彼女が好きなこと
「好きなことをして生きている人はすてきね。でも、その人たちと自分をくらべるといやになるの。だって、わたしには好きなことがないんだもの」
うつむきながら、彼女はぼくにそう言った。
「てにをは」をまちがえて日記をつけてしまったこと、ティッシュを忘れてはなをすすらなければいけなかったこと。
本当にささいなことで彼女はすぐにうつむいて、弱音を言っては泣きそうな目でこっちを見てきた。
めんどくさい奴だって、そう言ってしまえばいい日もある。
けれど、だめな日に言ってしまうと、本当にくるしそうな顔をするんだ。
好きな子のかなしい顔を見たい人もいるかもしれないけれど、ぼくにはそんな趣味もない。
「大丈夫だよ。きみは、大丈夫」
だからぼくは、そんなときにはそっと彼女の手をとって、両手でつつむ。
かなしいことがあったとき、お母さんがよくやってくれたおまじないだった。
なんの根拠もないけれど、でも、こうしてもらうと大丈夫になった気がしたんだ。
「でも、本当にこわいの。わたし以外の人たちが、好きなことを見つけてずっと先まで行ってしまうことが」
「大丈夫だよ」
だめ押しでそう言うと、ようやく彼女は落ち着きはじめる。
両手をはなして、そっとだきしめると彼女はようやく大丈夫になる。
「ぼくの持論では、そもそもぼくらはみんなはじめは何よりも生きることが好きなんだ。そして、生きることより好きなものが見つかったとき、その人は何もかもを捨ててしまう。ほんとうに何もかもさ。ぼくも好きなことはないけれど、生きることが好きなんだって思ったら、気が楽になったよ」
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