第65話『アフタヌーンパーティ出動!』
「ねぇ……お客さんの数ヤバくない?」
そっとステージ脇より体育館へと集まった客席を覗き見る。
お客さんの数はざっと見渡す限り1000人以上いると思われる。
城神高校の体育館は外部のスポーツイベントなんかに使われることを想定して、大きく観客席までしっかりと構造されている。
今日のように文科系部を中心としたイベントになればステージ上部にはスクリーンまで映し出され、遠くの人からもステージが画面を通してよく見ることが出来る。
会場を見渡すと、客席はほぼ満員。
上段の観客席も人でいっぱいだ。
アリーナ部分は立見席までできている。
今の俺たちは前のグループ、漫才同好会がステージで漫才をしている間、舞台脇で待機しているといった状況だ。
「……吹奏楽部の前ってこんなに人が多いの?」
先程のカナの話を思い出す、吹奏楽部を楽しみに一般のお客さんが多く来訪するとは言っていったが。
「……ここまで多くはないよね」
「ぽりぽり、立見席が出来る程――ぽりぽり、お客さんがくることなんて――ぽりぽり、ありえない」
「漫才同好会も緊張してるよ、ほら、また噛んだし」
いつもより2倍、いや3倍の速さでお菓子を詰め込むアキ。
彼女なりにこのお客さんの数を見て緊張が現れ出ているのを感じた。
漫才同好会の皆さんは……心中お察しします。
「……やっぱりケイ効果かなぁ」
「そうだね~」
「うん、ぽりぽり」
三人の視線が俺へと集中する。
なんとなく居た堪れなくなって俺は曖昧に笑みを浮かべることしか出来なかった。
「まぁアタシらもめっちゃ宣伝したんだけどね」
「宣伝?」
「うん、先週いつものライブハウスで宣伝してきたんだ」
「その時に『文化祭で私たちのバンドに男の子が入るから見に来て』って」
もう一度ステージ脇から覗き見る。
たしかに在校生よりも学外からのお客さんが多そうな印象を受けた。
「まぁ、でもさ、これから先デビューしたらこれよりもっと多くのお客さんを相手にしてライブすることになるんだ。いずれは都市ドームでライブも出来るくらいにビッグになるんだ。それと比べればなんてことないよ」
都市ドームとは観客動員数5万人を動員できるほど巨大なドームスタジアムである。
理奈のお母さんが所属していたプロ野球チーム、フライヤーズの本拠地でもある。
俺の言葉に三人は一瞬呆気にとられたような表情をするも、すぐに笑みを浮かべて。
「そうだったね、これぐらいで緊張してちゃいけないよね」
「もぐもぐ――ごくん。そう、わたしたちはでっかく世界スター」
「都市ドームが目標じゃない、いずれ世界ツアーもやってみせるんだ!」
三人はいつもの調子を取り戻してくれた。
これなら大丈夫だろう、ライブも成功するはずだ。
そんな予感が確かにあった。
「よし、じゃあみんなで円陣を組もう」
ユリから円陣の提案、その声に反対することなく俺たちは自然と輪になる。
左にカナ、右にアキ、向かい側にはユリが位置した。
「ちょっとアキ、ずるいぞ!」
「ふ……早い者勝ち」
「いいなぁっ、アタシもケイと肩をく~み~た~い!」
「私変わろうか?」
『大丈夫、このままでいこう』
「……?」
アキとユリの声が重なる。せっかくの申し出に二人そろって断るものだからカナは困惑していた。
「よーし、それじゃあ今日はアフタヌーンパーティの初ライブ、気合入れていくよ!」
『おー!』
「これは序章に過ぎない、アタシたちはこれを機にどんどん売れて世界へ誇れるバンドになるんだ! 最初の一歩目、しっかりやっていこう」
『おー!』
「じゃあいくよっ、アフタヌーン!」
ユリが右手を広げ中央へ出す、そこへ俺たち三人も同じように重ね――。
『パーティ!』
全員の掛け声とともに右手を上空へ掲げた。
いよいよ、ライブが始まる――。
――
静まり返った体育館。
アリーナとステージの間には厚い暗幕カーテンがどっしりと垂れ下がり、舞台の全てを隠していた。
