第30話 王女の事情

 ガルニール卿が王都へ到着したのは、手紙が届いてから数日後のことだった。

 今にも雪が降りそうな、どんよりとした空の下。それに反比例するかのように鮮やかな色合いの派手な馬車が入ってくる。

 窓に張り付くようにしてガルニールの到着を、ある意味今か今かと待っていてイネスは、とうとう耐えきれなくなったらしく、踵を返した。震える体を抱きしめながら、ソファへ腰掛ける。その顔は、真っ青だった。


 ピケとノージーがイネスの代わりに外を眺めていると、しばらくして馬車から細身の男が降りてきた。

 浅黒い肌に艶やかな黒髪は、アルチュールの特徴らしい。どことなく不健康そうに見えるのは、長旅のせいだろうか。

 細い眉に、ややつり上がった目、細い顎は神経質そうに見える。


「うわ……」


 見るなり、ピケが言った。

 その隣にいたノージーも、ピケの「うわ」に込められた言葉の意味を理解してか、唇に拳を当てながら小首をかしげ、


「そうですねぇ……話す時も口が小さく閉じているので、ボソボソとしゃべっているのでしょう。神経質な人の特徴の一つです」


 と言った。

 そんなノージーにイネスは「その通りよ」と答える。


「とうとう、来てしまったのね……」


 ソファで身を縮こませていたイネスが、重いため息とともに声を漏らす。

 その様子は、まるで生贄のようだ。どうしようもないと諦めながら、それでもまだどこかで諦めることができないでいる。まだ引き返す余地があるのではないかと、願ってしまうのだろう。


(イネス様は、優しいから)


 だけどその優しさが、この事態を招いた要因の一つであることは確かだ。


(原因とまではいかないけれど……イネス様は、気に病んでいる)


 ガルニールが王都へ来る前の数日の間に、ピケとノージーはイネスから告げられた。


「あなたたちと出会った日……わたくしは“うっかり国から侍女を連れてくるのを忘れてしまった”と言いましたけれど……本当はうっかりではないのです」


 アルチュールの天使と呼ばれるイネス・アルチュールが国王に溺愛されていたのは、ロスティとの戦争が始まる前まで。

 そう。現在、国王はイネスを溺愛していない。


 戦争が始まり、安全な城でただ待っているだけではなく、王族である自分にも何かできることがあるのではないか。

 イネスは考え、周囲の者たちとも相談した結果、負傷兵たちの看護の手伝いをすることになった。


 最初は良かったのだ。国王も「兵の士気が上がる」と大喜びだった。

 だが、敗戦の気配が漂うようになってくると、そうも言っていられなくなる。

 国王からは「城に戻れ」と命令がきていたが、日々増えていくばかりの負傷者たちを置いて、戻れるはずもない。

 再三にわたる命令を無視した結果、国王はイネスを見限ったのである。


 戦争が終わり、城へ戻ったイネスに待っていたのは、冷遇の日々だった。

 煌びやかな王宮から、掃除もまともにされていない冷宮での生活。あらゆるものが質素になり、侍女も来たり来なかったり。


「わたくしは、仕方がないと受け入れました。王命を無視したのです。殺されたっておかしくないのに、わたくしは生かされた。わたくしはそれを、父から贈られた最後の愛情なのだと思って、感謝していたくらいです」


「しかし、それをよく思わない者もいたのですね?」


「ええ、ノージー。その通りよ」


 イネスは処遇を受け入れた。

 しかし、戦場でイネスに看護してもらった兵たちは、そう思わなかったのだ。

 負傷兵の中には宰相の末息子をはじめとする高位貴族の子息もいたようで、「息子を助けてくれた姫が苦労するなどとんでもないことだ」と宰相らが国王に物申したらしい。


 さらに、国内ではテト神教の信仰が強くなっていた。

 イネスの世話になった元負傷兵たちが、彼女の影響を受けて熱心に信仰するようになったためである。

 ついには「イネス様は女神テトの生まれ変わり」なんてうわさが流れ始め、彼女の処遇に不満を募らせた民衆が「どうにかしてイネス様を救えないか」と集会を開くようになったのだ。


 口うるさい臣下に、騒ぎ立てる国民。

 国王は、辟易していた。敗戦したばかりで一刻も早く国を立て直したいのに、たかがイネスのことくらいで手を止めていられないのだから。


 そんな時である。ロスティ国から、縁談が降って湧いた。

 しかも相手はキリル王太子で、イネスをご指名である。

 成婚すればアルチュール国には利点ばかり。

 この縁談を断る理由など、どこにもなかった。


「父は厄介払いしたかったのでしょう。ついて来る予定だった侍女は時刻になっても現れず、わたくしは一人で、迎えに来た馬車に乗りました」


 今にも泣きそうな顔なのに、それでも笑みを浮かべようとしながら、イネスは言った。

 話を聞き終えたピケは、「イネス様は何も悪いことをしていないのに」と泣いた。

 わんわんと子どもみたいに泣きじゃくるピケを、ノージーとイネスは眩しいものを見るように見ていた。


(せっかく、せっかくイネス様が幸せを手に入れようとしているのに……それを邪魔しようだなんて、許さないんだから!)


 城内へ消えていくガルニールの背中を睨みながら、ピケは強く心に思った。


「絶対に絶対にぜーったいに! イネス様の幸せを守ってみせる!」


 拳を握って闘志をみなぎらせているピケを見て、ノージーが不満そうな顔をしていたことなんて、ガルニールを睨んでいた彼女は気づかない。

 そんな男を見るくらいなら僕を見てと言わんばかりの表情に気づいたのは、イネスただ一人だけ。


「わたくしのことよりも、ノージーのことを考えてもらわなくてはいけないのに……」


「失礼いたします。ただいま、ガルニール伯爵クーペ・コンカッセ様が到着されました」


 イネスのつぶやきは、ガルニールの到着を告げる兵士の声にかき消される。

 疲れが滲むため息を吐きながら、イネスは立ち上がった。


「……せめて二人だけでも、穏やかな暮らしをさせてあげないといけませんわね」


 そのためには、ガルニール卿をどうにかしなくてはならない。

 気が重くて仕方がないが、すべては自分のため、ひいては二人の侍女のためである。

 キッと前を向いたイネスの顔は、次期王妃らしい気品に満ちていた。

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