第10話

 留置場で、アルバートは男と向かい合っていた。空気が重苦しいのは、留置所の造りが悪いからだろう。石造りで薄暗く、湿度も高い。快適な造りにする必要はないが、これでは尋問する側も気が滅入る。そもそも、尋問や拷問自体を、アルバートは好きではなかった。

「それで、雇い主を喋る気は、あるのか?」

「ないね。喋ったら、仕事がなくなる」

 亜人保護管理局タンタネス支部、実戦部隊の隊舎内にある留置場が、時計台で確保した男たちの連行先であった。幾つかある部屋の一つ、アルバートの前には、統率していたリーダー格の男が一人だけだ。そう広い設備でもないが、最低限の隔離として、統率者と部下たちとは、引き離している。連絡を取り合って口裏を合わせられても困る上、この男が指示を出せば厄介に団結されかねない。

「俺は、あまり拷問は好きじゃない」

「だろうね。あんた、そんなまどろっこしいことより、暴れ回る方が好きそうだ」

 男の拘束は、鎖に繋がれた足枷と手錠。亜人に対す対処に比べれば、正直に言ってかなり軽い。この男たちが直接亜人に危害を加えてはいない以上、アルバートが取れる手段も限られてくる。

「まあ、専属ってわけではなさそうだな。街の闇ギルド、その辺りのヤクザ者か」

「ほう。何故、そうだと」

「呑気に、次の仕事を心配しているからだ。専属で雇われているなら、捕まった時点で仕事はもうないだろう」

「確かに、それもそうか。ああ、俺たちは街の闇ギルドの構成員だ、間違いないぜ」

「存外、あっさりと認めるのだな」

「秘密にしても、なあ。この程度の情報を喋ったところで、あんたらには何ら欲しい情報は増えない。そうだろう」

 ほとんどが、無駄話に近い。そんな会話で、適当に時間を稼ぐ魂胆もあるのだろう。アルバートが強硬手段を取らない以上、それはある意味正解でもある。この男は、それを読んだうえで仕掛けてくる男だろう。

「そうだな。まあ、そもそも、だ。俺はお前たちには、大して興味もないんだが」

「そうかい、それは残念。まあ、お兄さんの興味は亜人、だもんなぁ」

「皮肉も言えるのだな」

「いいや。率直な意見さね。何せ悪名高い亜人保護管理局様だ。実のところ人間様の相手なんか、どうでもいいんだろう?」

「悪名、か。それだけのことはしている。否定はしない」

「おうおう、強気なのか、開き直りなのか。どっちにしろ、俺は好きだぜ、そういうのは」

 否定はしない、否定はできない。それだけの業は、重ねている。しかし、後悔はない。

「亜人保護管理局の悪名が高い以上、それなりの手段を取らせて貰うが、文句はないな」

「おっと、本気かい、それは」

「悪いが、仕事に冗談を持ち込める性格ではなくてな」

 視線が交わる。冗談を言っているとは思えない、そんな顔を、アルバートは出来ているのだろう。男が視線を外し、息を吐く。

「分かった、分かったよ。だがまあ、先に確かめたいことがある」

「話す気になるんなら、さっさと言え」

「ああ、そうだな。正直に言って俺は、足の骨を折られて、指の骨を折られて、逆さに吊される。そのまま水を掛けられる、その程度までなら耐える」

「それで」

「あんた、それ以上のえげつない手法、取る人間なのかい」

「なるほど。そう来るか」

「いやなに、お兄さんがやろうと思えばやる人間だってことは、俺にも分かる。それも顔色一つ変えずに、な。でもそれは、本当に今やるかどうかとは別の話、だろ」

 口を挟まず、再び静かに、男の瞳を見つめる。目の前の男も冗談を言っているわけでもなければ、時間稼ぎのために無意味な言葉を口走っている様子もない。

「やらないなら時間の無駄だし、俺だって痛いのは好きじゃあない」

「時間の無駄、か」

「違うかい。それに、拷問なんて、する側も精神的に参るものだからよう。拷問が好きって奴なら話は別だろうけど。お兄ちゃんは、好きじゃないって話だからさ」

「随分と、実感が籠もった言い方だな。やってきた口か」

「さてねえ。経験豊富かどうかは、ご想像に任せるさ」

 手強い、そう素直に思う。純粋な戦闘能力だけをみれば、アルバートの方が上だ。だが眼前に拘束された男の強みは、そこではない。この男を強者たらしめているのは、潜ってきた場数と、度胸だ。精神力と言っても良いだろう。