照明がまだ灯されていないため、舞台の向こうには何も見えない。
観客のざわめきだけが聞こえ、いまかと待ち望んでいるような空気がひしひしと感じられた。
漫才同好会と入れ替わるように楽器、エフェクター類を持ちステージ上へとあがる。
失敗の多かった彼女らだが『こんなにいっぱいのお客さんの前で漫才できてよかった』『軽音部も頑張ってね!』と激励の言葉をかけてもらえた。
彼女らに報いるためにも、絶対に成功させなければ。
位置へ着きそれぞれのセッティングが完了したら、最終確認の音出しを行う。
それぞれの音が出る度に観客から『王子ー!』『天使様ーっ!』などの歓声があがる。
「ケイ大人気だね」
「……緊張させないでよ」
カナからの冷やかしに苦笑を浮かべる。
先程息巻いてみんなを鼓舞したけれど、俺だって緊張はしているんだ。
過去の記憶でもここまでお客さんが入った中でライブをしたことなんて経験がない。
緊張で手が震え、思わず右手に握っていたピックを落としてしまった。
「大丈夫」
「カナ……?」
屈んでピックを拾おうとした矢先、ぎゅっとカナの両手で右手を握られる。
「初めてのライブなんだから失敗しても大丈夫、私たちだって初めてライブハウスで演奏した時は歌詞間違えたり、シールド外れたり、スティック落としたりと散々だったんだから」
恥ずかしそうにカナが笑う。
「あれは最早良き思い出」
「裏に戻った時泣きべそかいてたの誰だっけ~?」
すました顔で話すアキに対し、ユリが揶揄う様な顔でアキの頬を突いた。
呆れた顔でカナもユリへと顔を向ける。
「ユリも失敗して泣いてたじゃん」
「な、カナだって歌詞飛んでMC中に泣いてたじゃん!」
「みんな泣いた」
和気藹々と当時の思い出を振り返る彼女たち。その姿になんだかホッとしたように、緊張したての震えが収まっていくのを感じた。
「だからさ、失敗してもいいから楽しくやろっ」
「……うん」
カナの微笑みに後押しされるように俺も笑みを浮かべた。
今の心地なら緊張せずにやれる、そんな感覚をもてたのだった。
「軽音部のみなさん準備は良いですかー?」
ステージ2階の小部屋の所から女子生徒が声を掛ける。
彼女は文化祭実行委員の一人でステージの暗幕を引いたりする役割の人だった。
「オッケー!」
ユリが彼女へと指を立てサインを送る。
彼女は納得したように頷くと『アナウンスの後に幕を開けますね』と言って部屋の中へ戻った。
『それではこれより軽音楽部によるパフォーマンスを行います』
放送にて上演開始の合図を告げる。
それにより観客席からひと際大きな声が上がるが、先程のような緊張は湧き上がってこず、今はライブ前の高揚感に包まれていた。
アナウンスが終わると暗幕がサッと左右に引かれる。
目の前に広がったのは、観客の波。無数の顔がこちらを見ていた。彼らの期待感や興奮が、波のようにステージ上まで押し寄せてくる。
そしてなによりも――。
『王子様ぁーっ!』
『プリンスー!』
『天使様ーっ!』
観客のほとんどが俺のあだ名を呼び叫ぶ。
自意識過剰でもなんでもなく、ほとんどの視線が俺に集まっていた。
来賓席と思われる所に高級そうなスーツを着た……黒崎さんがじっと見つめているのが分かった。
彼の期待に応えるべく、より緊張感が高まる。
観客席へ目を向けていると視界に――愛する彼女たち。
まれちゃん、理奈、千尋の姿が目に入った。
――見に来てくれたんだな。
嬉しさと共により高揚感が増していく。
大丈夫だ、彼女たちが見守ってくれてるなら絶対に成功させられる。
『奏ーっ!』
『ユリがんばれーっ!』
『アキふぁいとぉー!』
部活紹介の時に見た彼女たちのファンの集団も視界に入った。
ふとカナたちの方へ視線を向けていると、嬉しそうな様子が目に入る。
いつまでも佇んでいるわけにもいかない、カナも心の準備が出来たのかマイクを手に取る。
声を出すのと同時に俺たちも音を出す準備をする。
「こんにちはー!」
