第118話 行ってらっしゃいと補給

「明澄のフリック入力めちゃくちゃ速くね?」


 相変わらず隣合って作業する中、明澄に目をやると彼女は両手の親指で高速でフリックしながらスマホを使いこなしていて、その手際に驚いた庵が感嘆の声を上げた。


「そうですか? 普通だと思いますけど」


 なんて言う本人はちらりと時計の針を確認しながらなんでもないふうに打ち込んでいるが、まるでルービッ○キューブの達人みたいな手捌きだ。

 親指か人差し指一本で打ち込む庵では到底太刀打ち出来ないだろう。


 普通だと言う明澄に「いやいや、俺の10倍は早いと思うぞ」と、呆れたような感心したような面持ちを横に傾ける。


 大人びていることもあって年相応の仕草をあまり見せないが、こういう所は明澄も女子高生なんだなあと思った。


「今女子高生っぽいなあ、とか思いました?」

「……なんで分かるんだよ」


 それを心に抱いた瞬間、仄かに笑みを浮かべた明澄に完全に見透かされてぎょっとする。


「最近、庵くんの事なんて手に取るように分かるようになってきましたので。今のも『キッショ』から始まっても良かったんですよ?」

「お、おう……」


 ここまでバレているとは。

 ははは……と、枯れた笑い声を零して庵は降参する他なかった。


 流行りの漫画から派生してインターネットミームにもなったフレーズは、明澄相手に使って良いものか悩んだ言葉だったので内に留めたのだ。


 女子高生っぽいとか思ったことに加えてそれまで見透かされてしまうのだから、半年の付き合いの割にもの凄いスピードで自分自信を理解されているような気がした。


「お前、俺の事好き過ぎだろ」

「ええ。庵くんのことは大大大大大好きですよ? だから手に取るように分かるということです」


 付き合いたてなのだから少しは恥ずかしがってくれてもいいのだが、真面目に伝えるのは未だに気恥ずかしさはあるものの、揶揄いを込めたおふざけなら平然とコミカルにそんな言葉を並べられるあたり、この関係が醸成され過ぎている。

 あれだけじれたのは一体なんだったのか、と疑問に思わないでもないが、それは言わぬが花。


 本人たちは自覚していないものの、きっとここに居ない誰かさんたちはバカップル極まれり、と評するに違いない。


「……まぁ、俺も明澄の事なんて手に取るように分かるけどな」

「強がってます?」

「事実九割、強がり一割くらいかな」

「へぇ。では、そこまで言うのなら聞いて差しあげます」


 強者の笑みを見せながら明澄はまた時計を一瞥する。もう余裕たっぷりだった。

 しかし、そのご尊顔をどう歪めてやろうかと庵は切り口を探す様子すら見せずに口を開く。表情には勝ち気を馴染ませるようにこちらも余裕たっぷりで。


「明澄、さっきから時間気にしてるだろ? 今日のライブのせいだろうけど、緊張してそわそわしてるの見てて可愛かったなあと」

「……うっ、そんなに表に出てました?」


 昼前まで緩やかに流れる心地の良い時間に身を任せ作業を進めていた庵は、たまに作業中の姿を眺めたりしていたから明澄の変化に気付いていた。

 時間が進むにつれて明澄の緩く弛んでいた表情が次第にそわそわとしたものになっていって、落ち着かなさそうにソファにもたれていたのだ。


 先程から時計を気にする素振りは結構目に付いていた。スマホを触っているのにわざわざ時計に目を向けるあたり、気持ちがいっぱいいっぱいなのではないだろうかと思っていたのだ。


