4-6
ちょうど同じころ、ハイエナとアゲハはヤブイヌと会っていた。
「上手くいけば、二つ目のスワームのことが掴めるかもしれないそうだ。間者をお前に引き渡すから、後は頼む」
「……それはいいとして、お前はジガバチ君をどうする気なんだい?」
「ふん。それは、こいつに聞いてみろ」
二人のやり取りを聞きながら、関係性をあれやこれやと考察していたアゲハは、急に話題を振られドキッとする。
返答しかねていると、扉がノックされる。ヤブイヌとホウジャク兄妹は同じ敷地内に住んではいるが、仕事場はそれぞれ別の棟である。よって、来客というわけだ。
「どうぞー」と、とってつけたような声音で、ヤブイヌが声をかけると、大きなアタッシュケースを持った女が入ってきた。
「先日はありがとうございました」
ひどく頬はやつれ、目は真っ赤に腫れていた。ずっと泣いていたのかもしれない。女はアタッシュケースを置く。すると、ヤブイヌに向かって何度も何度も、頭を深く下げた。
「お礼なら、この子に言って」
そう言って、手で示したのはアゲハだった。思わず彼女は目を丸くする。しかし、同じような反応をしたのは彼女だけではない。依頼人と思われる女も、落ちくぼんだ目を大きく見開いて驚いていた。
「貴女の愛する人の敵を討ったのは、この子なんですよ」
にっこりと笑ってそういった。女はアゲハに向かって最後までお礼を言い、そして頭を下げると、出て行った。
「あの……、どういうことですか?」
「ああ、おっちゃんはこう見えてもハイエナと殺し業をやっていてね。さっきの女性はその依頼人。ヤママユはそのターゲットだったんだよ」
ヤブイヌは、にこにこと笑いながら、恐ろしいことを口走る。アゲハはちらっと、聞いていないぞ、という風にハイエナの方を見た。彼はふんっと一笑を付し、肩をすくめる。
つまり、ヤママユは初めから殺すつもりだったのだ。力試し、いや根性試しとでもいおうか。嘘を吐き、人の反応を試し、そして何とも冷酷非情な男だと震えあがった。ハイエナは全く信用に値しない男であると、改めて感じる。最も危険人物だ。アンティーターで、出会っただけで死刑になることは、案外筋が通っているかもしれないと思った。
ヤブイヌも、見かけ通り十分胡散臭い男ではある。そのハイエナを使って殺しをして、お金を儲けているのだ。しかも、あのハイエナがこの男の言うことはあっさりと聞いているわけである。いや、主従関係とでも言おうか。アゲハは二人の関係性について、再び考察を続けることにしたのだった。
☆
……カチーン!!
ゴングが鳴り響き、闘いの火蓋が切って落とされた。ジガバチは観客たちの下品な煽りを頭から締め出すと、顎を引いて相手を睨み上げた。
自分よりも何周りも小さい、二十そこそこくらいの男だ。
何度も喧嘩を繰り返すと経験的に分かるようになってくることがある。それは、相手の強さである。構えた姿、重心の掛け方、視線、殺意……それらで何となくわかってくるのだ。
今まで賭場で、自分よりも強いと思った奴に出会ったことはなかった。相手の反則技で負けることはあっても、腕っぷしだけの勝負で負けたことはなかった。それも、ハイエナに出会う前までの話であるが。
「お前、弱いだろ。だからハンデやるよ。右腕は使わねェ」
ジガバチはそう言って挑発すると、中指を立てた。右腕はあまり使いたくない、というのが本音だ。まだ傷が痛く、力も入りにくい。他の相手もこの試合を見ているのだ。バレてしまっては困る。
しかし、思惑通り、愚かにも相手は挑発に乗ってきた。
「うるっせー! なめんな!!」
そう月並みのセリフを叫ぶと、一直線に彼をめがけて襲い掛かった。ジガバチはさっと最小限の動きで横にズレて、足を引っかけて転ばせる。手を地に着いたところで、何度か蹴りを加える。
男は何とか起き上がろうとするそぶりを見せた。そこで、ジガバチは相手が起き上がるのを待つと、立った瞬間回し蹴りをして再び倒した。その際に重心をかけた右足の腿がズキリと痛む。
思えばハイエナたちに出会ってからというもの、散々な目にあっていた。殴られ、蹴られ、刺され、斬られる。傷が癒える前に次の怪我をするのだ。そのうち何度かは本気で死を覚悟するほどのものだ。明らかにジガバチは蹂躙される側にいた。こうして、蹂躙する側に立つのは久しぶりだった。
ジガバチはもう抵抗する力すら残されていない相手に、再び蹴りを胴体に入れる。そして、髪の毛を掴んで引き上げると、観衆に向かって突き上げた。
だらりと手足を垂らした体を見せつけられた群衆たちは、歓びのどよめきが起こった。口々に何かを叫ぶ群衆の声はやがて、一つのまとまりを成していく。
コーローセ! コーローセ! コーローセ!
