7‐5

 ベッドには横たわらず、端に腰を下ろしたホタルは、外が慌ただしいのに気付く。

 ポリエステル繊維のカーテンをシャッと音を立てて開ける。そして、部屋の扉を引くと、半身を乗り出す。


「プロトタイプが暴れ出した。取り押さえろ!! 」


「無理です!! 凶器を持っています! ハサミ!! 右手に!!」


 職員のヒステリックな声が響く。ホタルの様子など構っていられない、と言った風に、職員たちはみな右往左往している。

 満足げにホタルは微笑んだ。

 彼は人質を取り、それを盾にして暴れていた。保衛官も、発砲の指示が得られず、銃を手に硬直している。

 スルッと、部屋から抜け出る。そして、混乱に乗じてホタルは火中の栗を拾うべく、混乱の火元に近づいた。


「已むを得ん、撃て!!」 


「人質が……!」


「構わん!!」


 その声に、彼女は息を呑んだ。殺される! と思った。

 気付いたら、駆け出していた。


「……な、何をしている二〇二三!」


 でっぷりと太った白衣の男が、か細い彼女の手を掴む。だが、彼女は制止を振り切り、ポンっと突き飛ばした。自分の体重の二倍以上あるであろう巨体を、仰向けに転がす。

 非力でか弱い見た目からは想像できないほどのパワーに、周りも本人も舌を巻くほどだった。


『いいこと教えてあげる』


『なあに?』


『デカい男に転ばし方!』


 ここで、ホタルはプフッと吹き出したのを思い出す。彼女の言葉選びに反して神妙な顔もちが、面白かったのだ。


『いーい? 体を低くして、突き飛ばすんだけど、腰あたりを狙うといいよ。後ろから来られたら、振り返ると同時に。前から来られたら、いったん逃げる振りをして、あとは同じ』


『お兄さんも転ばせる?』


『い、いやぁ、返り討ちに合うと思うな』


 この時何とも弱い気に笑う彼女を見て、ホタルは懐疑的な念を抱いた。それなのに、まさかこの護身術が役に立つ日がこようとは夢にも思わなかった。


「……私はホタル!! そんな名前で呼ぶなあああッ!!」


 引き金を引こうとする、手前の保衛官にタックルした。重心を低くし、腰あたりを目掛けて押し倒そうとする。倒れなかった。だが、パンっと言う乾いた銃声と共に、壁がガラガラと音を立てて崩れた。

 緋色の瞳の彼は、その隙に人質をかなぐり捨てて駆け出した。

 同時にもう一人が発砲しようとするのが見える。その前に仁王立ちし、「ダメ!」と叫ぶ。


 パンッ!


 銃声が鳴り、誰かが「キャーッ!!」と叫んだ。偉く、悲鳴が遠くに聞こえた。

 目の前の銃口から、硝煙が上がっているのを見つめると、ホタルは崩れ落ちた。

 撃たれたのは自分だった、と気付いたのは、生暖かい感触が腹部を伝い、ふくらはぎに落ちて来たからだった。

 こんな傷、こんな辛さ、なんてことない。ホタルは言い聞かせた。

 アゲハは、いつも傷だらけだった。メイクをするために、近くによると小さな傷がたくさんあるのが余計よくわかった。初めて会った日も、うっすらと口端に殴打の後があった。

 血縁関係のない兄だと言う男は、身を売っていた。義妹のアゲハを養っている、と思っていたが違った。

 アゲハはアンティーターのことをよく知っている風だった。行く予定があるようでもあった。

 辛そうに、笑う時がよくあった。体も、心もズタボロのように見えた。

 二人の素性は何も分からなかったけど、想像できないほど大きな何かを抱えていることが、よくわかった。

 倒れ込む自分の傍らを、保衛官の黒光りするスーツが通り過ぎる。まだ終わっていない、と思った。

 「行かせない!」と叫ぼうとしたが、ゴボッと血反吐が上がって来ただけだった。それでも、ギュッと、その右足にしがみ付いた。


 バンッ!


 バンッ!


