第8話
ロングコートとフードが一体化した外套を被せ、アザレアの顔と姿を隠す。地味だが丈夫に作られた外套の後ろには、亜人保護管理局の印が目立つように刺繍されている。亜人の発する魔力を抑える為の術式だ。これは制服ではなく、亜人を連れ歩く為の外套であった。
アザレアを、サキュバスを街に堂々と連れ出して歩く。その為に必要な措置であった。必ずしも亜人を連れて歩く為に、拘束や秘匿の規則があるわけではない。罪がなく管理の刻印が捺されている亜人なら猶更である。ただ、数ある亜人の中でもサキュバスは扱いが難しいのだ。
サキュバスのその性質上、恨み妬む人間も多ければ、魔力抵抗の低い一般人では、拐かされるような者まで出かねない。アザレアの意志に関係なく、特性としてそうなる。街の安寧のためには、彼女の姿を表面上は隠す必要があるのだ。
もっとも、真昼間から外套でその身姿を隠す以上、逆に悪目立ちすることも避けては通れない。とはいえ、脇にアルバートが立っていれば目立った所でさほど問題はおきないだろう。この街で、亜人保護管理局の制服に、積極的に関わろうとする者はまずいないのだ。悪名も悪評も、こういう時には便利なものだ。
アザレアを展望エリアに連れて行き、景色を確認させる。それだけなら、大した騒ぎになることもないだろう。アルバートの個人的な願望で言えば、あの憩いの場で騒ぎは起こしたくはない。精々、アルバート自身が厄介者として認識されてしまう程度、そう、それだけの話だ。
一般市民は、これで目を欺ける。嫌われ者の亜人保護管理局に対して、反応する者がいるのならば。それこそは、アザレアを追う者達で間違いはないだろう。一般市民には、一目にサキュバスと分からないようにはしているが、認識阻害の魔術を使っているわけではない。見るべき人間が見れば、サキュバスだと分かる。餌としても、悪くはないだろう。
この後方、アルバートたちから少し離れた位置には、ゲイリーが居る。補佐であり、護衛だ。具体的な場所は、アルバートにも分からない。自然な形で存在を隠し、街中に溶け込んでいる。無論、大凡の位置、方向は把握できてはいるが、気配の消し方は中々のものだ。街中に、市民の中に溶け込むのも、また技術である。
「アザレア、怖いか、不安があれば、すぐに言え」
脇に立つアザレアの様子は、外套で分り難いが、流石に些か震えが見える。平常心、というわけにはいかないだろう。こんな時に女の子に声を掛けるなど不得手も良い所だが、戦場で震える新兵だと思えば、幾らでも経験はある。
「いえ、大丈夫です。あの、ただ人が多いところは慣れていないので」
「そうか。まあ、俺も人混みは苦手だ」
「アルバート様も、ですか」
「ああ。人込みの中に居ると、自分で自分が分からなくなる」
戦場で、敵味方を問わず兵士が多い。そういう状況は嫌いではない。乱戦ともなれば、多数の生と死に満ち溢れ、むしろ自分の生を客観的に実感できる場である。
アルバートが苦手なのは、市井の人混みだ。そこには、生しかないからだろう。自分の居場所ではないような、妙な孤独を感じてしまう。仕事であればいくらでも向かうが、私用ではあまり行きたいとは思わない。それでも街を見下ろせる展望エリアが好きなのは、視線から個人個人という人間が居なくなるからだろう。
「こっちだ」
「はい」
アザレアの手を引き、時計塔へと向かう。手を握る、それだけの単純接触でも心音が高鳴るが、それは経験と技術で押さえ込む。サキュバスは、やはり扱いが難しい。
ゆっくりと、この街で最も高い建造物、その石段を登っていく。街の中央にそびえ立つ巨塔は、市民にも展望部分が解放されている。街を一望するには一番都合が良い。何時もの日常であれば、アルバートの心も穏やかになる場だ。
流れる風は心地よく、少しの肌寒さもほどよく体を引き締める。流石に今はパンを買う余裕はないが、飲み食いがなくとも、此処が居心地の良い空間であることに変わりはない。
「あの、凄いです、これは」
眼下に広がる街並。街の営みが手に取れそうになる感覚。意味のある言葉を発せないほどの、感嘆となる。その喜びは、男を惑わす女のそれではなく、純粋に、乙女のそれであった。
「お前は、そんな声も、出せるのだな」
「申し訳ありません」
