ポチ

片葉 彩愛沙

ポチ

 男は山奥に住み、ジビエをして暮らしていた。

 動物や遭難者、植物などを食べていた。しかしある日、男がいつものように狩りに出ると子供が倒れているのを見つけたのだ。


「これは……遭難者か? それとも……」


 子供は息をしていないが、わずかに温かい。死んでからそんなに経っていないようだ。

 男は子供を家に連れて帰り、貯蔵庫に寝かした。


 次の日、それを捌こうと持ち上げるとまだ柔らかかった。死後硬直が始まっていない。


(この子は生きているのか?)


 そこで、暖炉の前に寝かせることにした。


 しばらくすると突然、子供が飛び起きた。そしてキョロキョロ辺りを見回している。どうやら意識を取り戻したらしい。


「おぉ! 良かった!」


 男は思わず声を上げてしまった。

 すると子供はビクッとしてこちらを見た後、すぐに逃げようとする。だが体が弱っていて思うように動けないらしく、ヨタヨタしながら玄関に向かっているところだった。

 慌てて追いかけて捕まえる。


「待ってくれ! 助けて欲しいんだろ?」


 子供は何も言わずに暴れた。しかし衰弱しきった体では大した抵抗にもならない。

 そのまま家の中へ連れ込みベッドの上に放り投げる。


「ごめんよ、でも君を助けたいだけなんだ」


 そう言いながら服を脱ぎ裸になる。


「大丈夫だ。ちゃんと綺麗にするし傷つけたりしない。ただ体を温めたいだけだ」


 子供の体に覆い被さるようにして抱きしめた。

 体温で温めようと体を密着させる。男のふくよかなお腹が押し付けられた。

 子供はとても怯えていたが、しばらくすると少し落ち着いてきたようで大人しくなった。

 やがて男の体温で温まり眠ってしまった。

 そっと顔を見ると泣き腫らしていたようだったので優しく頭を撫でる。


「もう大丈夫だからね、安心して」


 子供の手足を押さえつけ、毛布で体を包み込むように巻き付ける。

 それから火を起こして鍋に水を入れる。沸騰するまでの間に、肉を切り分ける。


「さぁ出来たぞ」


 ギシッとベッドが軋んだ。見ると、子どもは起きていて、目には恐怖しか浮かんでない。

 それでも空腹には勝てなかったらしく恐る恐る食べ始めた。


「ゆっくり食べるんだよ。急ぐことはないからな」


 少しずつ口に運び、飲み込んでいく様子を観察する。


「美味しいかい?」


 コクリコクリとうなずく。

 その様子にほっこりする男だったが、ふとある事に気がつく。


(そういえば名前を聞いていなかった)


