5-2

 生温い冬の風が吹くA1地区の一角、かつては学校だったのだと思わしき場所にアゲハたちは赴いた。目的はショウジョウ一味の所有する武器庫を襲撃し、強奪することだ。

 A1地区と言えば嫌な思い出がある場所だった。



「ついて来い。ここでの生き方を教えてやる」


 スッと顔を曇らせたアゲハに目もくれず、ハイエナは言い放った。生き方、と言えば人聞きが良いが要するに人の殺し方であろう。自分を殺し屋にでも育てるつもりなのだろうか、と思う。

 これは映画やドラマの話ではないのだ。武装した大勢の群衆の中に、温室育ちの女子高生が放たれる。どう考えても、どうもありがとうございます、とは言えない状況である。だが、彼女に拒否権はもちろんない。

 そのあと有無を言わせず、「嫌だというなら、ジガバチを叩き起こして連れていく」と続けたからだ。

 あの日、大きく膨らんだ太鼓腹に、ヤブイヌの靴先がめり込むと、ショウジョウはすぐに武器庫の在り処を吐いた。


「……いくら欲しい? お前たちを雇うよ。いや、何なら傘下に入ってもいい」


 汗でテカテカに顔を光らせながら、ショウジョウは早口で捲し立てた。娯楽の少ない廃都市では、喧嘩賭博というのは相当に儲かるようだ。

 機嫌を窺がうような作り笑いを必死に貼り付け、媚びるような視線で見上げる。だが、そんな彼の首元にギザギザな歯が付いた鋸(のこぎり)が当てられる。

 ヤブイヌが静かにそれを手前に引いたとき、彼女はその場を立ち去った。彼の“悪意”を全く感じないのが逆に恐ろしかった。代わりに、去ろうとするアゲハを見た瞳は酷く哀しそうだった。



 校庭を囲むようにL字型の校舎が建っている。その少し離れた場所にある体育館が、ショウジョウ一味所有の武器庫となっていた。

 アゲハは校門で、足が竦んだ。校門にはネオン色のスプレーで【立ち入り禁止】の文字がデカデカと書かれている。さらに、校庭の遊具や校舎の壁や窓、至る所に悪趣味な文字列やイラストが描き殴られている。廃都市にきて初めてこのようなものを見たとき、一生縁のないものだと思っていたころが懐かしい。


「そういえば、俺はまだ昨日の問いの答えを聞いていない」


 恐怖にがちがちと歯を鳴らしている彼女に対し、ハイエナは言った。あの問いには、真面目に答えなければいけない義務があったことに驚く。


「あの状況は、お互いが殺意がないということを、同時に確信しなければ生まれないものだと考える。なぜだ? どうやった?」


 彼の顔を見上げると、問いかける眼差しは真剣そのものだった。「えぇ……っと」と返答に困る彼女を遮ったのは、プフっと吹き出したホウジャクの息遣いだった。


「す、すみません。何のことかとても気になりまして」


 ハイエナがホウジャクの方を見た瞬間、慌ててハッとした顔をして謝罪する。彼の反応も分からなくもない。感情をここまで具現化することに拘りを持つ人間は、そういないだろう。しかし、彼の生い立ちを考えるとそれもまた仕方のないことだ。

 だが、ここまでその話題を引き出して来るのは少々緊張感が足りなさすぎるのではないだろうか。自分はこの件には必要ない人員であると思っていたが、急に不安が募った。


「おい、てめえらここで何してやがる」


 校庭に入ると、校舎の玄関奥からぞろぞろとガラの悪い男たちが出て来た。しかも、みんな右手に真っ黒な拳銃を光らせている。早速降り下りて来た死亡フラグに、アゲハは思わず「ひっ」と声が出る。

 という状況下にも関わらず、二人はまるでどこ吹く風状態である。


「聞いてんのか!?」


 真ん中のスキンヘッドの男が、拳銃を構えた。頭に黒光りするハエのタトゥーが翅を広げている。複眼の部分は真っ赤だ。


「ホウジャク」


「はい」


 ハイエナが静かに名前を呼ぶと、ホウジャクはさっとその間合いに入る。取り出したのは、肩に掛けていた真っ黒なメガホンのようなものだった。だが、ホウジャクがそれを繰り出したのと同時に、男は発砲した。

