マ魔王様はお忙しい!

依静月恭介

第1章 ママな魔王様、まあまあな勇者と出逢う。

プロローグ ゴブリン達のサンバ


 エフスプリング地方の辺境、とある岩山。その男は狭い洞窟へと足を踏み入れる。

 荒れた洞窟に似つかわしくない優雅で静かな足取りで歩む男の肌は、青く人の子でない事を名刺より明らかにしている。

 両の足は鳥のように細長い三本指。事実大型猛禽類に魔の血が混ざった『鳥魔族ハルピュイア』と呼ばれる種の者で、両肩にも翼の名残か黒い羽を纏っている。

 洞窟の行き止まり、少し広がった地点でその男は羽が地につく事も気にせず跪く。


「王よ……」


 主人を呼びかけるその声は低く鋭く、敵を射竦める翠の双眸も今は恭しい。

 だが主人たる女性は男の呼びかけに答えず。洞窟に住まう緑肌の山魔族ゴブリンの一人に優しく声をかけ続けている。


「あの、王……」


 下げていた切長の顎が持ち上がり、男は主人の方に視線をやる。するとその主人は金と銀の瞳を男へ向け、薄桃色の唇に人差し指を当てる。


 静かにせよ──‬。


 威厳に欠ける所作ジェスチャーではあったが、主命とあらばそれに従うのが従者の定め。男はそのままの姿勢で主人を見守る。


『プギ……プギィィィ……!!』

「はい……落ち着いて……。もう少しだからね〜?」


 六名程度の山魔族達が額や掌に汗を滲ませながら、女性と、横たわる同族を見つめている。緊張しているのだろうか、プギプギと固唾を呑む声が聞こえてくる。


 そしてその時は、訪れた──‬──‬。



「はい! 元気な男の子ですよ〜!」



 一層明るく慈愛に満ちた女性の声が洞窟中に響くと、見守っていた山魔族達はほっと溜息を吐き、元気そうに踊り始める。

 横たわっていた山魔族──‬男の目に性別の違いは判らないが、雌の個体らしい──‬は、眠る様に穏やかな表情で女性に抱かれる我が子を見つめている。


 そう、男の主人たる女性──‬──‬魔王、マクシミリアム・マグノリアは、山魔族の出産に立ち会っていた。


『プギ……ママオウサマ……アリガト』


 晴れて母親となった雌ゴブリンが、達成感に満ち満ちた表情で甲斐甲斐しい王へと礼を述べる。


「礼には及びませんよ。魔族の者の繁栄は、魔王の役目ですからね〜!」


(いや、そうではあるが……そうではなくて)


 新たな生命の誕生に踊り出す山魔族に囲まれて、魔王は慈愛に満ちた笑顔で夜空色の髪を靡かせながら一緒に軽くステップを踏む。魔王でなくマ魔王と呼ばれた事すら気にせずに。


「あの、王よ。そろそろこちらに……」

「ああ、ごめんなさいげいるーくん」

「…………」


 散々放置された上に名前を間違えて呼ばれたゲイルは、困った様な諦めた様な視線を送りつつ、山魔族の一人に赤ん坊を預けて向かって来る主人に再び頭を垂れる。


「そんなに畏まらなくても良いんですよ? げいるーくんはお堅いですね〜?」


 月や星を思わせる金と銀の瞳を優しく細めて、魔王は屈んでゲイルの頭を撫でる。


「いや、その、そういう事でなく……」

「判っていますよ。私の耳に入れたい事ができたのですね?」


 いつものマ魔王ジョークを挟みつつ、頭から手を離した魔王へとゲイルは目を向ける。


「北西より馬車が迫っています。恐らくは──‬勇者か冒険者の類かと」


 鋭い視線を洞窟の外の光へ向けたゲイルが、王へ告げようとしていた事をようやく伝える。

 エプロンを外しながら、というあまりにも緊張感のない様子で報告を聞いていた魔王は、思わずその動作を止めてしまう。


「遂にこの日が来ましたか──‬」


 緊張、期待、不安。

 それ等が複雑にブレンドされた声は、浮かれる山魔族達を不安がらせるのに充分な音色であったらしい。


 プギプギと騒つくゴブリン達に「大丈夫ですよ」と柔かに笑い、魔王は部下の不安を取り払うべく振る舞う。


「では参りましょう、我らが大望の第一歩に──‬」


 ゲイルは立ち上がり、魔王の準備が整うのを待たずに外へ歩き出す。



「あーげいるーくん待ってください! せめて、せめて髪型くらいは威厳の出る感じにさせて〜!!」

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