第107話 命の瀬戸際

 私は今、真っ青な顔をして昏睡したトゥール卿と同行して、馬車にのり、トゥール卿のタウンハウスへと向かっている。



 あの後すぐに、私は馬車の所へ行き、トゥール卿が倒れたことを報告して、すぐに治療施設への搬送をするようにと話した。


「トゥール卿が胸を掻き毟って倒れられたわ! もう意識がないの! はやく治療の施せる場所に搬送しないと!!」


「えっ!? 旦那様が倒れられたのですか!?」


 御者は慌てて馬車から飛び降り、書店の中に入ってトゥール卿のもとへ駆け寄る。


「あぁ!! 旦那様が持病の心臓発作だ!」


 御者はそう言うと、懐から小瓶を取り出し、意識のないトゥール卿の口に含ませる。


「それは!?」


「これは旦那様が心臓発作を起こされた時の為の気付け薬です!! 効果は僅かですが少しの間、延命することができます!!!」


 御者がそのような薬を普段から所持している事は、周りの物は、トゥール卿が心臓発作の持病を持っていることを周知しているのであろう。


 御者が薬を飲ませて、暫くすると、先程までまるで時を止められたかのように、ビクリとも動かなかったトゥール卿が浅い呼吸を初めて、死人の様に真っ青だった顔色も、少し赤みを帯びてくる。


「トゥール卿の顔色が赤みを帯びて来たわ!」


「良かった… 再び鼓動が再開したようです…」


 鼓動が再開したとは、トゥール卿は本当に心臓が止まっていていたのか!?


「すみません!! 誰か手を貸して下さい!! 旦那様を馬車に乗せて屋敷に戻ります!!」


 御者の呼びかけで、書店の店員が応じて、トゥール卿を馬車の中に運び込み、私が付き添う人として同行することになったのである。


「少々飛ばしますので、ご了承願います!!」


 外の御者台から御者が馬車の中の私に声を飛ばしてくる。


「大丈夫よ! トゥール卿は私が抱きかかえているから!」


 そうして、馬車はトゥール家の屋敷に到着し、トゥール卿は玄関から屋敷の中に運ばれていくが、その間もトゥール卿はオードリーの為に購入した本だけは離そうとはしなかった。


「旦那様をすぐに寝室へ!! 主治医の先生をお呼びしろ!!」


 恐らく筆頭執事と思われる初老の男性が、屋敷の人々に声を飛ばして指示をしていく。


「私も付き添います!!」


 慌ただしい状況に、自分のすべきことを見失いそうになりそうだが、私はトゥール卿の状態を見届けなければならないと自分に言い聞かせる。


「トゥール卿! しっかりしてください!!」


 私は担架で運ばれていくトゥール卿の手を握りながら、トゥール卿に声を掛ける。


「トゥール卿はまだ、オードリー様に本を渡されていないのです!! ここで諦めたらダメです!!」


 私と動揺にトゥール卿に付き添う筆頭執事が私をチラリと見て、トゥール卿の顔を見る。


「旦那様!! その御令嬢のいう通りです!! 頑張って下さい!!」


 そして、トゥール卿を載せた担架は、トゥール卿の寝室に辿り着き、ベッドの上に寝かされる。そこに待ち受けていた主治医が、トゥール卿の胸元を開いて心音を確認し、腕の袖を捲っていく。


「先生!! 衣服よりも今は旦那様の命の方が重要です! 破いてもけっこうです!!」


 側にいた筆頭執事が主治医に声を飛ばすと、丁寧に袖を捲っていた主治医は袖を引き裂いて腕を露出させる。そこへ注射器を取り出し、トゥール卿の腕に差し込んで中の薬を注入する。その腕の所を見ると、肌の色が赤く変色し、何度もこの注射がされた事を物語っている。


