第3話
質素ながらもきれいに整えられた庭園を見渡せる公家屋敷の部屋に二人の男がいた。
一人は
今や薩長と手を組み、権謀術数を駆使して
もう一人は、四角い顔にぎょろりとした大きな黒目が印象的な、紋付羽織袴姿の太い男。
薩摩藩士、
下級武士の出身であったが、前藩主である
「どないであった西郷。錦の御旗の
「それはもう。幕府軍は慌てて逃げていきましたので」
「左様であろうが」
岩倉は器から菓子を一つまみ口に運び、扇子で口を隠しながらくつくつと笑う。
戦場にはためいた三本の錦の御旗は、岩倉が作らせた偽物であった。
偽の
慶喜が
だが、今は動乱の最中。
大きなうねりを持った波にさらわれることなく流れに乗るのは、慶喜より岩倉の方が数段
その点において岩倉と互角に渡り合えるほどの者は、西郷をおいて他になかった。
「ところで岩倉卿。あの者たちは」
西郷は部屋に入った時から気になっていた。
庭に大きな蜘蛛のようにひれ伏している男女がいるのだ。
「面白いおもちゃや」
「おもちゃ、ですか」
「八瀬童子を知っているか」
「いいえ、知りもはん」
西郷の顔が怪訝なものになる。
京から三里(一・五キロメートル)離れた山里深くに八瀬という地があることは耳にしたことがある。
「室町のころから天皇の棺を運ぶことを生業と致す者どもよ」
「そういう者も必要でありますな」
「それだけではないぞ」
岩倉の目に妖しい光が灯る。
「あやつらは鬼の末裔とも言われている。そして朝廷の隠密として影働きをしてきたのだ」
「朝廷の隠密――」
「天子様もまだ幼くあらせられるからな。麻呂が飼うことにした」
昨年、先帝である
いかにも、権謀術数を得意とする岩倉が使うにはうってつけの者たちであろうと西郷には思えた。
「八瀬童子の内でも選りすぐりの五人だそうや。そこもとら、西郷に挨拶せい」
岩倉は庭に向かって声をかけた。
「われら
「
「
「
「
四人の男が名乗った。
「八瀬鬼童衆が首魁、
再びの玲瓏な声が締めくくった。
その声に西郷の太い眉がわずかに動いた。
「八瀬姫は息災かの」
岩倉の問いかけに蓮月の顔がわずかに横を向く。
「はい。八瀬姫さまにおかれましては変わらず健やかに――」
蓮月に変わって牙刀院凶念と名乗った男が応えた。
「我ら牙刀院一族が八瀬姫さまのお世話をしておりますので」
「おほ」
なぜか嬉しそうな顔をして岩倉が扇子で口を押さえた。
西郷には岩倉と牙刀院の目が一瞬合ったような気がした。
――なにかあっとな。
西郷は目を細めた。
「八瀬姫とは」
「この者らの頭領や。然るやんごことなきお方ともいわれておる」
「お公家の方ですか」
「はて」
岩倉は白々しく扇子をゆるりと扇いだ。
「八瀬鬼童衆。この者たちことごとくが妖術、魔性の業を使いよるらしい。西郷、ちょっと遊んでみるか」
岩倉が楽し気に西郷の目をのぞき込んでくる。
「半次郎――」
隣の部屋に控えていた武士が縁側に現れた。「だんぶくろ」と称するズボンの白い洋装に身を包んでいた。肌が浅黒く、きりりとした眉の下の鋭い目をした顔は端正であるが、全身からは野生の
西郷の側近、
「半次郎、腕の立つ者は来ちょっか」
半次郎は素早く部屋と庭の様子をうかがった。
「
西郷は頷いた。
庭で二人の男が対峙していた。
西郷が呼んだ久米六郎太はたすき掛けをして木刀を持って立っている。
八瀬鬼童衆からは黒厨子闇丸。墨染の法衣を着ている。黒鉄色の肌をした小柄な体で腕が異様に長い。武器らしきものは持たずに立っていた。
「はじめ」
半次郎の声がかかると、久米六郎太は左肘を体につけて上段に構えた。薩摩藩士が使う
西郷は庭の二人を視界に入れていたが、不意に黒厨子闇丸の姿が消えた。
半次郎の顔がわずかに動く。
釣られて西郷も目線を動かすと、久米六郎太の背後に黒厨子闇丸が立っていた。
黒厨子闇丸は小刀を久米六郎太の首筋に向けていた。
「それまで」
半次郎が試合を止める。
黒厨子闇丸はゆっくりと元の立ち位置に戻った。
久米六郎太は気死したように立ち尽くしている。
西郷には黒厨子闇丸がどのようにして、久米六郎太の背後に立ったのか見当がつかなかった。
これが鬼の末裔と言われる魔性の業であろうか。
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