挨拶と共にそれぞれギター、ベースを弾き、ドラムを叩く。
観客たちもそれに応え『わぁーっ!』と歓声を上げた。
「私たちはアフタヌーンパーティです、さっそくだけど演奏に入りますので聴いてください!」
紹介を一声で終えマイクを一旦口から離す。
それと同時に観客たちも曲が始まるその瞬間に備え歓声を止めた。
ユリのドラムがリズムを刻み、曲がスタートする。
アップテンポのリズムで流れ、ギターもパワーコードを中心とした盛り上がりの良い曲。
ドラマのタイアップ曲にも使われていて、テレビで聞くことも多いこの曲は観客たちに『あの曲だ!』と思わせたことだろう。
そしてギターの音が鳴ると同時に前の席の観客たちから『本当に男の子が弾いてる』といった表情に変わるのが目に見えた。
この世界では本当に珍しいことなんだなと内心苦笑してしまった。
ギターを奏でながら、今歌い始める瞬間のカナへと目を向ける。
彼女はまるでいつもと雰囲気が変わったかのように、凛とした雰囲気になっている。
そしてAメロの歌の部分へと入り彼女の声がマイク越しにステージへ広がると観客たちの盛り上がりがさらにあがった。
『さすがだよ……』
つい先ほどまでステージを支配していたのは珍しい男のギタリストである俺だったが、すぐにボーカルのカナへ主導権を奪われた。
ドラム担当のユリからはスネアとバスドラムの音が観客の体に響き、リズムが徐々に高まっていく。
彼女は楽しそうにスティックを回しながら、時折笑みを浮かべ、まるでステージと観客の両方を楽しんでいるかのようだ。
そしてベースのアキは無駄な動きひとつなく、精確に弾き続けている。
その音は低音の支えとして強固で、ステージ全体を安定させていた。
時折リズムが走りそうになるユリへストップをかけるように。
彼女の指がベースの弦を走るたびに、観客の中には音楽に浸りながら体を揺らす人たちがさらに増えていた。
――負けてらんないな。
負けじと俺もパフォーマンスを続ける。
ギターはボーカルに次ぐバンドの華。
俺が楽しんでいる様子を見せないとライブ自体が盛り上がらない。
身体全体を使い、手はギターを奏で、足でリズムを奏でながらライブを盛り上げる。
ふと周囲を浮かぶ物体――ドローンが目に入る。
それを見つけると三人でライブ前に打合せしていたあることを思い出す。
『いいか、ケイ。ライブではドローンがその辺ウロウロ彷徨うからサービスしてやるんだ』
『なんでドローンが?』
『文化祭のメインステージは見に来られない在校生や、学外へのアピールとして毎年ネット配信してるんだよ』
『絶対にケイの所ばかり来ると思う、需要がある』
『とにかく楽しそうな様子を見せるんだ、絶対に盛り上がる』
ドローンは俺を見定めたように近づいてくる。
ユリの言う通りドローンへ向けてウィンクをすると観客たちの黄色い悲鳴が湧き上がる。
思わぬ盛り上がりに一瞬だけリズムを崩してしまう。ご、ごめん……。
カナは『しょうがないね』といった感じで笑っている。
このサービスにドローンの操作者が味を占めたのか俺の周りをウロウロするようになった。
正直言えばうっとおしい。
だがこのドローンの使い手が絶妙に上手く俺のパフォーマンスに邪魔とならない絶妙な位置を飛び続けていた。
観客も大盛り上がりの為、俺も開き直って曲の合間に手を振ったり、くるっと1回転したりとサービス精神を全開で取り組んだ。
そんなこんなで曲もサビへと突入。
カナが一瞬息を吸い込み、サビに突入するや否や、会場全体がまるで爆発したかのように盛り上がり始めた。
彼女の力強くも透き通った声が響き渡ると、観客は一斉に声を上げ、手を高く振り上げている。
前列の観客たちは、興奮して足踏みしながら、その声に応えるようにさらに熱を帯びた声援を送り続けた。
カナの歌唱力はもちろんのこと、コーラスを兼務するアキの透き通った声が普段の姿から想像できない程美しい音色を奏で曲を盛り立てる。
