ゆきうさぎの初恋

怪人X

ゆきうさぎの初恋


 わがままを言って、三十分だけ外で一人にさせてもらった。

 ひらひらと降る雪は、まだあまり積もってはいない。地面を所々ほんのりと白く染めているだけだ。けれど、はあ、と息を吐けばすぐに真っ白になる。外がとても寒い証拠だ。


 まだ少ない雪を集めて、十分ほど時間を掛けて小さな雪うさぎを作った。特に深い意味はない。

 ただ外に出たかった。雪に触れたかった。一人になりたかった。そんなところだ。雪だるまではなく雪うさぎを製作したのも、雪が少なかったからとごく単純ないう理由で、大した意味はない。


「うん。なかなか上手に出来たんじゃないかな」

 とはいえ、冷えて手を真っ赤にしながらもそれなりに懸命に作ったものだ。形も整えたし、ずいぶん美人な雪うさぎになったと思う。

「ありがとう!でももし良かったら、わたしのお耳にお花を飾ってくれると嬉しいな」

「え」

 突然声が聞こえてびっくりする。

 きょろきょろと周りを見てみるけれど、近くに人はいない。離れたところにはちらほらいるけれど、まるで僕に話し掛けているような感じの声はすぐ近くから聞こえた気がした。

 もしや、と思う。雪うさぎを作っていた場所は背もたれのあるベンチ。本来なら座るべきその場所にあるのは雪うさぎだ。僕はしゃがんだまま、雪うさぎを製作していた。立ち上がってベンチの背もたれの向こうを見ると、白いものが見える。

「あはは、見つかっちゃった」

 そう言って顔を上げて笑ったのは、雪うさぎみたいな女の子だった。




 真っ白な肌と髪に、真っ赤な目。まさに雪うさぎ、といった見た目の女の子は、僕と同じ十二歳らしい。

 何故か名前は絶対に教えない、と言われたので、僕は女の子のことを『ゆきうさぎ』と呼ぶことにした。僕は先に名乗ったのに、ちょっと不公平だ。

 そしてどうやら女の子のゆきうさぎは、僕の作った雪うさぎにお花をつけて飾ってあげたいらしい。

「でもこの雪うさぎ、すぐにとけちゃうよ」

 天気予報でも確か、雪は降り続かないと話していた。大して積もらないとも。その証拠と言わんばかりに、雪の降り方はささやかだし、何なら青空も見えはじめている。降り止むのも時間の問題だろう。

「椿くん、ロマンがないなあ」

 ゆきうさぎは不満げだ。とはいえこの小さな雪うさぎでは、冷凍庫にでも入れない限りほんの数時間と保たないだろう。

「そうは言ってもね。それに花を探しに行く時間もないし、そもそも冬に咲いてる花とか、あるの?」

 僕はあまり気にしてみたことはなかったけど、冬に花が咲いているイメージはない。

 お花屋さんに行けば色々あるけど、自然に育って咲くようなものは春の印象が強い。何も咲いていない、葉っぱさえない、枯れたような木を、冬は見掛けるように思う。

「あるよ、色々!ググってよ」

「持ってないからググれない」

「えー!」

 またしても不満そうにされるが、持っていないものは仕方がない。

「椿くんの名前の花だって、冬に咲くのに」

「へえー、そうなんだ」

 はじめて知った。花の名前だということは知っていたけれど、どんな花かもよく知らないし。

「きれいな名前だし、知らないなんてもったいないよ」

「じゃあ、今度調べてみる」

 どうやらこれは、満足のいく答えだったらしい。ゆきうさぎはにっこりと笑うと、大きく何度も頷いた。

 表情がころころと変わる、よく話す女の子だ。

 見た目は変わっているけれど、中身はクラスの女の子たちと一緒だなと思う。


 それから当たり障りのないような、くだらない話をした。

 どこの学校に通っているだとか、どうしてここにいるのかとか、そういった具体的なものはお互いに何もかもはぐらかすように。

 辛いものが苦手な僕と違って、ゆきうさぎは辛いものは大好きで好物は辛口のカレーだとか、犬と猫なら二人とも猫派で一致したとか、好きなお笑い芸人は誰だとか。そんなことをつらつらと話しているうちに、約束の三十分が終わりそうになっている。

 楽しかった。ゆきうさぎと話す時間は。

 一人で無心になって雪うさぎを作る時間よりも、ずっと。良い方向に、心の整理をつけることが出来たと思う。


「あのね、ゆきうさぎ。僕、これから手術をするんだ」

 本当は話すつもりのなかったことを、思いのほかすんなりと、呟いてしまった。

 それまでぺらぺらと話していたゆきうさぎは一転、口を閉じて聞き役に回る。切り替えがすごいな。

 ぽつりぽつりと話す僕を急かすこともなく、ただ聞いてくれる。まるで本物の、喋ることのない雪うさぎみたいに。

 小さい頃から体が弱くて、長く生きられないかもしれないと言われていたこと。入退院をこれまでも繰り返していたこと。心臓の手術が必要で、長く待ち望んでいたその手術がこれから受けられるということ。

