第62話『白と黒の執事』


 視聴覚室の中は、柔らかな照明が空間を包み、クラシック音楽が静かに流れていた。

 その穏やかな旋律は、まるで時間がゆっくりと流れるかのように店内の空気を引き締めている。

 壁にはアンティークの絵画が飾られ、優雅でありながらもどこか懐かしい雰囲気が漂っていた。


 視聴覚室の外は活気に溢れていて、遠くからはクラスごとの出し物の呼び込みや笑い声も聞こえてくる。

 しかし、この執事喫茶の中では、それらとは一線を画す静けさと優雅さが保たれている。


 そんな中、俺と及川はまるで対照的な存在として店内を動き回っていた。


「いらっしゃいませお嬢様方。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」


 とある二人組のお客さんをテーブルへと案内する。雰囲気的に同じ高校生だと思われる。


「す、すごい……」

「これが噂の天使様……」

 

 そう呟いた声が耳に届く。俺はその聞き慣れた単語へ冷静に、穏やかに返す。


「ありがとうございます。ただ本日の私は執事ですから、あと今後も天使様ではなく気軽に恵斗とお呼びください」


 俺は彼女たちに笑顔で問いかける、彼女らは顔を真っ赤にして。


「え、えっと注文どうしよ……」

「ぜ、全然決められない……っ」


 慌てたようにメニュー表を目を落とすも、中々決められないようだ。

 

 ここで焦らせてはいけない。

 今日の彼女たちはだ。


 丁寧に頭を下げながら笑みを浮かべ、再度お嬢様たちへお伝えする。


「大丈夫ですよお嬢様、ごゆっくり選んでください」

「はうぅ……っ」

「ま、眩しすぎる……っ!」


 ――逆効果だったかな。

 いや、今更引けん。


 じっと姿勢と表情を崩さずお嬢様たちの決定を待つ。

 

「じゃ、じゃあ、か、カフェラテを……」

「わ、わたしは紅茶をお願いします!」

「かしこまりました。それでは少々お待ちくださいませ。あと私の名前は一ノ瀬恵斗、今後も何卒よしなに」

 

 ――完璧だ。

 

 執事をこなしながら自分の名前をお客さんに周知していく。

 これならば明日にも俺の名前は広まっているだろう。

 この世の中の拡散力を俺は知っている。


 ようやく『一ノ瀬君』『恵斗君』と呼ばれる日々が訪れるのだ。

 そう思いながらほくそ笑んでいると。


「もうそれ諦めたら?」

「なんでだよ!?」


 呆れたようにケーキにフルーツを盛り付けていたリンから言われる。


「接客しながら呼び名を広める……完璧な作戦だろ」

「たまに思うんだけど恵斗って馬鹿だよね、いや、だからEクラスなのか」

「おいこら――」

「すみませーん! 白の執事さーん!」


 別テーブルのお客さんたちに呼ばれた、及川の方は接客中の為俺が行かねばなるまい。


「ほら行ってきな天使様、いや王子様だっけ?」

「あとでぶっとばす」


 そう言い残して呼ばれたテーブルへと足早に急ぐ。

 執事たるもの、駆け足なんて似合わないからな。


「お嬢様、どうなさいましたか?」

「あの……天使様、写真撮ってもらうのはOKですか? そのぅ……できれば一緒に」

 

 彼女は少し恥ずかしそうに、しかし期待を込めた表情でお願いしてきた。


 俺は一瞬驚いたが、すぐに笑顔を浮かべ――。


「もちろんいいですよ。お嬢様方の大切なひと時にご一緒させていただけるとは光栄です」


 俺は彼女ら傍に立ち、執事らしく丁寧に背筋を伸ばし、軽く微笑みながら写真に収まった。


「いきますよ……はい、チーズ!」


 スマホのシャッター音が響き、彼女たちの満足げな笑顔がスクリーンに映し出された。


「か、輝いてる……写真越しでもこのキラキラ具合!」

「ありがとうございます! この写真大切にします!」

「それは何よりです。お嬢様方にとって素晴らしい思い出になりますように」


 彼女たちはスマホを見つめて大はしゃぎしながら話していた。

 少し遠くから見ていた他のお客さんも興味を示して、俺の写真撮影を頼む声が次第に増え始めた。


「次は私たちもお願いしてもいいですか?」

「もちろんです。喜んでご一緒させていただきますよ」


 別のお客さんたちからも写真撮影を求められ、俺はそれに応じていくのだった。


 

