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 いつものように、学校から直帰する途中だった。自分の家を目指して、黒塗りのアスファルトの坂道を全速力で駆け上がる。一月になろうかというのに額に汗が浮かぶ。

 アンドロイドの看板娘が、ぎこちない動きと無機質な声で店番をしている前を通り過ぎる。一般人は、ああいった随分と古いタイプのアンドロイドを買うことしかできない。

 アゲハは握りしめたスマートフォンをちらりと見た。まだ一般販売されてすらいない、最新型のスマートフォンである。従来のものに五千ミリメートルの望遠レンズで大きめの星が観察出来たり、超高速化した無線給電でほぼ無限に使えるなど、彼女にとってはどうでもいいいくつかのどうでもいい機能が追加されたものである。

 息を切らして角を曲がる。すると、瞬間後方から、「アゲハ!」と彼女をを呼び止める声がした。足を止めて振り返ると、思わず声を上げた。


「スイバ!?」


 今日という日に、彼女が一番逢いたかった顔を見つめる。嬉しさと驚きで声が上擦る。


「中枢部へのお引越し、抽選が当たったって本当だったんだね!?」


 そこには、にっこりと無邪気に笑う少年がいた。その童顔に笑窪(えくぼ)が浮ぶ。

 彼は、以前はアゲハたちが住む、ここ、中枢部ではなく、郊外に住んでいた。だが、小学校の時の専攻が同じになり、席が隣になったことがきっかけで二人の距離は急接近した。誰にでも親しくなることが出来る彼を、席が離れても、クラスが離れても、気付けば目で追っていた。


「そうさ! すっげーだろ! これからは毎日、家出しても大丈夫だぞ」


「や、やめてよ! もうしないよ!!」


 お茶らけた態度で言った彼の言葉に、アゲハは思わず全力で否定した。だが、それに反して顔は火照る。

 言葉通り、今は上手くやっているが、小中学生の頃は、母と衝突しては家を飛び出したり、追い出されたりしていたのだ。そのたびにスイバの家にお世話になっていた。


「あっそ。そりゃあ残念」


 ベーッと舌を出す彼の言葉にさらにかっと赤面した。

 

「てかさ、今日はアゲハの誕生日だよな?」


 そう言うと、スイバは照れ臭そうに、「ほらよ」と言って右手を突き出した。手には小さな花束が握られている。

 白い大きな花びらを付けた花だ。いいにおいがする。どこかで見たことがある気がするが、思い出せなかった。

 照れ臭さと驚きで、何といっていいかわからない彼女は汗の滲む手でそれを受け取る。ありがと、と言う自分の声が、あまりにもぶっきらぼうで呆れ返る。


「モテる男って、こういうプレゼントも粋なんだね」


 照れ隠しのつもりでアゲハは言った。それと同時に素直に喜びを口にできない自分に憤る。


「はあ、そりゃさ、うっかり会っちまったからさすがに何か渡さねーといけないじゃん? 客がキャンセルした花、持って帰る途中だったんだよ」


「ひどい! このどケチ!」


「オマエんちと違って貧乏だからしゃーなし」

 

 つんとした態度の彼にアゲハはムッとした顔を作った。だが、内心それでも良かった。誕生日を覚えてくれていた、それ十分だったからだ。

 スイバの家は花屋を営んでいた。以前の家は郊外とはいっても、そう遠くない距離であった。あの時は小学校帰りに毎日のように遊んでいた。よく、花の名前や花言葉を教えてもらっていたのを思い出す。

 悲しいことにそのほとんどは覚えていない。特に花言葉に関しては、アゲハの人生にあまり必要のないものとして、耳を通り抜けていたような気がする。


「白いけど、一応ツツジだよ。かなり早い時期だけどさ」


「あ、待って白いツツジの花言葉ね、思い出す! えーっと……」


 スイバはやたら花言葉に詳しかったのを思い出したアゲハは、必死に思い出そうとした。彼は本当に粋な人間で、小さなころからすでにその頭角を現していた。

 忘れもしない、初めて喧嘩をした日のこと。登校すると、一輪のマーガレットが机の上のに置いてあった。ギリシャ神話にも出てくるマーガレットの花言葉は“真の”“永久の”である。彼女の小さな恋の芽吹きは一瞬で爆ぜたのは言うまでもないだろう。


「バカ、後で絶対調べとけ!」


「くだらなかったら、怒るからね」


 そう言って一緒に笑い合う。しかし、一方で、何も変わらない彼に胸騒ぎを覚えた。恐らく彼の高校生活は、アゲハ一人いなくても何も変わり映えしない毎日なのだろう。しかしそんなスイバに反し、アゲハには仲のいい友達がいなかった。医学の授業だけが楽しかった。

 母が厳しかったのである。成績が下がれば、何と言われるか分からない。現に中学の時、成績が落ちたため、進学すると厳しさを増した。彼女の高校生活には、放課後友達とおしゃべりしたり、ショッピングをしたり、なんて言うことはなかった。

 アゲハは幼いころから、その年齢に見合わないレベルの知識を叩き込まれた。その知識は、薬学、化学、医学、生物学……そして工学や数学に至るまで幅広かった。

 アンティーター管轄のカーディアックシステムが個人個人の能力に最適な専攻科目を導き出してくれるため、得意な学問だけを先行することができた。それにも関わらず、執拗にアゲハだけにはすべての学問を教え込もうとするのだ。苦手な科目が見つかるにつれ、アゲハは劣等感と敗北感を味わった。