「いや、謝ることではない。気にするな。俺の口が悪いのだろう」
好きか嫌いかでいえば、純情な乙女である方が好きだ。アルバートにとって、女という性、それを意識して生きるのはあまり好きではない。もっとも、それはアルバートの身勝手な言い分に過ぎない。アザレアに押しつけるようなものではないことは、痛いほど分かっている。
「まあ、今は好きなように眺めろ。それからだ」
「はい」
今この場で、周囲の様子を気にするのは。アルバートの仕事である。アザレアには、落ち着いて街を見渡して貰うことが大事だ。
「流石に、騒がしいな」
アザレアには聞こえないよう、小さく呟く。亜人保護管理局だとアピールしている以上、何時も通りというわけにもいかない。ひそひそとした噂話なら当然、此方に直接聞こえないように話している分、むしろ気を遣って貰っているくらいだろう。
噂話を別にして、周囲に怪しい動きはどうか。間違いなく、動きはある。不自然に付きまとう気配があった。気配を隠してはいるが、隠していることが伝わっている以上、あまり上手い尾行ではない。だが、釣り上げるにはまだ早いだろう。下手な尾行も、演技の可能性も高い。
「今は、ゲイリーに任せておくか」
大きな動きがあるまでは、気にし過ぎても仕方がないのもまた事実か。これを釣りだと思えば、なるほど、確かに根気比べにもなるだろう。部下を信じて待つのも、偶には悪くない。
アザレアの隣に立ち、ゆっくりと街を見渡す。落ち着いているのなら、飲み物の一つでも買っておけば良かったか。そんなことを思わせるほど、表面上は穏やかだ。
このまま何事も起きないのではないか。
街の変わらぬ風景を見ていれば、思わずそう望んでしまうほど、穏やかな空気がこの場所には流れている。
「アルバート様」
「どうした」
「場所を、移動しても大丈夫、でしょうか。その、反対側も」
「分かった。移動しよう」
「ありがとうございます」
「礼を言う様な事じゃない。これくらいで、礼を言う必要はない」
「あ、はい」
「まあなんだ。落ち着いて、眺めてくれればそれでいい」
景色に癒されつつも、アザレアは流石に少し緊張している。気負うな、と言う方が無理があるだろうが、血眼になっても良い成果が得られるようなものでもないだろう。
相変わらず目を輝かせながら、それでも必死に街を凝視するアザレアの隣で、自分も壁に腕を乗せて寛ぐ。ぼんやりと街を、そしてアザレアを見つめながら、時が流れるままに、身を任せる。
「アザレア、見ながらで、良い」
「はい。なんでしょう」
「今の暮らしは、どうだ」
「今の暮らし、ですか」
「そうだ」
「ええと、はい。皆様に良くして頂いていて、その不満なんかは以ての外で」
「仕事の方は」
「はい、其方の方も、何とか。ニシキさんにのお陰で何とか慣れてきました」
取り留めないの、どうでもいい話をアザレアと交わす。今更、前に聞いた事と同じ内容を聞いたところで、返事が変わるわけもない。
本題に、切り込むべきだ。ようやくメイド業に慣れてきている。そんな彼女に言うのも憚られはするが、言わなければならないだろう。
「アザレア、もう一つ、聞かせてくれ」
「はい、何でも、私でお答え出来ることならば」
意を決して、口を開く。戦場で命を懸ける、その覚悟に比べればどうか。自分で自分に問うが、答えの出るようなものではない。
「聞きたいのは、お前の望みだ」
「望み、ですか」
「ああ、そうだ。お前は、何を望む。これから、どうしたい」
アザレアが、固まった。当然と言えば、当然の反応か。彼女がこれまでの生で、何か望みを抱いて生きてきたとはあまり考えられない。そんな身で、このような曖昧な問いを投げられてしまえば、固まってしまうのも当然と言えば当然だ。
本来であれば、こんな話はもっと優しく、距離を詰めてからやるべきなのだろう。だが、アルバートにはその適切な距離感を掴むのが、あまり得意ではない。相手が男であれば、戦友であれば兎も角、どう扱えば良いのかを決めあぐねている女性である。それなら、中途半端に引きずらず、一気に攻めた方がましだろう。ある意味これも、戦場での心得と同じことだ。下手な迷いは、状況を悪くするだけである。
「私の、望み」
「何でもいい。あれば、言ってくれ」