 ――


「こちら、特製のケーキでございます。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」


 及川は、声を低く抑えながら丁寧に言葉をかける。

 接客というものは男である自身にとっては初の試みであったが、案外上手くやれていると自分で感じていた。

 

 しかし、心の奥底では一歩引いた気持ちもある。

 彼にとって、訪れる女性客たちはただの存在でしかなかった。

 執事として定められた役割を果たすのは当然だが……。


 相手に対しなんの感情も抱くことはなかった。


 そんな時恵斗と客のやり取りを目にする。


「……写真に平然と写るだと?」

 

 恵斗が写真撮影を嬉々とこなす様子に、及川は思わず驚きを隠せなかった。

 彼は普段と変わりなく、まるでそれが自然な流れであるかのように、女性客たちに囲まれ笑顔で対応している。


「天使様、ありがとうございます! 一生の宝物です!」

「次は私たちもお願いしてもいいですか!?」

「もちろんですよ、全員のご要望にお応えしますから慌てないでくださいねお嬢様」

「はあぁ……っ、わたしずっとここに居たい……っ」

「私も……っ!」


 次々に女性客が恵斗へと写真撮影を求め、それに応じ続ける彼。

 及川はさらに唖然としていた。


『なぜあの男はいとも簡単に女と親しく接することができるんだ。理解出来ない』


 誰かれ構わず相手をする理由など、彼には見いだせなかった。

 それは男も女も同じ。

 

 彼にとって認める価値があるのは、能力のある人間だけだ。


 そう、生きてきた。


 なのに……。


『あの男の周りは……楽しそうだな』


 今も恵斗の周りには幸せそうに微笑む女性たちで溢れかえっている。

 

 いや、今日に限らず、恵斗の周りには常に笑顔で溢れている。

 あの男の周りにいるような人間は……自分の周りには存在しない。


 己のここまでの人生を振り返る。


 どの人間も常に自分の顔色を窺うような人間ばかりだった。

 それは常に及川政臣という人間が結果を出し、優れた能力を持つ人間だから。

 故に彼にすり寄る人間は多かった。

 

 しかし、己の周囲に笑顔はあったのか?


 いや、たしかに笑っていた。


 だがそれは自分の機嫌を損ねないようにするため、心からの笑顔ではなかった。


 それは周囲のクラスメイト、そして……家族も。


「あ、あの……黒の執事様、わたしたちと写真を一緒に撮ってもらえませんか?」


 思考していると、とあるテーブルの女性客が、おずおずと及川へ写真撮影を頼んできた。


 当然断るつもりだった。

 少なくとも以前までの彼ならば。


 しかし今の彼は、忌々しく彼と希華をめぐり争いはするものの……恵斗を認めてはいた。


『あの男の真似ではない……断じて違う。これは僕の意思だ。ここであの男と同じように写真をとれば何かがわかるかもしれない』


 そう心の中で繰り返し、女性客の求めに応じた。


 そして、幾分か不器用な表情で写真を撮影し……。


「ありがとうございます、黒の執事様! 本当に嬉しいです!」


 心から喜んだ笑顔を見せる女性客。

 お礼を言った彼女はキラキラと自分と映った写真を眺めている。


 いつも自分の機嫌を取りに来る時とは違う。

 恵斗の周囲にいるような女性たちと同じ笑顔に、及川は一瞬、胸の奥が微かに動揺するのを感じた。


 いつもなら『能力もなく無駄に笑っているだけの奴ら』と一蹴するところだが、今回は違った。

 無価値だと思っていた相手が、なぜかその瞬間だけ、自分の中で少しだけ違う存在に映った。


『……悪くない』


 すり寄る女どもはうっとおしいと思っていた。

 何の価値もないと見るに値しなかった。


 だが……今のように心から微笑みかけてくる彼女を見て、及川の心境はとても晴れやかな気分だった。

 