 彼が撃たれる! そう思った瞬間、弾はホウジャクの右腕数センチのところを通り抜けた。

 男は外したのだ。アゲハはほっと胸を撫で下ろす。彼はニヤッと笑う。だが、にこにこと笑うだけでメガホンを口元に持ってくるわけでもない。

 だが、その口元が、「……バン」と言った瞬間、スキンヘッドは後ろ向きにぶっ倒れた。まるで見えない銃弾に撃ち抜かれたようだった。体を痙攣させて、やがて動かなくなる。


「う、撃て!!」


 残りの三人が一斉に拳銃ホウジャクの方向に向け、引き金を引いた。バン! という乾いた音が立て続けになる。あぁ、終わりだ、とアゲハはぎゅっと目を閉じた。

 しかし、驚くことが起こった。何と、一発も当たらなかったのである。それどころか、後ろにいるハイエナやアゲハにもかすりもしなかった。


「何やってんだぁ!! 当てろ!! 誰でもいいから当てろ!!」


 一番右の男が、上擦った声で残り二人に罵声を浴びせる。

 この時気付いた。最初の一発目は外したんじゃない、“外された”のだ。「……ふふっ」という、まるでもう笑いをこらえ切れない、と言ったような笑い声が聞こえる。

 一人が乱心した様子で発砲した。続いてほかの二人も引き金を引く。

 だが、またしても当たらないのだ。

 ついに真ん中の小太りの男が、腰を抜かした。カっと目を見開いて、膝小僧を震わせている。


「じゃあ、僕の番ね」


 軽く握った右手で口を手で押さえながら、ホウジャクが言った。目下の戦闘より、笑いを押し殺すのに必死、といった具合である。

 メガホンを向けた瞬間、わぁっと叫びながら両サイドの男たちが真ん中の腰抜けを置いて駆け出す。


「さようなら、蛆虫ちゃんたち」


 一人、また一人とバタバタと倒れて行った。体を痙攣させ、やがて動かなくなる。


「……すごい」


 アゲハは思わず感嘆した。四人の命が音もなく消えて行ったのにも関わらず、感心している自分に驚く。

 思わず駆け寄って、死体の状態を見た。耳、目、鼻それぞれから出血が見られるが、ほかに変わったことはない。


「魔法使いみたいですね」


「ただの物理オタクだよ」


 事切れた四人を見下ろしながら、ホウジャクは微笑んだ。


「アゲハ、お前はここから大人しく鑑賞していろ」


「えっ!?」


 刺客の死亡を確認した三人が、体育館に着くとすぐ、ハイエナはアゲハの頭上を指さして言った。指さす方向を見ると、小柄な彼女ならギリギリ入りそうな排出口があった。恐らく換気口であろう。まさかこの汚い穴に……、とアゲハは嫌な予感に顔を強張らせた。

 その予感は当たった。ハイエナは彼女の返事も聞かずに、肘打ちしてダクトフードを外すと、彼女の服を引っ掴んで頭から突っ込んだのだ。


「うっ、くさぁ……」


 カビと埃と、そして何とも言えない異臭がムッと鼻を突く。四角いダクトに手をついただけで手が真っ黒である。手下を見たら、埃と土が合わさってもこもこの絨毯になっているではないか。アゲハは発狂しそうになった。


「そのまま真っすぐ突き進んだら体育館だ。真下に通気口が開いているはずだから、そこで見ていろ」


 アゲハはナナホシの空間把握能力を呪った。間違いなく下見済みだろう。

 思わぬ形で殺し屋としての洗礼を受けた彼女は、フリーズする。そんな彼女のお尻にハイエナは容赦なく肘打ちを食らわす。


「早くしろ! 」


 苛立たし気にそう言って、ぐりぐりと乱暴に押し込んだのだ。後方でホウジャクの笑い声が聞こえた気がした。

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