chapter4:SWARM(猩猩編)

4-0

 凍てつくような寒い夜がやってきた。今宵は月が大きく、いやに明るい夜だった。

 アゲハは濡れた衣服が凍るのではないかと思ったのだろう。すぐに火をおこすと、そのそばで衣類を乾かした。そして手をかざし、体を温めている。

 きっと、恵まれた都市生活では絶対やったことないような慣れない生活を強いられたからであろう。小さな手があかぎれている。

 パンゴリンまでは一日程度で着く。自分一人ならば休まずに歩くところだった。だが、今回はアゲハがいる。最初はピッタリ後ろに付いて来ていたアゲハだったが、徐々に遅れをとり始めたのだ。

 荒野に点在する森や雑木林で、一か所に留まることは危険である。ジガバチが狩りをするときは必ず、常に移動していた。

 特に今晩のような明るい夜は、強襲にピッタリな夜だった。


「そういえば、お前に良いモンあるぜ。ポケット見てみな。ハイエナには内緒で山分けしようや」


 見えない死の匂いに体を強張らせるアゲハに、ジガバチは暢気な口調で言った。そして、自分の上着を顎で指す。

 アゲハがポケットを探ると、札束を取り出した。アンティーターではベーシックインカムの制度が確立しているはずだ。そのせいか、アゲハは札束を見ると戸惑った顔をした。


「……お金、ですよね? これどうしたんですか?」


「この前の娼婦に、仕事の前金貰ったンだよ」


 ジガバチはそう言いながら、ふとあの時のことを思い出した。



「今度の賭場(とば)にね、ウシアブのところの者じゃないかって疑惑が掛かってる男が出場するのよ」


 シャワーを終えた娼婦の女は、艶やかな長い黒髪をタオルで拭きながら、そういった。


「毎試合相手を皆殺しにしてる、優勝候補。だから、勝ち進めば絶対に当たる。コイツを喧嘩賭博の正攻法で戦闘不能状態にして連れてきて欲しいの」


「ウシアブ? スワームか?」


「そう。ウチと双璧を成してるスワームのボスで、ウチにも恐らくスパイが相当紛れていると思う。だから、賭場で私たちが直接手を下す訳にもいかないのよね」


「なるほど。それでどちらの息も吹きかかってない外部の俺は、適任ってわけか」


「そっ!」


 優美な娼婦は聞き分けのいいジガバチに、ウインクした。そして、はらりと体に巻き付けていたタオルを落とす。煽情的(せんじょうてき)な裸体が顕(あら)わになる。官能的な仕草で、女はジガバチの上に馬乗りになった。


「いいぜェ。その仕事、やってやるよ」


 ジガバチは、妖艶な女の背中に手をまわすと、その曲線美をなぞるように手を滑らせた。

 売春は嫌いだった。あの母親(おんな)が脳裏をチラつくからだ。天井を見上げ、一から百までゆっくりと数えてやり過ごすのが常だった。

 だが、今思い出すのは、殴られて腫れた頬を擦り、切れた唇をワナワナと震わせるあの少女(おんな)だった。


『……どうしよう。殺しちゃった』


 そう言いながら、ヤママユの亡骸の横でうずくまったあの日のアゲハが目に浮かんだ。


「けどな、俺は上に乗られんのは趣味じゃねェ」


 そう言いながら女を押し倒すと、今度は自分が上に乗った。

 スパイの一人を残し、それ以外の大勢を一斉に皆殺しにする。そのための最良の選択肢はなんだ? 自分が最も優先すべきことはなんだ? ジガバチは女を抱きながら、ハイエナの支配下で適応する方法について考えを巡らせた。

 状況に無理に抗わず適応すること、ジガバチが聡く生きるための指針にしていることだった。



「こんな大金いただけませんよ……」


「ばーか、そういうのは大人しく貰っとけ」


 ジガバチはうんざりするように言った。


「ショウジョウを(や)るときに、お前がしゃしゃり出て来ねーようにするための賄賂なんだからよォ」


 アゲハは札束を握りしめて、口を真一文字に結んだ。緩む口元を押し留めるためだろう。その様子が面白可笑しく、ジガバチはフッと笑みを溢した。











 やがて夜も更け、火を挟んで向こう側にいるアゲハはうつらうつらとし始めた。小さな荷物を抱きかかえて、眠気と戦っている様子が垣間見える。

 だが、突然アゲハはパッと顔を上げると「……十一人?」と、呟くとこちらに視線を向けた。

 アゲハの言わんとすることを察したジガバチは素早く立ち上がる。そして、彼女をを抱えると自分から一番近い木の枝にアゲハを掴まらせた。自分の背丈をギリギリまで伸ばし、かなりの高さまで抱え上げる。

