるか見当がつかぬ」

 鉄太郎は眉間にしわを寄せる。五寸釘と市も焦りの色が隠せない。

 しかし鉄太郎は喜びに似た気持ちがあふれて来るのを感じていた。このような命を賭けたやりとりを望んでいた己がいる。

 鉄太郎がこの旅に出たのは今のような刹那せつなのためであった。

「ところで正雪。軍師としてなにか策はないか」

 鉄太郎の声音はいつものように落ち着いたものに戻っている。

「よくぞ聞いてくださいました!」

 正雪は首から下げた竹筒を握って何やら呟いて、いろいろな方向を確認しはじめた。

「コーン!」

 竹筒から狐の鳴き声が聞こえた。亜門が鳴いたのか。

「ふむ。分かりましたぞ。あそこです」

 正雪が指をさしたのは、黄色い砂塵の向こうに見える、さきほど正雪たちが休んでいたと言ったあばら家だ。障子や壁も朽ちている箇所があり、屋内も少し見えていた。

「家の中は真っ暗じゃねえか。中に入ったら野郎の思う壺だぜ」

 五寸釘が呆れた声をあげる。

「――面白いっ」

 鉄太郎はあばら家に向かって駆け出した。

「正気かい! あの先生」

「石松、お前も行けっ」

「ふ、ふ、ふ」

 正雪の指示で石松がどたどたと走り始める。

 鉄太郎は一心不乱に駆けた。

 ――さあ来い黒厨子闇丸。決着をつけよう。

 鉄太郎は真っ暗な家屋に踏み込んだ。

 土間から床に駆け上がりながら抜刀。

 気合い一閃。

 部屋の中心の大黒柱を斜めに一刀両断した。

 家の屋根がぐらぐらと揺れたが、しばらくすると収まった。

 鉄太郎は上目遣いで天井を見上げる。

「……そううまくは行かぬか」

 轟音とともに家の壁を突き破って石松の巨体が転がり込んできた。

 その衝撃も加わり、今度は屋根と壁が倒壊した。

 埃と砂煙が舞い上がる家の中に白昼の陽が差し込んだ。

「石松。よくやった」

 部屋の中に闇丸の姿が浮かび上がった。その表情は驚愕にいろどらられている。

 忍法影渡り――隠れていた影が消えたら姿を現してしまうのではなかろうか。鉄太郎はそれを予想していた。

 果たせるかな、その予想は当たった。

「化物退治第一番!」

 鉄太郎は袈裟懸けに黒厨子闇丸を斬った。

 血飛沫を上げながら仰向けにどうと倒れる。

「まずは一人目」

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