殺せというコールの嵐に変わっていった。彼は、ドサッと肢体を打ち捨てるとトドメを刺そうとした。しかし、ここでふと脳裏を過(よぎ)ったのはアゲハだった。
『もう、死んでますよ』
そう言って怯えた瞳で、顔を覗き込む、あの日のアゲハを思い出す。そして、一瞬動きが止まる。躊躇したのだ。
(クソッ! なんでこんな時に……。集中しろ、俺!!)
一呼吸おいて邪念を振り払うと、ジガバチは戦意喪失した男の背後に馬乗りになった。そして、頭を持つとグキッと大きな音を立てて骨を折った。
無抵抗の弱者を一方的に嬲り殺すのは、楽しいことのはずだった。しかし、この死体を前にして不思議なことに、ちっとも心は晴れなかった。何なら、アゲハを庇ってハイエナに半殺しにされた時の方が何倍もマシな気分だった。
そしてようやく、ここで自分の気持ちに気付く。あの日アゲハと薬を作る時間が一番楽しかった、ということに。狩りよりも楽しいことがあることを、ジガバチはあの時、知ったのだ。
「強イね、君は」
何とも奇妙なイントネーションと、抑揚のない声に、ジガバチはパッと顔を上げた。突然降って湧いたかのように表れた男と、目が合う。キメ細かい肌質、妙につやのある茶色の髪、あまりに平凡すぎる中肉中背の体格。これは、アンドロイドだ。
何度か闘ったことがあるから、経験的にそうだとわかる。同時に弱点も知っていた。後頚部という、うなじ部分の皮膚の下に人間でいう脳幹や脳主幹動脈、中枢神経にあたる管の束がある。これが生命線なのだ。
「デも、怪我ヲしテいル。右の太腿ト、右の腕ダな。痛ムだロう」
ジガバチは答えなかった。嫌な汗が出る。何もしていないのに、傷が疼くような気がした。
「俺ハ無駄な殺生ハしタくナい。棄権シなサい」
一見、それは挑発ともとれる言葉だった。だが、彼にとってはそうには思えなかった。本当に、好き好んでこの場にいるわけではないように聞こえる。
「こんなん、てめーを殺すためのハンデだよ」
「そレが答エか」
アンドロイドは態勢を低くして、鋭く殴りかかった。とっさに両腕をクロスしてそれを受けるが、あまりのパンチの重さに大きくぐらつく。後ろに一歩足を引いた瞬間、また傷がジクっと痛む。痛みのせいで隙が生まれた。アンドロイドはそれを見逃さなかった。右頬に一発、そして同時に力の入りにくい右足に回し蹴りを食らわした。
重たい一撃に、視界が揺れ、ジガバチは右ひざをついた。それを見た群衆は、まるで手のひらを返したように、今度はジガバチの敗北の色に沸く。
「……モう止メろ」
相手はあきれたような声音を吐いた。しかし、ジガバチはプッと血痰を吐きだすと再び駆け出した。
「俺だって逃げれンなら、とっくにそうしてるさ」
垂れてくる鼻血の拭い、掴み掛かろうとして飛び掛かった。
(なア、お前だったらどうする? ぜってーに俺を置いて逃げ出したりしねェよな。お前はそういうやつだ)
自分を奮い立たせるために、アゲハに心の中で問いかける。
ジガバチを迎え撃とうと、繰り出す、その一発目の攻撃を敢えてノーガードで受ける。みぞおちに重い一発だ。腹筋に力を込めて耐えるが、痛みに汗が噴き出す。
だが、それを完全に根性で耐え、その隙に左腕を首に巻き付ける。さらに右腕も使って、体重を後ろ方面にかける。
「オラァ!!」
ジガバチは吠えた。そして、全体重と渾身の力で後ろに向かって地面に叩きつけたのだ。相手はほんの一時(いっとき)のことであろうが、スリープのような状態になった。おそらくうなじの生命線に衝撃が伝わったのだ。
だが、ジガバチも痛手を負った。全身を酷使したせいで、傷口が開いたようだ。激痛に呻く。どくどくと脈打ちながら血が流れているのを感じた。
肩で息をしながらその腕を踏みつけると、馬乗りになってもう片方の腕を引きちぎった。腕の痛みで「うぅっ」と思わず声が洩れる。
……カラン
その時、観客席から目の前にナイフが落とされる。なるほど、これでとどめを刺せというわけか。ジガバチはそれを拾い上げると、蹴り上げてそのアンドロイドの肢体をうつ伏せにする。そして、うなじにナイフを当てた。
「……壊さナいデ欲しイ。俺を待ッてイる奴ガいルんダ」
消え入りそうな声が、地の底から響いてきた。吹き飛ばしたら搔き消えてしまいそうなその声に、思わず手を止めた。
コーローセ! コーローセ! コーローセ!
コールに混じって、ヤジも聞こえる。「早く殺せ」と誰かが言った。
だが、ジガバチはナイフを捨てた。
「やめた。次、連れてこい」
近くにいた係員のような人にそう告げると、アンドロイドは奥に引っ張られていった。
凄まじいブーイングの嵐だった。みんな口々に、試合を放棄したジガバチに対して罵詈雑言を浴びせた。酒を引っかけられ、タバコの吸い殻を投げ捨てられ、紙くずや缶、瓶、あらゆるゴミが降ってくる。
しかし、ジガバチの心持ちは、一試合目よりはるかに晴れていた。
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