第19話 キッチンに立つ聖女様
「本当にこんな高級な食材を使ってしまって良いんですか?」
イラストの制作作業のため明澄が料理を振舞ってくれることになって、今日は彼女がキッチンに立っていた。
ただ、庵の提供する食材が良いモノばかりで、明澄は戸惑っている様子だった。
「使わなきゃ腐るしな。気にしないでくれ」
「あの、お金払いますよ?」
今日は二月三日。つまり節分だ。
恵方巻きの具材としてイクラやマグロ、サーモンなどの海鮮系が取り揃えられていた。
もちろんスーパーで見かけるようなものでなく、木箱や丁寧に発砲スチロールに詰められている。
また有名な産地から発送されていて、明澄がお金のことを気にするのも当然だった。
「そこは取り決め通りでいい」
「分かりました。と言うより、これはわざわざ買ってきたのですか?」
お金を払うと言った明澄に対して庵はきっぱりと断る。
それはお互いに料理を振る舞うとなってから、二人の間で決めていることがあったからだ。
一つは、予定を伝えておき担当の日を決めるなど、買い出しや食材を無駄にしないようにすること。
もう一つは、材料費の折半をしないこと。
二人で作り合うので半々にはなるし、また共に稼いでいるからお金の問題は発生しないとの認識だ。
また、庵は彼女の配信でよく投げ銭をするし、明澄は明澄で彼に衣装など氷菓に関する依頼でかなりのお金を払っていることもあった。
「実はふるさと納税の返礼品なんだよ」
「あ、なるほど」
「自分で言うのもなんだが高額納税者だしな。年収に合わせて選ぶとかなりの量になるから、消費してくれるだけありがたい」
庵が説明すると納得がいったらしく、明澄はポンと手を叩く。
「流石、神絵師ですね」
「スパチャのランキングからして、お前も高額納税者だろうに」
「ま、スパチャは割と持っていかれるんですけどね」
「あ……」
明澄は人気VTuberということもあって、かなりの額をスーパーチャットで貰っている。
けれど、事務所や配信プラットフォームの取り分、また税金などで残るのは僅かとも聞く。
それは事実だったらしく、彼女は苦笑いだった。
「ま、まぁ。お金の話は置いといて。是非、美味しくしてやってくれ」
「はい。任されました」
いつまでもお金の話ばかりだと、折角の食材に対して盛り下がるというもの。
庵はキッチンからダイニングテーブルに戻って、タブレット端末を使って作業を再開する。
一方、明澄はエプロンに着替えて、任された高級食材たちの調理に掛かるのだった。
「朱鷺坂さん、酢飯の味はこれくらいで良いですか?」
作業をしていると時折、こうして明澄が味見を求めてくることがあった。
出来るだけ庵の好みに合わせてくれようとしているらしい。
未だに少し事務的だったり素っ気ないこともある聖女様だが、そんな振る舞いにはとてもいじらしく思う。
「おー良い感じだ。美味い!」
「あ、良かったです。では、お邪魔しました」
彼女が小皿に分けて持ってきた酢飯を庵はひょいとつまんで口にした。すると、程よい甘みとお酢の香りが口いっぱいに広がっていく。
その味に庵は指で小さく丸を作ると、彼女は破顔してキッチンの方へまた戻っていった。
(アイツらが恋人が良いって言うのも分かる気がするわ)
一連のやり取りと彼女の所作に庵はそんな感想を抱いた。
明澄がハーフアップにした髪やエプロンを揺らす後ろ姿を、自分はダイニングから仕事をしつつ眺める。
それはまるで家庭を持ったような気持ちにさせられるというもの。
特に庵と明澄はそういう関係ではないし、互いに恋人を作るつもりもない。
けれど、少くとも庵に関しては憧れがない訳でもなかった。
ただ、あくまで憧れであって、その憧れというのもの非現実的なことを夢見る感覚に近い。
億万長者になったり、権力者になる妄想をするようなものと言えば分かりやすいだろう。
「なんですか? じろじろと」
「いや、新鮮だなと」
「はぁ……?」
キッチンで料理中の明澄が気になっていると、彼女はこちらの視線に気づいたらしい。
明澄は訝しげに眉を顰める。
「なんて言うかあれだ。奥さんを持つとこんなもんなのかと思ってな」
「全く、そんなことを考えていたんですか。仕事してください」
「分かってる」
庵が素直に告白すると明澄の口調が冷たくなって、後ろを向かれてしまった。
彼女が手料理を振舞ってくれるのも、庵を思ってのこと。
なのに仕事を放り出していたら、そんな反応をされるのも当然だった。
「まぁ、分からなくもないですけどね」
「ほう」
「実は朱鷺坂さんがキッチンに立っていた時はちょっと頭によぎりましたから」
それから間もなく、明澄は手を動かしながらそう言葉を零す。
やはり異性が手料理を振舞ってくれたり、キッチンに立っているところを見ると、シチュエーション的に考えることは同じらしい。
「聖女様でもそんなことを思うんだな」
「ちょっとですからね。あなたと違ってまじまじと見てませんから」
「へいへい」
しかし言っていて恥ずかしくなったのか、明澄はそうことわりを入れてくる。
心做しかその包丁が刻むリズムが早くなっている気がした。
「なんですか? その目は」
「なんでもないっす」
とりあえず、そういうことにしておこう。
下手に彼女を不機嫌したら、手に持った包丁が怖い。
その後、庵はひっそりと今度、SNSに上げるイラストのシチュエーションは「キッチンに立つ女の子」にしようと決める。
そして後日、明澄に今日のことをモデルにしたことを勘づかれて怒られるのは、またの話。
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