 頑強な心を折るのは、頑強な肉体を破壊するよりも難しい。無論、それ専用の方法がないわけでもなく、アルバートにも知識はある。経験も、あった。ただ、割に合わない。男の言うとおり、過酷な拷問は執行者の心にも傷を残す。正常なままでありたいのならば、剣を振るうほど、気楽に行うわけにもいかない。

「それで、どうなんだい。まだ、俺に拷問をやるのかい」

「そうだな、確かにお前の心を折るのは手間が掛かりそうだ」

 額面通り、本当に手間で、面倒くさい。まともにやっていては、数日は最低でも見積もる必要があるだろう。だからこそ、他の手段を取る。

「先輩、お待たせしました」

「ゲイリー、首尾は」

「上々です。必要な情報はしっかりと」

 手強い相手に侵攻を阻まれるのならば、別の進行ルートを探せばいいのだ。馬鹿正直な正面突破、力押しだけが、戦いではない。有り難くない、実体験の賜物だった。

「ああ、そういうことかい」

 諦めたような、呆れるような、曖昧な笑みを男が浮かべる。悔しがるような表情や、怒りの表情、失望の表情ではないのは少々意外か。

「初めから、狙いはあいつらだったということか。いやぁ兄さんが一番のやり手だと思っていたんだが。そこは俺の油断だな。参った、ずっとそこのエルフの兄さんにもやられっぱなしだ」

「いやぁ、それほどでも。ああでも、その視点は正解ですよ。先輩は、基本的に俺よりも何でも上の人ですから」

 ゲイリーの言うことに、さほどの誇張はないだろう。大抵の実戦に関わる技能は、自分の方が上だとアルバートは自身も自負はある。拷問や尋問にしても、本気でやれば、アルバートも引けを取ることはないだろう。問題は、向き不向きだ。仕事に取り組む為の、精神的なコストと言ってもいい。

 汚れ仕事を、何も思わずに全うするのはアルバートにもできない。鈍く、心に淀む何かを抑え込むことはできるが、それだけだ。だがゲイリーは、汚れ仕事を全く苦にしないのだ。

 エルフが皆そうだ、と言うつもりはない。個人差があるのは、人間と同じだ。だが、やはり寿命の違いが、精神性に与える影響はあるのだろう。ゲイリーは、拷問や尋問の類に対し、精神的な負担をほとんど感じない。ないわけではないのだろうが、その捉え方が人間とは違うのだ。倫理に対する距離感とでも呼べば良いのか。

「負けたよ、亜人保護管理局には。いや、正しくはあんたらには、かねえ。ああ、一本取られたな、これは」

 男は大きく首を振り、ため息をつく。そして、男が牢の中ですら取り繕っていた強者の空気が、それとなく薄れていっている。

「おや、意外と部下の心配はしないのですね。薄情な男には見えませんでしたが」

「いやなに、あいつらは俺に比べれば我慢強くはないからね。人として再起できる程度の責苦で、素直に吐いちまってるだろうからな。再起不能には、なっていないだろうとな」

「凄いですね。それ、正解ですよ。ある種の信頼感、ってことですかね」

 何時通りの軽い調子で、ゲイリーが朗らかに笑いながら対応している。この具合で、先ほどまで尋問をしていたのだ。汚れ仕事をやる時は何時も以上に頼もしいが、同時に恐ろしい男である。リーダー格の男も、それとなく気づいているのだろう。ゲイリー相手に軽口を叩いているが、明らかに警戒をしながらその動向探っている。