 火を消すと、すぐに複数の足音がジガバチに近づいてきた。

 

「お前、ジガバチだな」


 一番手前にいる顔に傷がある男が口を開いた。そして、消した火の跡をチラリと見ると「……てっきり一人だと思っていたが」と、続ける。


「さァ、どうかな」


 ジガバチはニタニタと笑いを浮かべると、手甲鉤の爪でその男に切りかかった。

 男は一番体格がよく、傷も多かった。恐らく先陣をいつも切っているのだ。さらに、先ほど一瞬だが手で後方にサインを送っていた。

 つまり集団の中で一番強い者であり、この男の指示で集団は動くわけである。そうジガバチは推測を立てた。

 先に殺すのはこう言った者だと相場は決まっている。

 腹に切っ先を突き立てると、反応する間も与えずに皮膚を掻っ捌いた。崩れ落ちる男を見て案の定後ろの群衆はどよめいた。

 その後方にいた三、四人にさらに攻撃を繰り出そうと踏み込む。だが、同時にザザっと背後で地面を踏みつける複数の足音が鳴った。ジガバチの背後をとっている奴らだ。奴らは雄叫びを上げながら、何やら各々刃物を持ち出して切りかかろうとする。

 その時、十数本、いや数十本に及ぶ針が降り注いだ。ジガバチに一番近い二人に命中したのが見えた。アゲハの吹き矢による攻撃で間違いなかった。


(……いってェ! 俺にも当てやがって!! アイツただじゃ置かねーからな!!)


 数うちゃ当たる、そのつもりで考えていたのだろう。その証拠に、そのほとんどを外し、おまけにジガバチの背中に二本が命中した。

 雄叫びに振り向いたジガバチのすぐ鼻先をその内一人の切っ先が掠めると、バッタバッタと二人は倒れた。さらに、この針は毒が塗ってあるのだ。ジガバチには効かない毒だ。つまり神経毒である。

 ふと、以前アゲハがアコニチンを欲しがっていたのを思い出す。

 アゲハは自分の針がジガバチに当たることは想定していたのかもしれない。


(……まったく、相変わらず怖ェ女だ)


 忘れかけていたアゲハの正体を思い出し、身震いする。

 ジガバチは迫ってくる後ろの一人を蹴りつけて時間を稼ぐと、毒で倒れた二人の影から飛び出してきた青年の首を切り裂いた。

 ここですかさず、長い縄のようなものをすぐ横の二人が同時に投げた。先には鎌状の刃物がついている。一つを右に体を逸らして避けると、もう一つを左手で引っ掴む。だがそこで、すぐ背後から別の男が迫っているのを目の端で捉えた。

 これは避けられない、食らうしかないと身構えたところで、アゲハの針雨が飛んできた。針は男に数本刺さる。男はナイフの刃でジガバチの腕を薄皮一枚切ると、倒れこんだ。

 しかし、ジガバチも同時に膝をついた。湧いて出てきた男に右腿を刺されたのだ。寸鉄すんてつのような形をしていたものだったが、先端は鋭利で、深々と自分の皮膚に突き刺さっている。


「死ね! 盗賊!!」


 刺した男はジガバチを見下ろして叫ぶ。

 微かな音だったが、は! と息を吞む声が聞こえてきた。恐らく動揺したアゲハのものだった。

 小さな息遣いとはいえ、針の雨を降らせるもう一人を探していた敵が聞き逃すはずもなかった。残りの六名全員が同時にアゲハのいる方向を向いた。


「馬鹿! ぜってー降りて来んなよ!!」


 ジガバチはアゲハに叫ぶと、二本目の寸鉄を繰り出そうとしている先ほどの男のを、腹部を鉤爪で突き刺し制す。そして、すぐに立ち上がり、足を引きずりながら駆け寄るが、さきほどのジガバチの警告も空しく終わった。

 一番アゲハの近くにいた小柄の青年が、誰かから名前を呼ばれるとすぐに反応したのだ。

 ひょいっと助走をつけて跳ぶと、アゲハの足首を掴んで引きずり降ろそうとする。アゲハは木の幹と上の枝を掴んで、青年を蹴りつけたり体を捩ったりして必死に抵抗する。


「うわぁ!」


 やがて、アゲハは叫び声をあげて滑落した。落下の痛みで動けないアゲハに対し、身軽に受け身をとった青年は彼女を二発ほど殴りつけた。

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