第39話 月が昇るまでに(10)

 ところで、これだけの不始末が続けば、お家断絶、領地は公儀こうぎに没収というのが避けられなさそうだった。

 しかし、公儀のほうもできれば穏便に済ませたい事情があった。

 五十年あまり前には、領主家を取りつぶしたところ、浪人になった者たちが復讐ふくしゅうのための討ち入りを果たすという赤穂あこう事件が起こっている。しかも庶民はその討ち入った浪士をたたえた。公儀にとってはまことに不都合な不祥事件だった。

 今回はそういう不祥事が起こることは避けたかった。また、他の公儀の所領や領国でも嗷訴ごうそや一揆が多く起こっていた。それを治めるので手いっぱいだという事情もあった。

 そこで、公儀は、支領の岡下おかしたの殿様に岡平おかだいら・岡下を合わせて継がせることで決着を図った。

 岡下の殿様は、家格かかくは低かったが、穏やかで、しかも筋を通すべきところは譲らないという剛直ごうちょくさでも知られていたからだ。

 岡下の当主であったいずみ大膳だいぜんは、主家にあたる岡平の領地をその家の不幸に乗じて継ぐのは情において忍びがたいとして、自らは出家し、息子の主膳しゅぜんを新たに刑部ぎょうぶ大輔たいゆう官途かんどに進めて岡平の領主家を継がせた。

 相良さがら讃州さんしゅう時代の、悪夢のような、暗雲の垂れこめたような時代は過ぎ去り、新たな若い主君がその座に着いたことを、岡平領の人たちはこぞって歓迎した。

 もと主膳の新刑部が、みじめに殺された照葉姫てるはひめの――ということはその娘であるあの玉藻姫たまもひめの――一族から新妻をめとったことも、領内の喜びをいっそう大きなものにした。

 その新しい若い奥方は「きつね御前ごぜん」というらしい。なぜそんな名なのかは、城下の事情に通じているくまにきいてもわからなかった。

 また、温和な人柄で知られた岡下の大膳も、出家した後も、若い殿様の後見として、領内の政に与った。

 もちろんそれで万事がうまくいったわけではない。

 相良讃州が定めていたあまりに高い年貢は下げられたが、それは領主家の内証ないしょうに大きな損を出させることとなった。

 讃州が領内に移住させていた武蔵・相模さがみ・伊豆・東駿河するがの人たちをどうするかも大きな紛議ふんぎの種となった。

 いまさら追い返すわけにはいかない。

 しかし、相良讃州に追い立てられたもとの住人は、もとの村に戻りたいと訴え出る。

 泉大膳が家老たちと相談して決めたのは、まず、そのもとの住人を追い立てる役目に関わった当時の役人を徹底して調べ、厳罰に処するということだった。それと引き替えに、もとの住人の村への帰還はあきらめさせた。かわりに、城下で商売を始める者には低い利息で金を貸すとか、新しく田畑を開けば年貢を安く抑えるとかいう策をとった。

 しかしもともと海辺で漁をしていた人たちだ。畑を作れ、商売をしろと言っても、ずっと祖先から畑を作り商売をしてきた人たちにかなうわけがない。また、もう同じ仕事をしている人たちのなかにあとから割って入るわけだから、紛議も起こる。不満は残った。

 そのたびに領主家がどちらかをなだめるために金を払う。それが領主家の内証をさらに悪くさせた。

 その結果がどうなるかは、まだわからない。

 相良讃州が連れて来た領外の人たちといつの間にか一つの村になってしまったのは唐子からこぐらいだった。

 それはどちらの村も海女漁をやっていたからだ。

 まず仲よくなったのは海女どうしだった。

 だから、それは、唐子のもとの村と新村しんむらと、その両方の村の海女の手柄として誇っていいと真結は思う。

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