 さらに、今日の医学の実技テストでは成績は中盤だった。


「悪くない、って言われたのになあ」


 上手くいかないとき、ふとあの時のハイエナの言葉を思い出した。

 自分の家のドアのノブに手をかけると、指紋センサーが反応するのを無表情で待つ。

 カチッと音が鳴り、鍵が開く。その音を聞きながら思わずため息が出た。


「ハッピーバースデー、アゲハ」


 家に帰り着くと、アゲハより先にお母さんがいた。そしてにこにこしながら台所から出てくる。

 嬉しいはずの光景だが、言い表せない不安と胸騒ぎがした。

 その手にはお盆の上に乗ったケーキがある。そのケーキのデコレーションから、それがアゲハのためのものだと分かる。


「うっそ! 今年は手作りケーキがあるの?」


「ちょっと休みができたから、腕を振るっちゃった」


 母は、そう言うとウインクした。胸にちらつくもやもやを悟らせまいと、アゲハははしゃいだ振りをする。


「ねえちゃんおめでとうー!」


 その時、ヒイラギが横から出てきてクラッカーを鳴らす。助かった、ふとそう思った。


「うわ! この花束、スイバ君から? いいですねえー、これが白馬の王子様ってやつですかい」


 アゲハが抱えていた花束をめざどく見つける。


「えっへん、絶賛告白待ちですが、今日もダメでした」


「自分からしなよ」


「無理だよ! 絶対フラれるもん」


「うわぁ、ねえちゃんチキってやんのー。……いいなぁ私も恋したいわ」


 中学生のくせに、このませた妹は化粧をし、髪を染め、ピアスを開けてお洒落に勤しんでいる。茶目っ気も色気も、そして自由もあるヒイラギを見つめながら、アゲハは胸を痛めた。


「悔しかったらひーちゃんも、中学校でいい人見つければいいじゃん」


 アゲハは鼻にかけたような声で嗤うと、そんな気持ちを振り払うように誇らしげな顔で威張った。それを見たヒイラギはムッと顔を膨らませる。そして、くるっと後ろを振り向き、居間へ向かった。


「クソガキばっかしかいないんだもんー! あーあ、私も恋したいなあ。ねえちゃんばっかモテすぎぃ」


 ヒイラギの悔しそうな声が遠くなる。たった一人、スイバとほんの少しだけいい感じだからって、モテすぎだと僻むのは度が過ぎている。さすが妄想大好きロマンチストのヒイラギである。

 その時静電気のような痛みを感じた。“悪意”である。やばい、そう思ったが少し遅かったようだ。

 母の顔をちらりと見る。


「スイバ君に会ったのね。可愛いお花じゃない」


 母は何度か児相に彼の両親から通報を受けていた。つまり、スイバの話は母の前では禁句だった。浮かれすぎていたアゲハはそのことをすっかり忘れていた。


「誰か私を連れ去ってくれないかなぁ……」


 白馬の王子様を期待するような、ヒイラギらしい願望で、アゲハのみが感じる張りつめた空気が緩んだように見えた。

 思わずアゲハと母は同時にクスリとする。針で全身を突き刺すは、もう消えていた。母はニコニコしながら、アゲハに時折を向けるのだ。


「ひーちゃんも恋より勉強!」


「へいへい」


 母がその後を追いかけた。

 その二人を見ながら、居間に入る。目の前のディスプレイに誕生日帽子を被ったベアちゃんが映っていた。


≪アゲハ、オタンジョウビオメデトウゴザイマス! ステキナ17サイに、ナリマスヨウニ≫


 そういうと、画面の中でクラッカーを鳴らした。


「ありがとう! でも、お誕生日帽子被るの、主役の私なんだけどね」


「ホントだ。ベア、帽子被ってんじゃん」


 ヒイラギがニヒヒと、彼女を指差して笑った。

 


「アゲハは、お父さんに会いたいって思ったことはある?」


 母がケーキを切り分けながら、ボソリと言った。アゲハは返事をするのをためらった。会いたくないわけではないし、興味がないわけでもないのだ。なぜ母がそんな質問をしたのが気になったからだ。


「お父さんは死んだんでしょ? 死人には会えないよ」


 そう言うと、彼女は少し困ったような笑いを浮かべた。


「でもさ、もし、お父さんが生きてたとしたら――」


 何かを言いかけて母が手を止めた。ヒイラギが息を呑んだからだ。

 その瞬間だった。


 ピンポーン


 来客を知らせるチャイムが鳴り響く。母が扉に向かい、何やら言い争う声がする。その間、ヒイラギはずっと顔を強張らせ、小さく震えていた。それに気づいたアゲハは、嫌な予感でじっとりと汗をかく。

 母の静止を振り解きながら、玄関からドアを蹴破らんばかりに叩きつける音がする。

 そして、床を打ち鳴らす土足の足音が、私たちのいる方へと歩み寄る足音がする。一人ではない。複数の足音だった。

 ただならぬ空気を感じたアゲハはヒイラギに近づいて抱きしめる。ドスドスと響く重たい足音と、歩く度に鳴る金属同士がふれあう音が緊張感を与える。

 アゲハは身を固めた。


「どうして今なんです!? 今日は娘の誕生日なのよ!」


 激高する母と共に、侵入者は部屋に飛び込んで来たのが目に映る。娘の誕生日、という母の言葉に胸がキュッとなる。

 驚愕の表情を浮かべながら、母がこちらを見る。アゲハも彼女と目を合わせた。

 そして再び音のする方に目をやった時、アゲハは絶句した。真冬に冷水を浴びたような、そんな寒気が頭のてっぺんからつま先までザーッと流れた。

 侵入者は、三人の保衛官だったのだ。

 ヒイラギを抱きしめる手のひらがじんわりと汗で滲む。ヒイラギはガタガタと震えていた。いや、震えていたのはアゲハかもしれない。

 やっぱり、良くないことの予兆だったんだ。あの母が手作りケーキを作って帰りを待っているなんて! そう思わざるを得なかった。

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