5-3
ダクト内はアゲハですら相当に狭く、四つん這いになって進むしかなかった。
(うっ……。めちゃくちゃ汚いし狭い……、サイアク)
クシャミと咳をしたくなり、慌ててハンカチで鼻と口を覆う。戦闘中に音でもさせたら大変な目に遭うだろう。もちろん、敵によってではない。ハイエナによって、である。
まっすぐ進んでいると彼の言う通り、光が漏れているところが見えた。加えて、何やらダクトの外が騒がしい。
もう、既に始まっているのだ、と気づき、アゲハは慌てて這いずった。
吹き筒を構えて、そっと下を覗く。アーチ形の天井になっていて、通気口は天井に近い壁に開いていた。地面までは十メートルほどある。
突然発砲音が鳴り響き、驚いた彼女はついた手が通気口カバーを突き抜けそうになる。この間の木登りとはわけが違う。落ちたら落下死待ったなしだ。
息を潜めて、背中を合わせる二人を観察する。取り囲まれているが、既に足元に何人か転がっている。
ハイエナは手綱を引くような素振りで、何かを引っ張る。目の前の男の首から血飛沫が迸(ほとばし)った。途端にがっくりと脱力する。ここからでは目視できないが、恐らくあれはワイヤーである。
「それにしても、心というのは不思議だ」
(まだ言ってる……)
ハイエナがそう言いながら右足を地につけ、左足で壁に踏み込む。すると、背後の二人が首元を手で押さえてもがき出した。足を曲げてさらの踏み込むと、プシュッと音を立てて襟が真っ赤になると同時に何か細かいものが散乱した。
それが指だと気付き、アゲハはヒヤッとする。
また立て続けに銃撃が鳴るが、事切れた肢体をまるで傀儡のように操り、防弾する。
踵で銃を蹴り上げて奪うと、彼の肘が敵の胸板にめり込む。その男が痛みに呻きくの字に体を折ると、彼はあや取りをする要領で両方の手の指を開いた。それが項垂れる男の顔に当てがわれた瞬間、目を逸らした。
断末魔の叫び声が上がる。
この一連の抹殺が、ほんの数秒で進むのだ。
「そうですね、ハイエナさま。いとも容易く心移ろうかと思えば、頑なに変わらないこともあります」
ホウジャクはそう言いながら、背後で暴れるハイエナに微笑みかける。
「……本人の意思、他人の意志関係なく起こります」
誰のことを思い浮かべながら言っているのだろう、アゲハはふと思った。
彼は銃を構え、引き金を引く素振りは見せる。やはり先ほどと同じ原理のようで、音もなく人が倒れて行く。だが、メガホンのときより遠くの敵が倒れる。恐らく、何らかのビームの指向性が銃タイプの方が高いのだろう。
後ろからの拳を躱し、足で転ばせると左手のメガホンで銃弾を外させる。銃を構えて撃った男は先ほどのように仰向けに倒れると、仰臥位のまま事切れた。
不思議なことに、弾がまるで無くならない。装填した素振りも無いのに関わらずである。
(……何あれ!? どういう仕組み何だろう)
アゲハは息をするのも忘れ、小さな覗き穴に額をくっつけて食い入るように見た。
足元に広がるのは、二人の唯我独尊な殺戮現場だった。
二人は時に談笑を交しながら、ショウジョウ一味の残党を羽虫を潰すかの如く殺していったのだ。大勢で殴り掛かってもその拳が届くことはなく、銃を発砲しても銃弾が防がれるか外されるのだ。
アゲハはハッと何かを思いつき、タブレットを取り出すと【攻撃は避ける、防ぐ】とメモ書きした。二人を見て気付いたことがあった。アゲハが見ているうちで一度も攻撃を受けていないのだ。つまり無傷ということである。
もちろん二人が闘い慣れしていて、強いというのもあるだろう。ハイエナのワイヤーはド近距離戦に持ち込めるためる上、断ち切ることができない銃相手には有利である。ホウジャクの武器もまるで銃火器には通用しない。そういった相性の問題も確かに存在する。
だが、それだけが理由ではない。例え、大したことのない一発の拳、蹴りでも決して受けないのである。
やがで、死体が山積みになると、勝てないのが分かったのだろう。まるで蜘蛛の子を散らすように、残党たちは逃げ出した。
二人が体育館倉庫に歩を進めようとした時だった。ハイエナのすぐ背後の一人がむくりと起き上がったのが見えた。アゲハは吹き筒の先を通気口から出すと、吹いた。
だが同時に、心臓がひゅっと落ちていく感じがした。針先が男に刺さる前に、ハイエナは男に気付いて仕掛けていったからである。針先と男の間合いに彼の体が滑り込む。
