男嫌いな侍女は女装獣人に溺愛される

森湖春

第1話 九回目の生

 猫はたくさんのたましいを持っていて、九回も生まれ変わることができる。

 まだたましいが残っている猫は死した後、毛皮を着替えてこの世に戻ってくるのだ。


 猫の魔獣であるノージーは、すでに八つのたましいを使い果たし、あとがなかった。

 だというのに、まだ目が見えたばかりのちっぽけな彼は、今にも死にそうな目に遭っている。


 ──ギャア、ギャア、ギャア!


 木の上から、恐ろしげな声が聞こえてくる。

 声の主は、カラスだ。

 真っ黒な羽をバサバサさせながら、意地の悪い顔で笑っている。


『もう諦めろ、ちっぽけな毛玉。早く私のおなかに収まってしまえ』


 ギャアギャアとカラスは笑う。

 意地悪カラスめ、とノージーは文句を言いたかったが、喉をつつかれていたので声が出なかった。


 カラスは、ノージーを食べるつもりのようだ。

 魔獣しか生きられない魔の森において、母親とはぐれ、食べるものにありつけない子猫は、格好の餌食なのだろう。


 ノージーは、すでに三回もカラスの鋭いくちばしでつつかれて、瀕死ひんしの状態だった。

 フワフワの長い毛は、今や血で濡れてべったりと張り付いている。

 得意の魔術も、子猫の姿では十分に使うことができなかった。


『もう、終わりなのかな……』


 万事休す。

 ノージーの脳裏に、今まで破れた恋の相手が、浮かんで消える。浮かんで、消える。浮かんで、消える。浮かんで、消える。浮かんで、消える。浮かんで、消える。浮かんで、消える。浮かんで、消える。


 彼の八つの猫生はすべて、報われない恋によって幕を閉じてきた。

 そして最後の九回目の猫生にして初めて、恋以外の理由で終わろうとしている。

 カラスの餌食になるという、最悪の最期。


『嫌だぁ……せめて最後の一回くらい、かわいい女の子と報われる恋がしたかった』


 ミャア、とか細い声が息とともに吐き出される。

 木の上のカラスが、今にも息絶えそうなノージーを喰らおうと枝から降りた。と、その時である。


 ──ドドドドド!


 凄まじい速さで、二つの足音が迫ってくる。

 足音はノージーとカラスの方へ一直線に向かってきているようだ。

 カラスは慌てて飛び上がると、再び枝の上へ舞い戻った。


 ──ドドドドド!


「キャァァァァァ! たすけてぇぇぇぇぇぇ!」


 次第に、足音とともに声が聞こえてきた。

 女の子の声だ。

 助けて、とは穏やかではない。

 聞こえてくる音から察するに、女の子は猪に追いかけられているらしい。


『あぁ、あの子もおなかを空かせているんだ……』


 枝の上で遠くを見つめるカラスを見上げ、ノージーはぼんやりとつぶやいた。


 ノージーたち魔獣が暮らす魔の森は、ロスティ国の北から西にかけて広がっている。

 ロスティ国は大陸の北方にある国で、世界でも有数の豪雪地帯だ。半年ものあいだ雪に覆われる難儀な土地なのだが、魔の森を挟んだ向こう側で乱立している小国たちは、この国がほしくてたまらないらしい。


 ロスティのやっかいな気候など気にもならないのか、小国たちはひっきりなしにけんかをふっかけてくる。そのたびにロスティは必要最低限の力でねじ伏せてきたが、いい加減我慢ならなくなったようだ。

 このほど大規模な作戦が展開され、ちょっかいを出した小国は漏れなくねじ伏せられ、ロスティに吸収された。様子見をしていた国は恐れ慄き、「ロスティには決して逆らうまい」と頷き合った。もっとも、そのうちの一、二国くらいは表向きだっただろうが。


 そんなわけだから、ロスティに吸収されたばかりのかつての小国では食糧難が続き、飢えた人族が魔の森に分け入ることは多々あった。

 おそらく、女の子もその一人なのだろう。


 この魔の森で、女の子が一人で生き抜くことは困難だ。魔素が満ちたこの場所は、魔力耐性がない者が入ればあっさりと迷い、魔獣に喰われてしまうのだから。

 きっと、女の子は猪に食べられてしまうだろう。

 時同じくして、ノージーもカラスに食べられてしまうに違いない。


 ノージーはなんとなく女の子に運命的なものを感じて、どうにか助けられないか、と思案する。

 しかし、瀕死の状態である彼の頭は、考え事をすることさえ難しかった。


『こんな時になんだよ、僕のポンコツ!』


 ノージーが思ったその時、ついに女の子が姿を現した。

 こんがり焼いたパンみたいな茶褐色の髪。ちっちゃな鼻と口に、ノージーと同じ深みのあるグリーンに輝く楔石スフェーンのような目。小さな体のどこにそんな力があるのか、彼女は大きな袋を担いで走っていた。


 すぐ後ろから、猪が後を追う。

 女の子は後ろに気を取られるばかりでノージーに気付いてもいない。

 このままいけば、ノージーは女の子に踏みつぶされてしまうだろう。


『女の子に踏まれて死ぬなら、カラスにつつかれて死ぬよりまだマシかな……さぁ来い、名も知らぬ女の子。ひと思いにやってくれ』


 目を閉じ、ゆっくりと体を地面へ横たえたノージーは、しかし踏まれなかった。


「キャァァァ! ねこっ、ねこ踏んじゃう!」


 なんとか踏み止まった女の子が、ノージーを飛び越える。

 そのまま猪の追走から逃げていくと思われたが、彼女はなぜか引き返し、ノージーを無造作につかみ上げた。


「とりあえず、ここに入っていて!」


 女の子は持っていた袋へノージーを突っ込むと、再び走り出した。


 袋の中は、とても快適とは言い難かった。

 女の子が走り、飛ぶたびに揺れたし、なによりノージーは今にも死にそうな虫の息。

 だがそれ以上に嫌だったのは、袋の中にいた先客である。長い耳に、真っ赤な目。意識のないそれらは、魔兎と呼ばれる魔獣だった。


『まさか、彼女がこれを全部狩ったのか……?』


 にわかには信じがたいことだ。この魔の森で、小さな女の子が一人で狩りをするとは。

 それも、普通の兎ではなく火の魔術を使う魔兎とは恐れ入る。


『もしかして、僕のことも食うつもりで……?』


 遠い東の国では猫の皮を剥いで作った楽器があるらしい。

 何度目の猫生で聞いたのか、もうノージーは思い出せないが、皮を楽器にする文化があるのなら肉を食べる文化も存在しそうだ。


『かわいい女の子に食べられるのなら、悪くない最期じゃないか』


 ノージーは静かに目を閉じた。

 あのちっちゃな口に僕は食べてもらえるのか、と満足そうに微笑みながら。





 一度は食用猫としての死を覚悟したノージーだったが、自宅へ帰った女の子はウサギの皮は剥いでも猫の皮は剥がなかった。

 女の子──ピケ・ネッケローブの父は粉挽きの仕事をなりわいとしていて、どうやらノージーのことはねずみの駆除をさせるため連れ帰ったらしい。


 ピケの献身的な看護の甲斐もあってなんとか生きながらえたノージーは、貧しいのに上等なお肉を分け与え続けてくれた彼女と彼女の父に感謝した。

 そして、九つ目さいごの猫生はこの二人へ捧げようと、決めたのだった。

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