 聞いてみるとやはり名前はないようなので適当に呼ぶことにする。


「じゃあ今日からポチだ」


 犬の名前みたいだけどまあいいかと思いつつ。

 子供は首を傾げるが気にせず続ける。


「ポチ、まだお前さんの体は冷たい。まずはあったかくならないといけない。一緒に風呂に入ろう」


 抱きかかえると、まだ触れ合いを許していないらしく、敵意をむき出しにして暴れるが、無理やり脱衣所まで運ぶ。

 服を脱がして、湯船に浸かり後ろから抱え込むようにして洗う。

 最初は強ばっていたがだんだんリラックスしてきたのか体の力が抜けてきた。

 洗い終わる頃にはすっかり懐いている。

 男の鼻腔に、温かいの血肉の香りが入り込んだ。

 タオルで拭いて服を着せるとベッドに押し倒す。

 男は興奮していたが、ここで無理矢理するのは良くないと考え落ち着こうとする。

 子供を怖がらせないようにゆっくりと話し掛けていく。


「寒いだろう? 俺も寒くて凍えそうだ。今、お前さんがあっためてくれないか?」


 子供は無言のまま動かない。


「頼むよ」


 男が懇願するように言うと、子供はその小さな手をのばし、男の頬に触れた。

 そのまま首筋に腕を回して、男に抱き着いた。

 驚きつつも嬉しくなって微笑む。


「ありがとう!」


 男はそのまま暖炉の前で抱いていることにした。子供はようやく笑顔を浮かべる。



 翌日から、一人だった男の暮らしにポチという彩が加えられることとなった。

 ポチは一向にしゃべらないが、言葉は通じているらしく、身振り手振りで意思疎通を図る。

 何年も孤独だった男にはそれでも嬉しかった。

 男は自分の境遇を話し始める。

 昔、失敗をしてしまって恥ずかしくなり、何年も一人で山に住んでいること。

 ポチはそう話す男を丸い目でじっと見つめていた。


 ある日、男は仕事を終え、森の奥にある自宅に帰る途中だった。

 薄暗い森の中、木々の間を縫って歩いている時、遠くの方に見慣れぬものを発見する。

 それはとても小さく、人間のような形をしているものの、全身真っ黒で、目だけが光っていた。

 明らかに普通の生物ではない。

 男は猟銃を構え、一発撃った。弾はその生物をかすめる。するとその生物は悲鳴のようなものを上げて、茂みに隠れた。

 男が茂みをかき分けると、そこから出てきたのはポチだった。


「ポチ……? どうしてここに」


 ポチは小さく体を震わせて、その目からは涙がこぼれそうになっていた。

 男は驚きつつ、その体を抱きしめる。尋常じゃない震えだ。


「お前さんも見たのか、あの生き物を……」


 と、男が言いかけたところで、あることに気付いた。

 ポチの腕から血が滴っている。怪我をしているようだ。


「あいつに襲われたのか!?」


 止血しようとして、その傷口を見ると、銃創であることに気が付いた。

 男はその傷をよく見たことがあった。これは弾丸がかすめた時にできる傷だ。


「あれは、お前さんだったのか……ごめんよ、撃ってしまって」


 ポチは何も言わずただ見つめてくる。

 男は罪悪感を覚えながらも、その体を家に持ち帰った。傷を手当てすると、肉をたくさん食べさせる。

 ベッドに寝かせて、毛布で包むと、ポチの正体について問い詰めた。


「お前さん、本当は何者なんだ?」


 しかし、当然のように何も答えない。


「そうかい……」


 男は諦めたように呟いたが、どうしても知りたかった。


「教えてくれ、俺はどうすればいい?」


 ポチが、初めて反応した。


「助けて欲しいんだろ? 分かるぞ」


 ポチは必死に何かを訴えかけるが、何を言っているのか分からない。


「大丈夫だ。ちゃんと助けてやる」


 ポチは泣きながらすがりついてくる。男は泣き止むまで黙って頭を撫でていた。



 ポチはその後自分の正体を見せてくるようになった。

 いつものような子供の姿、黒い生物、時折猫や犬にまで姿を変える。

 どうやら、黒いのが本来の姿らしい。

 最初は分からなかったが、次第に理解するようになっていった。

 ある時は山羊、またある時は大きな蜘蛛、そして狼へと変わる様を見て、この子は特別な存在なのだと思った。

 男は自分と同じ孤独なのだと感じ、その子を引き取る事を決意する。

 こんな山奥にいたということは、捨てられたか、迫害されて逃げてきたかのどちらかなのだ。

 子供が言葉を話せるようになるまでは時間が掛かったが、やがて少しずつ会話ができるようになり始めた。

 拙い言葉を繋ぎ合わせてみたところ、やはり、迫害されて逃げてきたらしい。


「酷いな。ちょっと変身が得意なだけなのにな」

「そ……う?」

「そうだぜ」


 そう返すと、目に涙をためていた。



 ポチがある事をするようになった。

 夜になるとベッドに潜り込んできて、男を抱き枕代わりにして眠ることだった。

 男にとっては嬉しいことでもあり、戸惑いもあった。お腹に顔をうずめているところを見ていると、いろいろくすぐったくなってくる。

 男は元々寂しい性格であり、誰かと一緒にいることが好きだったが、今までそんな経験がなかったせいか、どう接したら良いかわからなかった。ただ一緒にいるだけで幸せを感じることができた。