俺も負けじとリズムに合わせジャンプをしたり、笑顔で口ずさんだりする様子を見せることで更に盛り上がりが高まる。
――楽しい。
――最高に楽しい。
久しぶりのライブということもあるけれど、会場中が一体となるこの感覚がたまらなく楽しい。
そして曲は2回目のサビが終わりいよいよ最大の見せ場がやって来た。
「いっくよー、ケイ!」
カナの掛け声により歓声が沸く。
俺はそれに気押されることなく足元のペダルを踏みこみ、ディストーションをかけたギター音が爆発的に響き始める。
ギターの弦をスライドさせ、速弾きが始まる。指が走るようにフレットを駆け上がり、観客席からは驚きの喚声が上がる。『速い!』『すごい!』そんな声が聞こえてくる。
ドローンがジッと留まり、俺の動きを映し出しているのも視界の端に入った。
まるで惚れ惚れとするように動きを止めているのを見て俺はニッと薄く笑った。
ギターソロの最後の部分では、アームを使って音をビブラートさせ、さらに力強く音を伸ばしていく。
観客は息を飲み、その瞬間を待っているのがわかる。
会場全体が俺のギターへと釘付けになっている。今この瞬間は俺が主役だ!
ギターの音色がピークに達し、ラストの速弾きを終えると観客全体が歓声を上げ、ステージのエネルギーは最高潮に達した。
ギターソロが終わると会場にはまだその余韻が残っていたが、その静寂を突き破るように、カナがマイクに再び息を吹き込み、力強くラスサビへと突入する。
彼女の声が一気に空間を満たし、観客たちのエネルギーも再び一気に高まっていった。
「カモォン!」
といったカナの合図とともに観客たちもラストのサビを共に歌い上げる。
完全にステージを支配している、再びカナの独壇場だ。
彼女の声が会場の隅々まで響き渡り、観客たちはその声に引き寄せられるかのように、体を揺らし、手拍子を重ねている。
俺たち三人も彼女に負けじと、ユリはその手拍子に合わせるようにドラムを力強く叩き続け、観客のテンションをさらに煽っていく。
アキのベースも最後の力を込めて、重く、確実に低音を響かせていた。
俺も最後の最後までギターフレーズをかき鳴らし演奏を奏でていく。
「一緒に歌ってー!」
カナが手を挙げて観客を煽ると、観客たちの反応はさらに熱くなった。
会場中の全員が曲に乗り、ステージのリズムに体を揺らしているのが見て取れる。
まるで波が押し寄せるかのように、観客の熱気がステージを包み込む。俺たちバンドの音が、彼らの鼓動とシンクロしている。
「ラストぉーっ!」
カナがラストのサビを歌い終えると同時に、観客は一斉に歓声を上げ、熱狂的な拍手と歓声が会場中に響いた。
そして最後の一音がステージに消えゆくと、しばしの静寂が訪れる。
しかしその静けさはすぐに観客の大歓声に変わり、まるでステージ全体を揺らすような感覚が押し寄せる。
「天使様最高!」
「王子ー!」
「かなでぇー!」
といった風に観客たちは立ち上がり、手を振り、叫び声を上げていた。
その光景を見渡し、体育館の空気が震えているかのような、圧倒的なエネルギーが全身に伝わってくる。
こんな感覚、今まで感じたことがなかった……。
ユリがドラムスティックを高く掲げ、アキはベースを力強く持ち上げた。
カナはマイクを握りしめたまま、深々と観客に頭を下げる。
俺も自然とギターを掲げ、観客に応えるように笑顔で手を振った。笑顔を返してくれる観客たちの顔が、嬉しそうに輝いているのが見える。
歓声はさらに大きくなり、体育館全体を包み込む。
「みんな、ありがとう!」
カナがマイクを通して叫んだ。
観客の歓声がさらに大きくなるのを感じた瞬間に確信した。
俺たちはこの瞬間、観客の心を掴んだ。
これがアフタヌーンパーティの新たな第一歩なんだという感覚を、体中に感じていた。
最初の1曲目は最高のスタートだった。
次はいよいよ――俺がボーカルを務める番だった。
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