 ――



 

 店内外ともに賑わいを増す中、俺は次々に女性客と写真を撮りながら笑顔で対応していた。ただ目の前の彼女たちが喜んでくれることが、俺にとっても嬉しい。


 そんな中、ふと及川が接客している様子が目に留まる。


「こちらが、特製のダークチョコレートケーキでございます。甘さを抑えた上品な味わいをお楽しみください」


 及川は、控えめだが力強い声でお客さんに話しかける。

その顔はいつものような澄ました表情と違い、たしかに笑みが浮かんでいた……。


「か、カッコいい……」

「白の執事様も素敵だけどこっちもすごくいい……っ」

「私……天使様から乗り換えちゃうかも……」

「ごゆっくりどうぞ」


 ――上手くやれてんじゃん。


 予行練習の時は一切笑みを見せず、終始仏頂面であった。


 もう少し楽しそうにやれよ、相手はお客さんだぞ。

 と、伝えたのだが……。


『僕が無駄に笑うわけないだろう』


 と、一蹴されてしまった。


 そういう訳で不安だったのだが……。


「黒の執事様! こっちもお願いします!」

「わたしたちとも写真を撮ってください!」

「お任せを、お嬢様」


 フッと、クールに微笑むその面は男の俺でも『あぁ、こういう奴がモテるんだよな』と思わせるぐらいに格好良く映っていた。


 と、俺が感心して及川を見ていた時だった。


「――ふっ」

「……は?」


 あの野郎、俺に向けて勝ち誇った顔をしてきやがった。


 ……へぇ、そういうつもりなら受けて立つけどぉ?


「王子様、私たちとも写真を撮ってください!」

「できれば真ん中に座ってほしいなぁ……なんて」


 ちょうど良いタイミングで写真撮影を求められる。

 そのテーブルのお客さんは同じ城神高校の先輩たちだった。


「かしこまりました、ではそちらに……」


 そう言って彼女たちの間に空けられたスペースに腰掛ける。

 右側の彼女がスマホを構えている際、俺はそっと両隣にいる彼女らの肩に手を置き、軽く引き寄せた。


「――っ!?」

「お嬢様方は私の先輩方なので、ちょっとしたサービスでございます」

「は、はわわ……っ」


 軽く微笑んで席を立つ、唖然として見つめる及川に渾身のドヤ顔をかましてやった。


「適用外ぃ……っ!」


 歯をギリッと噛みしめ悔しそうな顔を浮かべる。

 あぁ、気持ちが良い!


「……余計なことしないでくれる?」

「え?」

「後ろ見て見ろよ」


 呆れたように言うリン、彰に指差され後ろを振り返ると――。


『私たちもお願いします王子様!』

『先輩なら今のしてくれるんだよね!?』


 たくさんのお嬢様たちがそこにはいた。


「ちゃんと責任取りなよ王子様」

「自分で蒔いた種だからな」

「すみませんでした……」


 この後めっちゃ写真撮って肩を抱きまくった。


 

 

 

 