 ものの見事に当てられた明澄は、若干恥ずかしげに庵の顔を伺うように見上げて唸った。


「明澄は色々と分かりやすいタイプだからなぁ」

「む……そうでしょうか?」


 手に取るように把握されたのが悔しかったのか聖女様は頬を膨らませ、ご覧の通りにご不満気味だ。

 ただ、膨らんだ頬も朱色が差しているようで、表情の裏側は別物のようにも感じられた。


「明澄の感情表現はめちゃくちゃ豊かってわけじゃないけどしっかり見てれば分かるし、日頃一緒にいるから好きな人の機微くらいは把握出るもんだよ」

「ま、まぁ確かに庵くんも中々やるようですね」


 何故か上から目線だがニマつく口角を抑えながらてれてれとしつつも、聖女様はお認め下さったらしい。

 結果的には引き分けに近い庵の優勢勝ちだろうか。


「そんなわけだ。もう出る時間だろ? 作業にも始末を付けようか」

「いい時間になってきましたからね。私も準備をと思っていたところです」

「カップとか片しておくから準備しててくれ。見送りするよ」

「あ、……」


 二人分のティーカップやシュガースティックのゴミを手にラップトップを閉じて立ち上がるのだが、明澄が隣で何かを気にする素振りを見せる。

 どことなく庵は後ろ髪でも引かれているような感覚を覚えて、キッチンへの足止めを食らった。


「明澄?」

「い、いえ、お片付けよろしくお願いしますね」


 頭を振った明澄は眉をハの字に曲げてニコッと振る舞って、ソファから離れていった。

 そのあといそいそとリビングで鞄の荷物を纏めている明澄とちらちらと目が合っていた。



「そろそろタクシーが来るっぽいので外に出ますね」


 玄関で明澄のお見送りする頃になってもまだ明澄は少し元気が無さげだった。

 こういうお見送りの時はいつも愛らしく微笑むのだが、今日は少しばかりそれも落ち着いている。


「終わる頃には迎えに行くよ」

「ありがとうございます。多分、あがりは夜の十時半頃になると思いますので、その頃に来ていただければ」

「りょーかい」


 昨日まではスタジオにお邪魔していたが、今日は本番に関係の無い庵が居るのは良くないので、お留守番になる。


 それでも休みを取ったのは忙しい明澄に朝と昼にご飯を作ったり、またちょっとだけ心配だったというお節介に近い過保護からくるもの。

 仕事が溜まっているからそれもいい口実ではあったし、何より早めに作業と夕食を終えて夜のライブを万全で迎えるためというのが本音の半分ずつを締めている。


「では、行ってきますね」

「気を付けてな」


 名残惜しいと言わんばかりの表情で明澄は手を振って、小さく会釈する。見送られるのは明澄の方なのだが、まるで飼い主を見送る犬や猫のようだ。


 庵も手を振り返したが、もう一つだけやることを残している。

 手を下げてすぐ靴下のまま框から降りた庵は、徐に明澄を緩く抱きしめた。


「庵くん?」


 びっくりしたように明澄は目を見張ったが、慣れたように受け入れてくれる。


「……いや、その。なぁ?」

「なぁ? では分かりませんけど」


 その「庵くん?」の一言には理由を尋ねる意味が込められているのだろう。ただ、ハグそのものは最近は慣れできたが、今のは慣れないことをしているつもりなのでちょっぴり庵は察してという面倒くささを発揮した。


「前に明澄がこういうのやってくれたろ?」


 素直に白状すれば、ようやく意図を理解できたらしく明澄は「あぁ。なるほど」と、優しい声を耳元で囁いた。


 いわゆる明澄基準の補給と言う名目のやつだ。

 以前に二度ほど明澄が安心をさせる目的で庵に抱き着いて来たことがある。一度目は明澄の補給という形で、二度目は単純に不安を取り除くために。


 三月のあの時とかとか昨日の朝の告白の時を除いた、その逆バージョンでお返しのつもりだ。


「元気出たか?」

「これで元気が出なかったら私はもう強欲の大罪人です」


 照れ隠しか独特の言い回しの後に、ぎゅっと抱き締められ返す。


 もっと求めるというのは憚られるということなのか、それとも今はまだというのか。毎度毎度、外出の度にこんなことをしている時点で欲の塊だとは思うのだが。

 なんにせよ、共に心音はやかましいが明澄の気も普段通りになってきた。


「それでは本当に行ってきます」

「おう。ライブ楽しみにしてる」


 頃合いも頃合いだ。最後にお互いの耳元で会話すると、どちらからともなく腕を外して、離れる際に小さく微笑みが交差し合った。


「任せてくださいな。最後に大切なお知らせもあるので期待しててください」

「お知らせ? 何かやるのか?」

「秘密です」


 首を傾げた庵だったが、明澄はお茶目な笑みを残して背を向けた。

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