アザレアを拾った、その責任がアルバートにはある。今追っているこの事件、闇娼館事件を解決した後、彼女をどうするのか。利用するために、彼女を拾って世話しているのだ。解決すれば、せめて、彼女の望む道に進ませたい。傲慢にも、そう考えてしまう。
「私に、望みなどは」
「ある、はずだ。言い方を変えれば、夢、でもいい」
見つめるアザレアの表情が、言葉が詰まる。その思いつめた表情は、見ていて痛々しさを感じてしまう。沈痛な表情に、アルバートの心もどこかささくれ立ちそうになる。だが、言わせなければならない。
確信があった。アザレアには、望みが、願いがあるはずなのだ。言葉を紡ぐ、その理由。ニシキに責任を取れと煽られたから、それだけではない。彼女とは、まだ長い付き合いではない。それでも、理解出来ていることもある。今のアルバートに言える、一つのはっきりしたことは、アザレアが逃げ出したことが異常なことだということだ。
アザレアにとって、隷属するという生き方は生まれついての枷であり、根深く彼女の精神を縛り付けている。隷属することが自然な環境なのだと、骨身に染み込んでしまっている彼女が、闇遊郭から逃げたのだ。不自然と言えば、不自然極まりない事象である。ある種の洗脳を解き放つほどの何かが、突き動かす衝動が、アザレアの中にあったとしか考えられない。ならば、だ。その衝動を、叶えることが、アルバートにできる自己満足じみた、傲慢な償いではないのか。
二人の間に、緊張感が走る。小さく、浅い呼吸。覚悟を決めるように、彼女が言葉を放つ。
「アルバート様、私は、闇娼館に、『月光魔の帳』に、乗り込みたいです」
小さく、それでいて力強い言葉は、アルバートの予想を超えてくる内容であった。
「アザレア、それは、どういことだ。いや、責めてはいない。説明を、してくれ」
まるで問い質すように、声が低くなる。アルバートの良くない癖だ。これは、尋問でも査問でもない。意識し、気を掛けねば、いつもの癖が顔を出す。
「私は、どうしても、母さんに」
アザレアが少し言葉を詰まらせた。考えを、言葉を、考えている。ならば、静かに待つしかないだろう。
「お母さんに、会いたいんです」
「会いたい、だけか」
小さく息を吸い、吐く。そしてアルバートも意を決し、アザレアと視線を合わせる。危険な行為だ。サキュバスの発する魔性に、飲み込まれる可能性もある。それでも、引くわけにはいかなかった。彼女の心と向き合うには、必要なリスクだ。リスクとリターンが合っていないと言ううのなら、責任、と言い換えても構わない。
「私は、母に」
「母に、どうしたい」
「母に、母を」
アザレアが、また言葉を詰まらせる。それでも、次の言葉を促さなければならない。
「母を、助けたいのです、この手で」
振り絞る、か細い声。アザレアは、泣きそうな表情になっていた。感極まるとは、このことか。サキュバスの性か、この声も、涙さえも、当然のように男を誘う。それでも、アルバートは心を殺して直視して、重い口を開かなければならない。
「お前が逃げた理由は、母親か」
「はい。母さん、母に、逃げるように言われました。今なら、一人なら、逃げられると。だから、私に逃げるようにと」
「隙があった、ということか」
「はい。あの日、何故か裏口の鍵が開いていて、それ、で」
アザレアの泣き顔が、酷くなっていく。記憶のフラッシュバックに、心が揺さぶられているのだろう。嗚咽が止まらない。涙は、零れるだけで耐えている。しかし、それでも徐々に、口に出す言葉からも意味のある文言が減っていく。これ以上、何かを聞き出すのは難しいか。
「アザレア、分かった。一先ず、今はもういい」
「もうし、わけ」
「いい。大丈夫だ」
「すみ、ません。すみません」
アザレアにハンカチを渡し、涙を拭かせる。あまり悪目立ちするのも、良くはない。先ずは彼女を落ち着かせるのが大事だろう。
それにしても、である。母を想い、嗚咽を漏らしながら涙ぐむ姿は、そこらにいる人間と何も変わらない。愛するものを置いて、自分だけが逃げた。その罪悪感に打ちひしがれている姿を無下にするほど、アルバートも心が死んでいるわけではないのだ。その必要が任務の遂行上必要であれば心などは幾らでも殺せるが、今はその時ではない。
「落ち着いたら、少し休むか。色々あって疲れただろ」
「です、が」