「恵斗、テーブル空いたぞ」

「わかった、では次のお嬢様、どうぞ――」


 テーブルを片付け終えた彰に伝えられ、次のお客さんへ声を掛ける為廊下へ顔を出すと――。


「来ちゃいましたっ」

「……芽美」


 なんとそこには妹である芽美の姿が。

 隣には芽美の友達だろうか、女の子が一人居る。


「あ、今の私はお嬢様ですよ兄さん――じゃなかった、白の執事さん?」

「ふふっ、ではご案内しますよお嬢様方」


 二人を空いた席へと案内する。


「それではお嬢様方、こちらがメニューになります」

「へぇ~、栞ちゃん、なに飲みますか?」

「えっと……わたしはミルクティーにしようかな」

「じゃあ芽美もそれでっ! あとはお勧めのケーキをひとつずつ!」

「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」


 注文を受け取り、リンの元へとオーダーを伝えに行く。

 その時――。


「おい、あの子はお前の知り合いか?」


 ボソッと耳打ちするように及川が話しかけてくる。


「あぁ、茶髪の子の方は俺の妹の芽美っていうんだ」

「そうか……隣の紫髪の女は知っているか?」

「いや……? 多分芽美の友達だとは思うんだけど」


 そう言って彼女たちのテーブルへ目を向けると栞ちゃんと呼ばれた少女がスッと顔を背ける。


 ――なんとなくだけど、及川の方を見ていたような?


「互いの為に詮索しないほうが良いだろう」

「なんだよ、どういう意味だよ?」

「気にするな、僕は接客に戻る」


 そう言って及川は立ち去ってしまった。ちょうどタイミングよくお客さんから呼ばれたというのもあるわけだが――。


 注文のドリンクとケーキを2つ、それともうひとつ用意し彼女たちのテーブルへと向かう。


「お待たせ致しました、ミルクティーと本日お勧めのタルトケーキになります」

「わぁっ、美味しそう」

「すごい……」


 リンがお勧めと題したタルトケーキは今日の為に考案したメニューだ。

 これの評判がかなり良くて、気分を良くしたのか忙しくててんてこ舞のはずなのに鼻唄混じりに動いてるんだから大したもんだよ。


「それからこちらを」

「あれ?」

「アップルパイ頼んだっけ?」


 二人のテーブルに置かれたもう一品のアップルパイ。


「これは私からのサービスです、貴方様はこちらのお嬢様のご友人であると思われますので、ささやかながら兄としての気持ちです」

「そんな……ありがとうございます」

「さすが兄さんっ――あ、いや白の執事さん!」


 そこは別に言い換えなくてもいいような気もするけれど。

 まぁ芽美のしたいようにさせてあげるのが兄の務めか。


「あ、じゃあ兄さんにも紹介しますね、この子は――」

「ちょ、ちょっと待って芽美ちゃん!」


 栞ちゃんと呼ばれた女の子からストップが掛かる。

 一体どうしたのだろう、芽美もびっくりしたようで目を丸くしている。


「わ、わたしのことは大丈夫だから……」

「え、でも栞ちゃんは私の大事な友達だし」

「それでもほんとに大丈夫っ、それに来年会うことになるから……その時に改めて自己紹介させてください」


 来年……ということはもしかして。


「君……、いえ失礼しました、お嬢様も城神高校へ?」

「はい、進学するつもりです」


 胸に手を当て、自信満々に彼女はそう答えた。


「栞ちゃんはすごいんですよ、塾でも一番成績が良いんですから」

「芽美ちゃんだって、この間城神A判定とったでしょ」


 へぇ~芽美も毎日勉強してると思ったけど、城神をA判定もらえるのか。


 ……兄とは大違いだね。


「……そうですか、では貴方様のことを知るのは来年の楽しみに取っておきましょう」

「兄さん、心なしかトーンが下がってますよ?」

「気にしないでくださいお嬢様、今日はよく喋っているので少し声に疲れが出たのでしょう。決して妹の凄さに、兄としてズタボロだとかそんなんではないですとも、えぇ!」


 決して強がりじゃない、今日はずっと喋ってるから疲れたんだ。

 そういうことにしてその場を乗り切る。



 その時だった。


「おい、忙しそうだから手伝ってあげるよ」


 嫌な笑みを浮かべながら内川がやってくる。


 猛烈に嫌な予感がする。


 何故だかわからないけれど、確信めいた予感を確かに感じたのだった。

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