注射筒の中身はアコニチンである。ハッと息を呑むと同時に、彼女は目を疑った。
何と彼は背中を向けたままアゲハの注射針をサッと避けたのだ。
それと同時に両手で何かを引っ張る手の形を作る。そして、ぐちゃりと男の顔に見えない糸を絡めると、素早く片手で持ち替えると後ろ向きに引っ張った。
ハイエナの陰で隠れていた男の正面が見える。ぐちゃっとつぶれたかと思うと、だらりと流れる血液に混じってぼろぼろと何かが零れ落ちた。顔の一部だと気付き、アゲハは反吐が出そうになるのをぐっとこらえた。緋色の瞳と一瞬目が合ったように感じ、悪寒がした。
「これ、見やすいところに飾っておけ」
体育館外で合流するや否や、開口一番にハイエナは彼女にそう言うと、黒いポリ袋を投げてよこした。
「ぎゃあ! ……わ、分かりました」
ちらっと人の髪の毛が見え、ムッとひどい異臭が同時に漂う。中身は絶対に生首だった。まじまじと見なくてもすぐに分かった。ギュッと強く目をつぶって、校庭のど真ん中に中身を捨て、袋も拾わず踵を返す。髭の毛穴の感触、痘痕(あばた)の凹凸(おうとつ)、脂っぽい肌質が嫌に手の平に残る。
「う、うわあ! 魔女が来た!!」
「全部武器は持って行っていいから、勘弁してください」
「すみませんでしたーっ!!」
校庭から校門を出るまで、一行の存在を見つけると皆口々に叫んで散り散りになっていく。アゲハは何もしていないのに、変に居心地がよかった。
「……男だっての」
ホウジャクだけは、真っ白な頬を染めて居心地が悪そうにしていた。
「あれは、わざと俺に向けて矢を飛ばしたのか?」
帰り道、ついにアゲハの失態について言及がなされた。滅相もない、という具合に、慌てて大きく首を横に振る。
真っ赤に燃える夕焼けが、廃都市の老朽化した街並みを鮮やかに照らす。この時間だけは、廃都市は楽園のような雰囲気に包まれるのだ。
「そうか」
下手に言い訳しない方がいい、と思い、目だけで無実を訴えた。その所作が功を成したのだろう。彼は短く呟くと、続けた。
「俺は、お前たち二人とは違う。お前が何を考えているのか分からない」
夕日で彼の横顔が翳(かげ)る。彼がその言葉を、今どんな面持ちで、どんな気持ちで言っているのかまるで分からない。
「……私も、知らないことばかりですよ」
そうだ、アゲハだって知らない。出生も歳も、家族構成も……、保衛官として捕らえられる前の姿を何も知らない。分かるのは、憤怒、厭忌(えんき)、憎悪……その“悪意”の数々だけだった。
彼がつっ、と歩を止めた。
「ハイエナさん、あなたの“悪意”の矛先はアンティーターだけじゃない。もしかして、人を、人類を憎んでいるんじゃないですか? あなたは一体――」
そこで口を噤(つぐ)んだ。なぜなら、彼女の腕をぱっと掴むと自分の頬に当てたからだ。初めて触る、頬の感覚に顔が熱くなる。彼女の手を握る、彼の掌が冷たい。そして、もう片方の手で、アゲハの頬にそっと手を当てる。
「知りたいのか? 俺のことを」
夕日を背にし、彼の顔は翳っている。でも、今なら嫌と言うほど見える。吐息が聞こえるほど、心臓の音が聞こえるほど近いからだ。
いつもの何の感情も持ち合わせていない無表情な顔と、夕日と同じ色をした瞳が、アゲハの視線をとらえて離さない。
この雰囲気を知っている、と、彼女は妙に冷静な頭で思い浮かべる。好きな映画で観た、あのシーンを。そうだ、あの後は――。
「いだっ!」
アゲハは、何とも間抜けな声を出した。デコピンされた? また指でつつかれた? と、理解するまで時間がかかった。おでこの真ん中が、ジンとする。
「……ふっ。変なことを考えていた、というのは分かった」
ハイエナに笑われた瞬間、かぁっと顔中の毛細血管に血が回るのを感じた。心臓がバクバクして、音が聞かれそうだった。
「なっ! 何も、変なことなんて! 考えてませんよ!!」
アゲハはそう叫ぶと、速足でその場を去った。大丈夫だ、きっと顔の火照りはあの夕焼けが消してくれているはずだ、そう言い聞かせる。全然走ってなんかいないのに、心臓の高鳴りは消えなかった。
彼が何を考えているのか、今日も分からなかった。それどころか、もっとぐちゃぐちゃになってしまった。
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