 だが子供は違ったようで、日中はあまり近づいてこないが、夜にベッドに入ると必ず男の傍に来て眠りにつく。

 子供にとってどういう心境の変化なのかわからないが、きっと人恋しさから来る行動なのだろうと男は思った。



 ある日、男は思い立った。

 この子を施設に預けようと。

 自分のような孤独なジジイのもとにいさせるのはこの子のためにならない。


「なぁお前さん、人間の子供の姿になってみてくれ」


 黒猫の姿になっているポチにそう声をかけると、見る見るうちに初めて会った時の姿になった。

 男は微笑んだ。


「俺とゲームをしないか?」


 ポチは首をかしげる。


「俺が迎えに来るまで、人間のまねっこをするんだ。何があってもだぞ? できたら、お前さんが好きなものを何でも食わしてやるよ」


 ポチはニコニコ笑ってコクリコクリと頷いた。

 男は決心を固めると、ポチをおんぶしながら歩いていった。


「良いか、これから人間ごっこをしに行くぞ。人間がいっぱいいるんだ。俺が見ていないからって、変身を解いたらすぐばれるからな。あ、目を閉じとくんだ。お前さんから会いに来るってのはズルだからな」


 ポチは嬉しそうな顔をしている。

 空には月が浮かんでいて辺りはとても明るい。

 森を抜けると、ポチはキョロキョロと見回していた。

 人里離れた施設の門の前に、ポチを下す。


「よしよし、じゃあジッとしてろよ」


 何度も確認すると、男は帰路につく。時々振り返って、ポチを確認する。座り込んで俯いている。

 男はポチが見えなくなるまでそれを続け、見えなくなると一気に山を駆け上がった。



 ◆



 数年後、男の家の扉を誰かが叩いた。


「誰だい……こんな真冬に」


 男は背中に斧を構え、扉を開ける。そこには知らない人間がいた。

 男にも女にも見える。


「あんた……誰だ」


 男が問いかけると、その人物は悲しそうな顔を見せる。


「あー……言葉わかるかな?」

「……」

「おい! 何とか言え!」

「あっ……」

「おぉ、喋れるじゃないか、名前はなんていうんだ?」

「ポチ……」

「ポチっていうのか? 犬みたいだな……ってポチ?」

「うん……」


 その目からボロボロと零れ始め、泣き始めた。すると急に目の前から消えた。パサッと服がその場に落ち、中から子犬が顔を出した。クンクンと鳴いて男の足にすり寄ってくる。

 男は思い出した。数年前に施設に預けた子供のことを。


「おかえり……寒かっただろう?」


 男は抱きしめて、家に迎え入れた。


 それからというもの、毎日が楽しかった。ポチは地図の読み方を習ってから、記憶を頼りにここまで戻ってきたそうだ。会いに行ってはいけないというのは覚えていたらしいが、会いに来たかったのだと。


 男は自分自身がポチに会いたがっていたことに気が付いた。

 ただ一つだけ困ったことがあるとすれば、それは食べ物だった。

 ポチは人間の習慣になれている。そのため、男の料理はみずぼらしく感じていることだろう。男は申し訳なく思っていたが、「ありがとう」と言ってくれるのが嬉しかった。


「そうだ、お前さんの好きなもんを作るって言ったな。何が良いんだ?」


 男が訪ねると、ポチは照れたようなそぶりを見せて口を開く。


「人間」

「人間かぁ! それの?」

「太ももの、塩焼き」

「おう、任せな!」


 男は、自分が孤独であることを忘れることができた。


 しかし、そういう時に限って人間は現れなかった。

 いつも狩りをしている範囲は、もしかしたら警戒されているのかもしれない。



 そんなある日の事、いつものように二人で山菜を取りに行った帰り道のことだった。ふと思い立って、いつもとは違うルートにも進んでみることにした。ポチに塩焼きを食べさせたいのだ。

