ぼくがつぶした黒インクは、夕焼け空だけでなく私をも染めた

michino_gyo

ぼくがつぶした黒インクは、夕焼け空だけでなく私をも染めた

 最安価の最高のギア、所謂いわゆるママチャリのペダルは、私に重さを感じさせなかった。テスト前の気のあせりのせいかもしれない。こんなことをしている暇がないと私の中の何かがつぶやく度、夕日のせいにして赤信号に気付かないふりをした。

 一番近いスーパーの中の大手書店の文房具コーナーに、カートリッジ式のインクはなかった。大きな文房具屋にいこう。決心する。ここに自転車をおいて電車に乗ろうか、自転車で飛ばしたほうが早いだろうか。迷う時間が惜しくて、自転車にまたがる。また進み続ける。


 私が万年筆で勉強するようになったきっかけは、中学の卒業で別の学校に進学した友達にかっこつけた手紙を書こうとしたことだった。進学する高校を決め、わずかな休息期間を万年筆の練習に充てた。忘れ去りたいほどに痛々しいことを書いたものだ。「ぼくと友達になってくれてありがとう」これ以上のフレーズはもはや私の心の筆では表現したくない。いや、もはやできないのかもしれない。ただ、今思えば当時、私が友達と呼べるのは彼女ぐらいだったし、それは今でも変わらないかもしれない。

 きれいに書けるようになれば、クラス中がシャーペンを使う中、授業前一人鉛筆を机に並べていた僕でも自然とそれを持つ機会が減り、今やテスト本番以外で黒鉛に触れない。

 鉛筆は母がかってきてくれるがインクは自分で買うようになった。大人びた気分だ。

  道は線路沿いに進むから、比較的まっすぐかつ直角だ。

 二車線の車道の一番左端をかっ飛ばす。ルールを無視してゆっくりこっちに向かって進んでくる親父に眼を飛ばす。何考えてんだって、口を使わずに訴える。

 徐々に都市部が近づいてきて、にぎやかな風を感じるようになる。こういうのが苦手な私にはうっとうしかった。

 

 ハイドした死神が背後から首に鎌をかけるとはまさにこのことだろう。車道の信号を見ていた私は油断していた。まさか突然歩行者分離式信号になるとは思ってもいなかった。いや思っていても突っ込んだかもしれない。ちょうど左折してきた赤い乗用車――――――


 



 よく狂ってるって言われ続けていた。人と、特に同世代の奴らとは哲学がミリも合わなかった。げらげら笑いあっているのを見ていらいらしていた。とてつもなく居づらくて、羨ましくて、悔しかったんだと思う。

 だからいつの間にか勉強するようになって『私』になりきった。いくつかの大人は認めてくれた。それで、『私』をやり続けるうちに見えなくなったんだ。『私』は僕にとって鮮やかすぎて、光を当てると色が飛ぶんだよ。

 友達のことが羨ましかったんだ。彼女は、いやはすごい奴だった。少なくてもきみは、僕と似た哲学があったと思うよ。恋愛映画を見て、みんなの前で泣いていた。好きなものについて語って、それで人を引き込むほど話がうまくて.......そんなんだから僕よりも友達が多かった。でも自分を曲げずそれでいてやさぐれて人に合わせ続けるわけでなく。あんなふうになりたかった、二つの赤いヘアピンで整えられたその顔が目の前にある。


  君は長い髪のを見ては、笑ったね、前が見えないだろうと。

 

 君のくれたヘアピンはもうどこかに落としてしまったよ。


  はもうつけることのできない。


  赤は、もう私には似合わない。



 赤とは私にとって格別な色だった。に勇気をくれて、活力をくれて、足を止めさせてくれる色だった。それが、今のを、評価する色になる。いつからだろう、100であれば至高の喜びで、赤い円を血眼になって数えるようになったのは。赤信号で止まれなくなったのは―――――—




 気付けば350°ほど回転して歩道に乗り上げ、転んでいた。人を巻き込まなかったのは本当に救いだった。赤い車後部席から、だれか僕を見つめている気配を感じる。やさしい笑みを感じた。


  あいつだろうか。


 そのあとは、なんだかさなぎになったきぶんで、わたしのなかはぐちゃぐちゃだった。ぼくはどうやったか、しょてんまでたどりつきいんくをかったらしい。落ち着いてきた頃には、インクとレシートが手に握りしめられていた。今度は急にひどく蝶になったかのような孤高さもとい孤独さをかんじる。

 車との接触はなかったはずなのに、倒したからだろうか、ギアが壊れたかのように重く感じる。必死にペダルをこぐ。こぐ。こぐ。こぐ。こぐ。こぐ。

 そのペダルの動きはまるで、ぼくが丸くなって書けなくなった鉛筆を削るかのよう。新しいようで、常にあるべき姿を取り戻している気がした。ポケットから鈍い感触がする。ぼくは紅い空をいつの間に黒く染めてしまった。 

 

  ぼくは一つ目のスーパーでちょうど足りなかった赤ペンを買った。


 家まであと10分といったところか、突然雨が降り出した。信号がよく見える。止って空を見上げてみる。水滴が重力に引っ張られている。これが小説ならぼくは泣いているって思われるのかもしれないけど、残念賞、正解はにやにやしてました。

   雨は赤インクを、黒インクに拡げて、より深い色にする。

 家に帰れば、母はには気づかずのために作り置きのご飯を温めようとする。先に体の方を温めたいと言い、シャワーを浴びる準備を始める。何をしに行ったのだろう、忘れていたインクの箱をぽっけから取り出す。つぶれたインクはジーパンに完全にしみ込んでぼくの体を黒く染めている。

 何日か経てば、テストが終わる頃には落ちてしまうかもしれない。だから。パンツは残念ながらさよならグッバイ。ダメージが増えたジーンズは、僕が責任をもって着続けるよ。

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