 二発の銃声に続き、右肩と、背中に激痛が走った。

 息が一瞬止まりかけた。

 どうせ死ぬなら、このまま死んでやる。そして、死んでも、放してなんかやらない。


『蛍っていう昆虫はね、幼虫も蛹も光るんだよ。スター性があるよねぇ』


『どうしてかしら? 求愛行動なのかと思ってた』


『それが、分からないんだってー。解明する前に、ホタル絶滅しちゃったから』


『ふーん』


 結局、蛍と言う虫がなぜ命を輝かせるのかは分からずじまいだった。でも、自分(ホタル)のことならば分かる。説明したい、アゲハに。そんな気分だった。

 でも、無理そうだから、もう寝よう。そう思い、彼女は目を閉じた。



 モクレン、ライラック、ユウガオの三人の関係は酷く歪に拗れていることは明白だった。まず、モクレンとユウガオの関係に相互性はない。モクレンの一方通行であり、明らかにユウガオは妥協しているようだった。そう、例えば、誰かの代わり、などである。

 そして、モクレンは上司であるライラックに対して尊敬ししっぽを振る、という振りをしていた。だが、内心で明らかに馬鹿にしていた。例えば、痴れ者を蔑むような感じだ。

 ジガバチは、顔の傷が痛むのも忘れて薄ら笑いを浮かべた。

 それに気づいたライラックが、怪訝そうな顔で見つめる。


「なあに? 面白いことでも、あるのかしら。聴かせてもらってもいいかしら」


「おう、良いぜェ」


 存分にぶそんな態度で、彼は言った。あまりの態度の変貌っぷりに、彼女の顔が余計険しくなる。


「俺の父親はパキラ。母親はオオゼリだ。知り合いだろォ?」


 見る見るうちに、三人の表情が変わっていく。面白いほどに、珍妙な空気が漂い始める。形勢逆転、を思わすような場にそぐわない空気感だ。


「会わせろよ、俺の父親に。居るんだろ?」


 もちろん、会いたいとは微塵も思ってはいなかった。ただ、せっかく付いた火種を、火柱にすべく焚きつけたかったのだ。


「しょ、証拠は……」


 まるで酸欠の金魚のように、ライラックは口をパクパクさせた。凄まじい狼狽っぷりに、あほらしくなる。ケッ! と笑い飛ばして、「そんなもの、いるのかァ?」と答える。


「血液検査でも、唾液検査でも、やってみろよ」


 そうだ、そんな物は要らない。本人からの自白で十分だ。それほどまでに、パキラとジガバチは似ているからだ。

 なぜ、会ったこともない父親の顔を知っているか、それは――。


「髪色は黒、俺と違うけどよ、目の色が一緒。そうそう、あの女、俺を犯すときは必ずパキラって呼ぶんだぜェ。俺の顔の隣に、父親の写真を――」


「黙れ!! ろくでなし!!」


 パチンと頬をぶたれる。恐らくこの女が手を上げたのは、この時が初めてだ。


(ビンゴだ!)


 叫び出しそうになるのをぐっとこらえた。


「ンだよ。てめェも、おんなじこと、させてんじゃねーか。この女に」


 呆けているモクレンを顎で指し、にやついた。この女も、火中に引きずり出した。その瞬間、つうーっと眼鏡の奥の目つきが険しくなっていった。


「ふ、ふざけんじゃねぇ!! この、薄汚いクズが!! さっきっから、キッショイ目で窃視してたもんなぁ!! やっぱりお前みたいな獣に、人権なんて要らないわ。死ね!!」


 金切り声を上げて、髪を引っ掴み、顔を上げさせると、何度も殴りつけた。ヒステリックに、罵声を浴びせ、拳を振るう姿は酷く滑稽だった。


「てめーらが勝手に盛(さか)り始めたんだろが」


「うるさい! 人の言葉を話すな!! お前みたいな野蛮な獣が、姉さんの子供なわけあるか。お前が犯したんだろうが。言えよ、白状しろよ!」


 やはり、ネジが外れている。女は、拳を振るいながら、笑っていた。薄気味悪い、含み笑いが聴こえてくる。明らかに、性的に興奮していた。


「何してんのよ」


 ライラックが顔を火照らせたモクレンに、凄んだ。その眼差しには軽蔑の表情が浮かんでいる。ジガバチを足で蹴って仰向けにさせると、白衣を脱ぐ。そして、スリットスカートをたくし上げる。

 ユウガオが「それどころじゃないでしょ」と言って頭を抱えている。

 何をしようとするのかが分かり、ジガバチは青ざめた。

 思わず、心の中でアゲハを急かしたのだった。


(アゲハ! 早くしろよ!!)

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