三葉・手紙①
将来に希望が持てなくなったのは、いったいいつからだったろうか。
夕陽に染まる遠景を眺めていると、いつもそんな問いが胸に溢れます。
それは中学の頃か、あるいは小学生だったかもしれない、遥かな昔。
今はもう届かないその場所で、僕は不意に確信してしまったのです。
自分が今踏みしめているレールの先には、ただ絶望だけが待っている、と。
そしてその絶望は、いつか自分だけでなく周りの人たちをも飲み込むだろう、と。
ずっと、怖かった。
自分の言葉が誰かを傷つけやしないかと。
自分の行いが誰かを不快にしないかと。
いつも恐れていました。
他人に嫌われることを、ではありません。
他人の瞳に映る、自分の姿の醜さに怯えていたのです。
あまりにも醜く、滑稽で、あまりにも軽率に動く口と、そして人を心底苛立たせるようなその薄い笑い。
他者と相対するたびに僕を覗き込んでくる、瞳の中の僕は、まさしくかつての確信を裏付けるかのような存在で。
そんな自分が信じられなくて、そんな自分が他人に不快を感じさせているのではないかと、いつも他人の素振りに怯えていました。
それらが明確な苦しみに変わったのは、だいたい大学進学の頃だったと思います。
ある日突然、人との関わりに、耐えられなくなりました。
外に出るのが怖くなりました。
潜り込む布団の中。
いつしか、幻聴が聞こえるようになっていました。
--お前に存在価値なんてない。死んでしまえ。死んでしまえ。生きている限り誰かを傷つけるのだから。死んでしまえ。
「死んでしまえ」
幻聴、或いはもう一人の自分の願望は、いつしか本当の僕の願いと変貌していました。
気が狂いそうでした。
気を狂わすことすらできない自分に深く失望しました。
ひょっとすると、もうすでに狂っていたからこそ、狂うことができなかったのかもしれません。
酒や恋や、その他の何かに依存していたら楽だったでしょう。
狂うことすらできないのならば、他の何かに狂って、狂って、狂ってしまえばよかった。
……そんな後悔も、今となっては無意味です。
神社に行っては「殺してくれ」と何度も神に頼みました。
そうしていると少しだけ元気になりました。
そして、すぐに自分に呆れました。
自分で死ぬこともできない人間が、神などという漠然としたものに縋る。
自分の死というものの責任や恐怖からすらも逃れようとするその滑稽さに、笑いすら起こりました。
自らの惨めさに笑って、そうすると、もう少しだけ元気になりました。
そうして、少し元気になっては深い絶望に囚われ、また少し元気になっては絶望に取り込まれる。
そんな日々を繰り返すうちに、僕はもう引き返せないところにまで来てしまいました。
誰かに地獄のような日々の底から掬いあげてほしかった。
いや、他力本願な人生だからこそダメだったのでしょうか。
ひょっとすると誰かは手を差し伸べてくれていたのかもしれない。
でも僕は、いつしか這い上がることすらも諦めていました。
助けてと言いながらも助けを求めていない僕に、差し伸べられた手を掴むことはおろかその手に気付くことなど、出来るはずがありませんでした。
ただ、考えることすら放棄して、僕は神に死を祈りました。
でもどれだけ神に祈ろうと、僕は死ねなかった。
神は、僕を殺してはくれなかった。
だから僕が僕を殺そうと、決めました。
こうして、僕は全てを諦めました。
でも、ひとつだけ。
そんな決断の中で一つだけ、僕には心残りがありました。
それは、この手紙を読んでいるであろう、君について。
親友であるはずの君に、僕は隠し事ばかりしていました。
いつでも僕に心を開いていてくれた君に、僕は能面のように貼り付けた笑顔を向けることしかできませんでした。
それを、僕はずっと後悔していた。
だから僕は……。
諦めた僕は、筆を取りました。
諦めたということを宣言するために。
諦めたのだと、自分をなじるために。
諦めても、それでも諦められなかったものを確かめるために。
本当は、君のもとへ駆けて行きたい。
今すぐにでも君の手を取り、君と一緒に話をしていたい。
君を、僕だけのものにして、僕を君だけのものにしたかった。
ずっと……昔からずっと、そうしたかった。
でも、それをするには僕たちの間柄はあまりにも近すぎたし…………そして今では遠くなりすぎた。
そんな話を改まってすることなんて出来ないし、子供の頃のように心のままにも動けない。
お酒の勢いを借りた言葉で伝えたくもないし、かといって素面で外連もなく言えることでもない。
何より、今は君に会いたくない。
だから、僕はこうして手紙に書きます。
君と出会う前の僕を。
君の知らない僕を。
僕の心の中にいつもいてくれた、君の姿を。
僕は、僕の全てを手紙に書きます。
僕を、君にだけは知っていて欲しいから。
だからどうか、この手紙を受け取ってください。
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