 あまり慣れない道だったが、山生活をしている男はすいすい進んでいった。

 しかし、ふとした拍子で崖から足を滑らせてしまった。

 落ちていく最中、ポチが手を差し伸べてくれる。しかし掴むことができなかった。そのまま地面へと激突する。


 気が付くと、病院のベットの上であった。見回りに来た看護師が気付いて、徐々に周りが慌ただしくなる。

 どうなったんだと思いながらも痛々しい体を無理やり起こそうとすると、「動かない方がいいですよ」と言われた。そして医者の説明が始まった。

 どうやら自分はあの後運よく木に引っかかり助かり、こうして生きているらしい。奇跡だと医者は言った。

 だが両足を骨折しており、もう二度と歩けないそうだ。一生車椅子生活になるだろうと言った。


 男はそれを淡々と聞いていたが、心の中では絶望していた。

 どうしてこうなるんだ。俺は何も悪いことはしていないのに…… その後、リハビリを受けながら一か月ほど入院生活を送った。


 ポチが見舞いに来た。病院に搬送された時に付いてきたそうで、病室がわかるらしい。やせ細った男の姿を心配そうに見つめてくる。


「大丈夫だよ、俺は死なねぇさ。こっちの料理の味に慣れなくてよ」


 退院した時のことを考えると憂鬱になる。こんな体になったからには山で暮らすのは難しいだろう。するとポチが何か言いたそうにこちらを見つめている。


「なんだ? 言ってみな」

「家……ある。私の家」

「お前さんの家? 俺みたいな奴が住む場所じゃないんだよ」

「でも山は帰れないよね……一緒に暮らそう」


 男は悩んだ末に了承することにした。確かにこの先一人で暮らすにしても不自由な体である以上、介護してくれる人が欲しいと思っていたところだ。



 退院すると、ポチは男の車椅子を押して歩いた。

 途中、男が話しかける。


「お前さんはどこに住んでいるんだい?」


 ポチは首を横に振る。


「まさか野良猫かい」


 またも首を振る。ポチは街中にある一軒家を目指す。それなりに大きく、庭には畑があり、立派な野菜が育っていた。


「こりゃすげえ。お前さんが育てているのか?」

「うん、一応……教えてもらってる」

「教えてもらってる?」


 ポチは鍵を取り出し扉を開けると、中に入っていく。


「ただいまー」


 奥の部屋からは返事がない。代わりに微かに物音が聞こえる。


「ほかに誰かいるのか?」


 男がポチに声をかけると、奥の方からスーッと滑るように移動してくる人物がいた。

 それは全身を白い布で覆われた人だった。身長は男よりも高く、190cmくらいだろうか。髪は長く足元まで伸びていて、布の下から見えていた。


「うわぁああ!」


 思わず叫び声をあげる男。


「驚かせてすまない」


 その人物は屈みこみ、男の顔色を伺いながら謝罪の言葉を口にする。


「あなたは誰ですか……?」

「私? 私はエツジ、幽霊だ」

「ああ、そうなんですか……」

「娘から話は聞いているよ。ここでゆっくりしてほしい」


 男は安心して肩を下した。幽霊というのは珍しいが、いないわけではないからだ。どうやら彼は、ポチの養父らしい。


「今は幽霊でも身元引受できるようになったんですね」

「まあな。私が死んでから10年経って、法律が変わったみたいでな。今じゃ普通のことだぞ」


 普通と言われてもピンとはこないが、そういうものなのかと納得するしかなかった。


「早速だが、あなたの歓迎会をしたくてね。といっても私とポチだけだから、三人だけのこじんまりとしたものだ」

「歓迎会?」

「何か好物はあるか? ポチに買い物に行かせよう」


 その時、ポチが口を開いた。


「一緒に行く、スーパー。見ながら考えようよ」

「それもそうだな」



 十数分後、男はポチに押され、店内に入っていった。

 そこで目にしたのは、十数年前に見たものとは全く違う光景だった。

 男が住んでいたころは、閑散とした店内だったか、今では陳列棚に並べられた商品たちはどれも見たことがないもので溢れ、所狭しと並んでいる。特に目を引かれたのは調味料の数々だ。瓶に入った液体状のものや粉末状、さらに固形のものなど様々あった。

 他にも缶詰などの保存食、菓子類なども置いてあり、まるでお祭りのような賑わいを見せていた。

 横でポチがカゴを手に取り、キョロキョロしている男に持たせた。

 ポチに慎重に車椅子を押してもらいながら、男は「おっ」と声を上げた。


「あったあった」


 手に取ったのは人間の太ももだ。表面には黒い線が入っている。これは血管が通っている証拠であり、人間ならば必ず持っているものである。

 男はいつもその場で捌くから、この線は見えない。


「それにする? 何作る?」

「これを鍋に入れて煮込むんだよ。美味しくいただけますって書いてあるから大丈夫だろうさ」

「塩焼きがいいと思う」


 そう言うポチに、男は思い出したように、ふっと微笑んだ。


「そうだな、そうしようか」


 ポチは嬉しそうに笑った。

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ポチ 片葉 彩愛沙 @kataha_nerume

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