「……でもなんだか急に、怖くなって。失敗したらどうしようとか、手術が上手くいっても今みたいに体が弱いままだったらどうしようとか」

 情けない話だな、と思う。両親は、泣いて喜んでいた。嬉しい反面、この言いようのない不安を口にすることは出来なかった。

「大丈夫だよ、椿くん」

 ゆきうさぎの言葉は、不思議と力強かった。曇りのない笑顔も。

「根拠も、なにもないのに?」

「大丈夫って言ったら、大丈夫」

 その自信はどこから来るのだろう。

 けれど少し、心が軽くなって感じがする。

「ねえ、椿くん。手術が終わって元気になったら、ちゃんと冬に咲く花を調べてね。次に雪うさぎを作った時は、ちゃんとお花で飾ってあげてね」

 そう話すと、ゆきうさぎは僕の作った小さな雪うさぎを優しく撫でる。

「わたしはゆきうさぎだから、すぐに消えてしまうけど、椿くんは長生きしてね。約束だよ」

「……そんな、まるで自分が本当に雪うさぎみたいに」

 思わず笑ってしまった。だって、ゆきうさぎとそう呼んではいるけれど、姿は完全に人間の女の子だ。少し色合いが目立つだけの、ごく普通の同じ年の女の子。

 僕が笑うと、ゆきうさぎも笑った。これまでの明るい笑顔より、少し照れたように。




「椿くーん」

 看護師さんに名前を呼ばれる。

 もうすでに約束の三十分は過ぎているから、迎えに来てくれたのだろう。

「じゃあゆきうさぎ、また……」

 姿が、ない。

 ほんのわずか前まですぐそばにいたのに、音もなく。小さな雪うさぎだけがそこにいる。

 僕が看護師さんに呼ばれて、わかったと合図するように手を振った。たったそれだけの間に、ゆきうさぎはいなくなっていた。周りを見ても、どこにもいない。

「どうして」

 お別れくらい、ちゃんと言いたかった。お礼も。


 まるで雪のように消えてしまった女の子。その違和感に、僕はあとになってから気付いたのだった。

 うっすらと積もった雪に僕以外の足跡はなく、そして女の子はあれだけ喋っていたのに、吐き出す息はただの一度も白くはならなかった。雪うさぎを撫でていたように見えたその手も、あんなに寒かったのに、まったく赤みを帯びることはなく、雪のように真っ白で——…………。











 経過は順調で、これまでの体の弱さが嘘みたいに動ける。

 無事に退院もしたし、また学校にも通える。

 あれから入院中も、退院してリハビリに通うようになってからも、ゆきうさぎと出会った場所に行くけれど、あの日以降一度も会えていない。

 看護師さんたちに聞いてみても、そんな特徴的な見た目の女の子は知らないと言っていたから、入院や通院しているわけでもなさそうだ。唯一僕の担当の医師に聞いた時、曖昧に、少し困ったように笑ったのが気になったけど、結局わからないまま時間が過ぎていった。


「あっ」

 急に母さんが短く叫んだ。母さんがいるキッチンを覗く。

「どうしたの?」

「椿が入院している時、家で作って食べていたカレー、中辛なのよ。今夕飯作ろうとして気付いたわ」

 確かに、僕が家にいる時カレーはいつも甘口だった。小さい頃からずっと、辛いものが苦手だったからだ。母さんが手に持っているものは、中辛のカレールーなのだろう。

「……たぶん、食べられるから大丈夫」

 ふと、そう感じた。

 以前食べた時は中辛でも辛くて大変だった。その時はカレーは絶対に甘口だ、と強く思ったはずだけど。

「そう?椿も、味覚が大人になってきたのかしら」

「そうかな」


 辛いな、とは思うけれど、以前より美味しく食べれるようになったカレー。

 それから、笑うことも増えた気がする。好きなことが、増えた気がする。

 そして、花の名前も。


 季節はもう春に近付いて、積もるほどの雪は降りそうにない。

 また冬が訪れて雪が降ったら、雪うさぎを作ろう。真っ白な雪うさぎに、椿の花はきっとよく似合うはずだから。

「大丈夫。すぐにとけて消えても、また作るし、僕はずっと覚えてる」


 雪の中、大丈夫と笑ったゆきうさぎのことを。

 寒くても心がほんのりとあたたかく色付いた。冬の日の小さな初恋のことを。



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