 主治医は注射を終えると、手首を持って脈を確認し、再びトゥール卿の胸で心音を確認する。


 しばらく、じっと心音を確認していた主治医であるが、トゥール卿から離れて、額の汗を拭いほっとした顔をする。


「旦那様はとりあえずは安定されました。暫くは大丈夫です」


 側にいた私や、筆頭執事達はその言葉に胸を撫でおろす。トゥール卿はなんとか死をまぬがれたのである。


「旦那様…良かったです…間に合って、本当に良かったです…」


 筆頭執事がトゥール卿の顔を覗き込み、小さな声でつぶやく。


「えぇ、本当に一時期はどうなるかと思いましたが、トゥール卿が助かって本当に良かったです」


 私もトゥール卿を覗き込む。トゥール卿の片腕は袖を引き裂かれて注射を撃たれたままであろうが、残った片腕は大事そうに本を握りしめている。


「ところで、御令嬢…」


 筆頭執事が私に呼びかけながら向き直る。私もそれに答えて筆頭執事に向き直る。

 

「はい、なんでしょうか?」


「御令嬢は、オードリーお嬢様が通われておられる学園のご学友とお見受け致しますが…」


 筆頭執事は私の対処に困っているようだ。確かにどこの誰がか分からない人物がこの家の当主の聞きに連れ添ってきたのだ。困惑しても仕方がない。


「自己紹介が遅れました。私はレイチェル・ラル・ステーブと申します。お察しの通り、オードリー様と同じ学園に通う生徒でございます」


 私が自己紹介を終えると、先程の馬車の御者が部屋に飛び込んできて、トゥール卿の安否を確認した後、筆頭執事に耳打ちをする。


「………」


「おぉ、そうか! この御方が!」


 御者の耳打ちに、筆頭執事は驚いた顔をしたあと、身なりと姿勢を正して、私に深々と一礼する。


「私こそ申し遅れました。このトゥール家にお仕えしております筆頭執事のリプト・ユニバーと申します。この度は、旦那様の相談に乗っていただいたのみならず、その命までも御救い頂きまして、誠にありがとうございます。旦那様に代わりまして、深く御礼申し上げます」


「いえ、私は命までは救っておりません、ただ呼びかけて応援しただけですので」


 私に治療魔法の技術があれば、もっと容易くトゥール卿を救う事ができたのであろうが、自分の能力の低さに幻滅する。


「いえいえ、そんな事はありません、旦那様はオードリーお嬢様との仲が上手く行かずに、塞ぎ気味でございましたが、ある日唐突に、機嫌が良くなられて、『良き相談相手の友人が出来た』と申されておられました。お陰様で、その日以来、元気に過ごされておられました。私も旦那様の『良き相談相手の友人』がまさかこの様な麗しい御令嬢とは露程も思いませんでしたよ」


「小娘でしかない私の事を『良き相談相手の友人』だと、トゥール卿はおっしゃっていたのですか?」


「はい、旦那様には同世代のご友人は沢山おられますが、どの方も同じ父親目線でございますので、オードリーお嬢様との関係を良くする意見は中々得られませんでした。しかし、レイチェル様のお陰で光明が見えてきたと、それは大層お喜びのご様子でございました」


 そうか、私なんかの助言で元気になってもらえていたのか、良かった。


「話は変わりますが、トゥール卿のこの様な事はよくあることなのですか? 心臓がお悪いようですが、治療はできないのですか?」


 皆の対応の素早さや、腕の注射痕を見る限り、何度も同じような事があったように見える。侯爵家のような上級貴族であれば、完治させることも可能なのではないだろうか?


「はい…旦那様は生まれつきに心臓が弱くいらっしゃって、興奮したり疲労が溜まるとこの様な発作を起こされることがあります。今までは薬で誤魔化して参りましたが、最近、ご機嫌が良かったようで、薬の服用を怠っておられたようです。医者や治療術師に完治の相談をしてみたものの、生まれつきの患いなので治すのは困難であると告げられまして…」


 魔法の力でも完治出来ないなんて…どういうことなのだろうか?


「そういえば、オードリー様の御姿はまだお見えにはなっていないようですが、トゥール卿が倒れられた事をオードリー様にはもう伝えられましたのでしょ?」


 私がオードリー嬢の姿がない事に気が付き、筆頭執事のリプトさんに尋ねると、彼は少し目を伏せる。


「…いえ、お伝えしておりません…」


「えぇ!? どうしてなのですか?トゥール卿は命を落とされるところだったのでしょ!?」


 信じられない、死に際だったかも知れないのに…


「…その話は…私からしよう…レイチェル嬢…」


 ベッドの上のトゥール卿から言葉が響いた。


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