「ゲイリー、それで後処理の方は」

「一晩も休ませれば大丈夫かと。肉体的には元気なものですよ」

「分かった。悪いがそういうわけだ。もう一晩、拘留させて貰うぞ」

 視線を、リーダー格の男にくれてやる。ゲイリーを警戒したようだが、諦めの表情は変わらない。一先ず、身体の安全は保証された。それで良しとしているのだろう。

「好きにしてくれ。どうせ、俺たちに拒否権なんてないんだからよ」

「無い、わけでもない。何せお前達は亜人ではなく、人間だからな」

「成る程。これは笑えない冗談だ」

 抵抗する気は、ないようだ。ここまで割れた以上、素直に従う方が得策と切り替えたか。その位の打算は、この男なら当然のようにするだろう。

「行くぞ、ゲイリー。次の準備だ」

 最後に拘束だけ確認し、留置所の鍵を閉め外に出る。逆らわないのならば、それで良い。悲しい話だが、人員を割いている余裕もあまりないのだ。

「クレハ司令は、どう動くと思いますか」

「さあな。俺はあの女狐のことはあまり考えたくもない。それくらいお前も分かっているだろう」

「まあ、知ってますけど。良いじゃないですか、これくらい」

「ふん。だがまあ、攻めるだろうな」

「でしょうね。苛烈な人ではありますから。八つ当たりで僕に文句を言いたくなる先輩の気持ちも、ええ、分かります」

 苦笑いをゲイリーは浮かべているが、そのゲイリーにしても本気でクレハに困っているわけではない。優柔不断な指揮官よりも、余程ましなのは事実だ。

「アイツへの報告は、お前がしろ」

「嫌ですよ。アザレアちゃんのこともありますし、先輩がやって下さい」

「連中を拷問したのはお前だ」

「裏を取っただけですよ。新事実は何も。それに、この案件の担当は先輩ですよ。跡そもそもとしてですね」

「ああ、分かった分かった」

 ゲイリーは柔軟な思考をする割に、こういう所では頑固なのだ。理詰めにせよ、強権にせよ、半端な手段では折れなくなる。エルフらしい、といえばそうなのかもしれない。こうなった以上、手に入った情報が悪い話でないのならば、クレハに報告する方がまだ疲れない。

「これは貸しにしといてやる。今度返せよ」

「了解しました。そうですね、ああ、今度夕食でも奢りますよ」

 返事は適当に聞き長し、呼吸を整え、アルバートは無理に小さく笑う。クレハへの報告は楽しくない。笑わなければ、やっていられないのだ。

「しかし、あの老舗とは、な」

「ええ。正規営業許可の下りている老舗娼館『星見亭』、この街でも、最古参の部類の店ですね。堂々とし過ぎていて、逆に見落としていましたよ」

 アザレアが、時計台で観た建物。尋問した男たちの、雇用主。二つの線が交わり、一つの答えを産んでいた。間違いは、ないだろう。

「お前、あの店に行ったことは」

「昔に一度だけ、ですね。老舗の高級店ですから。女の子はそりゃあ良かったですけど。自腹でそう何度も行こうとは。先輩はどうなんです」

「ない。高いからな」

 高給取りとまではいかないが、アルバートもゲイリーも、魔術武官としてそれなりの俸禄は貰っている身だ。それでも、高いと感じる店である。日頃から通えるのは、高位の将校に高級官僚、大貴族や豪商、本当の金持ちだけだろう。

 普通に営業しているだけで、巨額の資金を稼ぐことが出来る。そんな老舗が危険な橋を渡ってまで、果たして裏の娼館を開くのか。にわかには信じがたいが、逆にそんな老舗だからこそ、秘匿性が高く裏の娼館がやりやすいのかもしれない。何にせよ、踏み込めば分かる話だ。

「まあ、クレハ次第か」

 やる時は、やる女だ。それこそ、やる時は苛烈なまでにやることは嫌というほど知っている。それなら後は、此方が覚悟を決めるだけだ。ある種の、戦になるだろう。アルバートもゲイリーも、その為の心構えをするより他にはなかった。

 情報を、得た。その上で、次の一手を強行する。クレハの下した決断は素早かった。そして、迷いは微塵も感じさせない。

 風俗街近くの詰所に、亜人保護管理局の実戦部隊、その投入可能なほぼ全ての戦力が集結していた。全戦力とはいえ、その総数は十余名。魔術武官の数自体が、そもそも多くはない。そこから、優秀な人材は基本的に軍に流れるのだ。更に言えば。魔力の高い者は国仕えず冒険者になるのが昨今の流行ですらある。その煽りを、受けてもいるのだ。

「本作戦の目標は、俗称月光魔の帳と思われる、風俗街の遊郭、星見亭。衛兵隊への協力要請は済んでいます。周辺の封鎖は彼らに任せています。既に、衛兵の部隊は展開、広域検問は始まっていますので後戻りはありません。正面からの突撃はアルバートの隊が、後方はベックの隊で固めます。後詰めは私が直援で指揮を執ります」

 一度決めたことを、逡巡なく進める。戦場に立つクレハは、そういう意味では頼りになる女であり戦士だ。戦友としての彼女は、アルバートも嫌いではない。むしろ、好ましくさえ思っている。いつもこれならば、どれほど楽に過ごせるだろうか。

