亜人狩のお仕事

影野昼狐

プロローグ

 これほど走り続けたことは、生まれて初めての経験だった。此処が建物の中なのか、地下なのか、今はもう分からない。余計なことは何も考えず、ただ暗い道を走る。呼吸が苦しくなっても、ただただ必死に走り続ける理由は一つ。逃げるため、生きるためだ。見るからに細い少女の足は、素足。薄い室内履きは、とうに擦り剥け破れていた。石造りの床を走るには辛いが、四の五の言っている場合ではない。

「逃げて、アザレア。貴女だけでも、逃げて」

 母の声が、耳の奥でリフレインする。母の小さいながらも、意思の力に満ちた声だ。嫌でも耳に残り続けているのは、そんな悲痛なまでの、願いのような声だからだろう。最早、呪詛の域に達するほど、少女の耳に響き続けている。

「母さん、私は」

 母のことは、好きだ。母と一緒ならば、生き地獄の中であっても生きていて良いと思っていた。そう、愛していたし、愛されていたのだ。暗い監獄のような場所でも、或いはそんな場所だからこそ分かることもある。

 その母に、逃げろと言われたのだ。悲しみに、心を支配されて締め付けられた。けれども、その言葉の重みが分かっているから、断れるはずもない。これが今生の別れになるであろうと分かっていても、泣きながら、少女は逃げるしかなかったのだ。

「母さん、母さん」

 光が、見えた。外に、出られる。その事実に、何の感傷も起きなかった。何の実感もない、夢から目覚めるかのような。どこまでも曖昧な感覚に、静かに体が包まれていくだけであった。

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