「コンディションの管理はしろ。それに、不安定に働かれる方が、俺は困る」
雑で乱暴な言い方ではあるが、嘘ではない。それに、これくらいの、命令じみた言い方の方が、アザレアには受け入れやすいか。悲しいことに、アルバートにとっても命令的に高圧な方が余程言い易い。
「分かりました。本当に申し訳ありません」
「いい、お前は悪くない。大丈夫だ、謝るな」
泣きはらす顔の放つ艶やかさ、嫌でもそれを感じてしまう以上、静かに目を背け、視界から外す。幸い、周囲は左程アルバートたちに注目はしていない。有難いことに、関わり合いなるのは避けているのだろう。嫌われていることも、偶には役に立って貰わねば困る。
「少しは、落ち着いたか」
「はい、ありがとう、ございます」
「落ち着いたなら、まあそれで良い」
一息入れて落ち着いたのは、アルバートも同じだ。冷静に、自分の言動も振り返ることができる。もしかしたら、少々喋り過ぎたかもしれない。
落ち着きを少しは取り戻し、泣きそうな表情から、戸惑うような曖昧な表情に変わるアザレアに対し、気にするなとただ繰り返す。今重要なことは、もっと他にあるのだ。
「どうだ、此方側には何か、見え覚えのあるような物はあるか」
少し足を動かし、見える景色をまた変える。展望フロアから見渡せる、街の風景。此処に来て、風を受けながら街を見下ろす。アルバートにとっての気分転換であり憩いの場だが、誰かと来るのは、考えてみれば初めてだ。誰かと来よう、そう考えたことすらない。
一人で静かに過ごす為の場所を、仕事の為に使っている。考えてみれば馬鹿馬鹿しい話だが、他に良い手段も思いつかない以上は仕方がない。それに、アザレは不快な言葉を発することはしないのだ。クレハを連れてくるよりは幾分ましだとも言えるだろう。
「そう、ですね。少し、お待ちください」
恐る恐る、と言ったところか。アザレアは落ち着きを取り戻そうとばかりに、恐る恐る周囲の様子を窺い、ゆっくりと眼下の景色へと視線を動かしていく。何しろ、彼女はまだ普通の状態には程遠い。今急かしたところで、良い結果は得られないだろう。そうでなくても、彼女にはアルバートの言葉に過剰反応してしまうきらいもあった。
アザレアから一歩下がって立ち、アルバートも周囲の状況を観察する。気にするのは眼下の風景ではなく、このエリアの人間だ。先ほどから、人間の流れの中に、幾つかの影が蠢いていた。何処かに、ゲイリーがいる。それとは別に、三人ほどの気配があった。時計塔に上がる前後から、アルバートたちの後を追跡している。高度な気配遮断ではないが、素人の動きでもない。
誘い出すか、全てをゲイリーに任せるか。難しいところである。今此処に居るのがアルバート一人なら、躊躇いなく誘い出しているところだ。問題は、アザレアの安全である。恐らくだが、後をつけている連中の狙いはアザレアで間違いないだろう。アザレアの身を守りつつ、どう釣り上げるか。手掛かりは、何でも欲しい。逃げるのは、最後の手段だ。
「あの、すみません、アルバート様」
「どうした」
「見覚えのあるモノが、その、ありました」
思案を切り裂く、小さな感嘆の声。アザレアが、何かを見つけた。タイミングが良いのか悪いのか、難しいところだ。だがこれも、誘い出しの餌にはなるか。
「どれだ」
「彼方の、赤い屋根のお屋敷です。お庭の池に、見覚えがあります」
「赤い。ああ、あれか。ふむ。アザレア、お前は随分目が良いな」
「そう、なのでしょうか」
鍛えているアルバートでも、はっきり認識するには魔力補正が必要になる距離だ。大凡戦闘向きとは思えぬアザレアですら、常人以上の身体能力を、魔力を、当然のようにその身に宿している。亜人が亜人であり、忌避される所以だった。
「他に、何か気になることはあるか」
「申し訳ありません、他は特にこれといったものは思い当たりません」
「いや、いい。謝るようなことではない」
収穫としては、悪くない。むしろ、当りと言っても良いだろう。何もなくて元々、その程度の心構えで挑んだのだ。十分過ぎる成果だ。目的は、達したといえる。更に言えば、見事に釣りの餌にもなっているのだ。上出来といえる、成果だった。
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