 重たい気分を振り払い、事務部屋で待つクレハの下に向かう。部屋では、クレハは司令の席にじっと座り、仮面のような無表情で壁の一点を見つめていた。拷問が終わるのを待っていたのだろう。やはり、司令官としての矜持はあるのだ。

「お疲れ様。楽しい拷問の方は、首尾はどうだったかしら」

「幸か不幸か、予想通りに結果が出た」

 手短に、必要最低限の言葉で状況をクレハに報告する。真面目な仕事の話なのだ。それでもクレハが茶化してくるかは、五分五分だろう。クレハの耳と尾は、殆ど揺れていない。表情は柔和な笑みになっているが、笑っているとは思えない瞳の暗さだ。アルバートの嫌いな笑い方である。

「星見亭が、『月光魔の帳』であることは間違えなさそうね」

「ほぼ確実に」

 表情を変えず、心の中で息を一つ吐く。クレハが、戦場での顔を出している。これなら余計な心労を背負い込むこともない。

「強襲すべきね。踏み込みましょう。出撃準備」

「了解。ゲイリーに通達する」

「軍への包囲要請は私から出します。後はそうね」

 クレハの耳が、いくらか揺れる。嫌な予感はするが、尾の動きはまだ大したことはない。

「アザレアちゃんを連れていく準備をして貰えるかしら」

 意外な言葉が、彼女の口から出た。

「それは、構わないが」

「あら、意外とあっさり了承するのね。貴方、アザレアちゃんには随分入れ込んでるし、てっきり、アザレアを危険な目に合わせられるか、とか言い出すかと思ったけど」

「入れ込んではいないし、こんな時にお前が下らない冗談を言うとは思っていないからな」

 悪戯っぽく揺れていたクレハの尻尾が、スンと動きを止める。表情は変わらず、瞳の暗さはそのままだ。

「ふぅん。信用されてるのね、私」

「指揮官としての力量は、昔から信用している」

「嫌味ね」

「そう受け取るお前の根性が歪んでいるだけだ」

 暗い瞳を真直ぐに見つめ返す。クレハは魔眼の類は持っていないはずだが、昔から異様な圧の目力がある。いや、視線だけではなく、全身から滲みだす威圧感だろうか。この圧と向き合うことは、昔から嫌いだった。この圧を向けられるからこそ、クレハ相手に報告などしたくないのだ。

 こうも威圧的になったのは、いつからだろうか。昔は、魔王軍と戦争をしていた頃は此処まで酷くはなかった気がするし、その頃からそうだったと言われればそう言う気もする。そして、アルバートへの圧は明らかに他人よりも強い。

「まあ良いわ。そう言うことにしておいてあげる」

 暫し無言で睨み合い、ほぼ同時に視線を逸らす。これでは、獣と同じだ。何をやっているのだ、そんな気分に襲われるが互いに口には出さない。

「それで、お前はアザレアを連れて行ってどうするつもりだ?」

「平たく言えば道案内ね。強制調査をされて、何でも素直にハイハイ答えるとも思えないもの。相手の動揺を誘えるし、現地の知識もある。便利なカードよ、アザレアちゃんは」

「そういうことなら、俺にも異存はないが」

「じゃあ、決まりね」

 元々、アザレアを現地に連れて良く言事は、アルバート自身もアザレアに頼まれて考えていたことではある。許可を取る手間が省けた、とも言えるだろう。クレハは面白く無さそうな顔をしているが、アルバートの知ったことではない。普段なら小気味いい気分にもなるが、アザレアの事でこうなるとさほど気分も晴れなかった。クレハの言う通り、少しアザレアに入れ込み過ぎているのだろうか。

「それで、踏み込むタイミングは」

「夕刻には行きましょうか。貴方は隊の準備を。私は軍の方に」

「了解した」

 流石に、本題の決断は早く、迷いもない。アルバートの方もこれで意識を容易に臨戦態勢へと切り替えられる。常にこうあって欲しいとアルバートが思うのは、エゴだろうか。

「二時間後に、会議室に集合。アザレアちゃんには、貴方から話を通しなさい」

「了解した」

 お互いに視線が切れる。これ以上の話は、お互いにない。クレハとの付き合いは、視線でそれくらいは分かり合える程度にはあるのだ。

 クレハに背を向け、歩き出す。その背中に、言葉が投げられることはなかった。

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