第5話 聖女様のお気に入りとまた明日
「ご馳走様でした。どれもすごく美味しかったです。特に人参のグラッセが一番好きかもしれません」
「お粗末さま。そう言ってもらえて何よりだ」
夕食も終わり終始、明澄は庵の手料理を褒めちぎっていて満足のようだった。
最近はおにぎりなど軽食しか食べられていなかったから、その分感動も大きかったのだろうか。
なんにせよ振舞った庵としても満足だ。
「そういえば、ご実家は飲食店なんですか?配信とかではご両親共に会社員だとお聞きしましたけど」
「実家は普通の家だよ。ただ普段は家に親が居ないから、高校生になるまでは祖父母に世話になってたってだけだな」
庵の両親は共働きで家を空けることが多かった。そのため祖父母に預けられ、その祖父母が飲食店を営んでいたということもあって、調理技術を身に付けたのである。
とはいえ、そこそこ料理ができる程度でプロ級というわけでは無い。
流石に本気で絵描きを目指しながらそこまで上達は出来なかった。
「なるほど、ご両親はお忙しいんですね」
「忙しいっていうか帰って来ないって言うか。まぁ、高校に入ってからほとんど会ってないな」
「…………私と同じですね」
「ん? なにか言った?」
「なんでもありません」
庵が事情を説明すると、明澄は何やら小さな声で呟く。
どこか嬉しそうなそれでいて悲しそうな表情をするので、気にはなるけれどあまり触れないでおく。
大変な事を承知の上で彼女が学生と配信者をしながら一人暮らしをする理由の一つなのだろう。
そう考えに至ると、もう少しだけ彼女の力になれればと庵は思い始める。
「ま、俺のことは置いておくとして、明日からどうするんだ?」
「それはどういうお話でしょうか?」
「要するに、水瀬さえ良ければ明日以降も晩御飯くらいなら食べに来てもらって構わないって話だ」
「遠慮しておきます。朱鷺坂さんにもお仕事があるでしょう?」
「流石に知り合いがまともな食生活を送ってないのは心配だ」
「
配信者とイラストレーターという立場であり、その忙しさはどちらも分かっているつもりだ。
明澄は当然遠慮するし、庵は庵で彼女の食生活が気になって仕方なかった。
「言っただろ? メシはちゃんとしなきゃならないって。仕事関係なくどうせ作るんだしそれくらいは問題ない」
「……分かりました。三日に一度だけお世話になろうと思います」
「よし、それでいこう」
折れたのは明澄の方だった。
庵が本気で心配しているのが伝わったのかは分からないが、一緒に配信までする同級生が倒れられても困る。
庵もクリエイターの知り合いがいるし、忙しいと生活が乱れがちで体を壊しやすいことも知っているから尚更心配だった。
「あと、お礼として……いえはっきり言いましょう。汚くて目に余るので、この部屋を綺麗にします。こんな部屋でご飯を食べたくはないので」
「そりゃそうだ。けど、片付けなら業者でも呼ぶけど? これだけモノが多いと大変だし」
「情報漏洩の罰でマネージャーも呼びますから、人員は足ります」
「容赦ねぇな。というか漏洩したのマネさん確定なのかよ」
「
晩御飯のお礼というか、部屋の乱雑加減が許せないようで部屋の片付けをしてくれるらしい。
ついでに
どちらにせよ一度、身バレの件については直接会って話さなければならない。
故意ではないだろうし可哀想になってくるが、ここは一緒に綺麗にして貰おう、と庵は心を鬼にする。
「あんまり色々、気にしなくていいんだけどな」
「まぁ、なんと言いますか。今日の夕食がとても美味しかったですから、私としても他の料理も食べてみたいと思っていたりします……なのでお手伝いくらいはと思いまして」
「ふーん、なるほど」
最後に明澄はほんのり照れながら、また食べてみたいと口にする。
それを聞くと思わずニヤけそうになった。
これは気合いを入れなければならないかもしれない。庵は得意のメニューを今から頭に思い浮かべ始めていた。
「なんだかなぁ」
「な、なんですか、何か?」
「いや、お前が本当にあの水瀬かと思ってな。つい今朝まであんなに素っ気なかったのにな」
「悪かったですね、無愛想で。でも理由は夕方に話した通りです」
やはり未だに朝までの彼女と今の明澄だとまるきり別人に思えてならない。
少しだけ揶揄ってみた庵に対して、明澄は拗ねたような口ぶりで返してくるし、これも今まで見た事がない。
お隣さんとしてもクラスメイトとしてもだ。
本当はこんな女の子だったのかと庵の中に驚きと戸惑いが介在していた。
「それに氷菓とも似てるようで全然違うよな」
「配信でこんな感じだとやっていけないですから。というか、この話はもういいでしょう? 色々と恥ずかしいので」
「今日はこの辺りにしておくか。また二日後の夕方に待ってるわ」
「はい」
冷静で淡々とした性格の明澄でも、あんな風に演じていることはそれなりに恥ずかしいらしい。
若干だが頬を赤くしていた。
あまりイジるのも気が引けるし、怒らせても怖いので庵は刺激するのをやめてそれだけ伝えた。
そこそこ時間も過ぎており、明澄は十時頃から配信の予定がある。
夕食の後片付けは自分がするからと言い、玄関まで見送りに行った。
「今日はありがとうございました」
「おう、じゃなあ」
明澄はくの字の腰を折り、そう一言お礼の言葉を残すと玄関のドア開いた。
これでようやく今日のところは身バレ事件も落ち着くだろうと庵は気を抜く。
「あ……」
「なんだ? 忘れ物か?」
「いえ――また明日、学校で。それだけです」
「あ、ああ。またな」
明澄は玄関から出て行こうとしたところでくるりと振り返れば、そう言って小さく手を振って帰って行った。
気を抜いていた庵にとってそれは絶大な効果があった。
あんなに無愛想だった明澄がそんな振る舞いをするとは。
不覚にも可愛いと思ってしまった単純な自分が情けなくなる。
だからそれを誤魔化すように、彼女の事情は理解しつつも「そんなことができるならもう少し優しくしてくれたって良かったじゃないか」と庵は文句を漏らすのだった。
そして、その日の夜。
自分が帰った後の庵のことなど気にもせず、
《うかちゃん、何かいい事あったの?》《テンション高いよね》《まさか、男!?》《何があったのー?》《は? 相手はかんきつママしか認めんが?》《気になる》《おしえてー》
「そう見えます? 実はちょっと美味しいご飯を食べたんですけど……」
いつもより少しだけ楽しそうに配信をする一人のライバーがいた。
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