第008話 人肉の果実

 音もしない、匂いもしない、温度も感じない、手足の感覚もなく、上下の方向感覚もない。ただ真っ白な空間。真っ白と感じるという事は視覚はあるのかと思えば、瞬くことも、瞳を動かす事も出来ない。


 生きているのか死んでいるのかも分からなかったが、自分自身の脈も感じる事が出来ない所を見ると、恐らく私は死んでいるのであろう。という事は、私は今、死後の世界にいるのであろうか…


 私は死んでしまったのだと、ぼんやり考えていたが、沸々と様々な事が思いあがってくる。あーちゃんはどうなったのであろう。もし私が死んでしまったのなら、一人残された母はどんなに悲しむであろう。


 そんな事を考えると無いと思われる胸が締め付けられるように苦しくなった。


『生きたい』


 母の事を考えると、強く激しく生きたいと思った。これが死後の世界ではなく、単なる臨死体験なら、『生きたい、生き返りたい』と強く念じた。


 どうして、私はこんなに不幸な事になるのであろう。母と私があんな事になり、その上、母を残して死んでしまうなんて… これも私に取り付いている『アイツ』のせいであろうか…


 『アイツ』のせいで、私だけではなく、あーちゃんや母が不幸になる事は許せない!


 私は他人まで不幸に巻き込んだことに、憤りを覚えていると、初めに感じていた胸の苦しみが、どんどん上がっていき、いつしか喉が苦しくなってくる。


 私は、あるはずのない手足でもがいていると、喉の苦しみがいつしか息苦しさに替わっており、身体の手足の感覚、またその体が揺れている感覚も覚え始める。そして、先程まで真っ白だと思っていた視界が真っ黒であり、瞼が存在する感覚まで出始めた。


 その感覚に思い切って瞼を開いてみた。それと同時に、先程までなかった筈の、音、匂い、温度や触覚など、全ての感覚が戻っていることに気が付く。しかし、瞼は開いていても、視界はぼやけており、辺りも薄暗い。また、喉に締め付けを感じ、息苦しさを先程よりも強く感じる。


 そこでようやく、自分の首が何かに締め付けられていることに気が付く。しかも、足の裏に地面の感覚がない。私は自分の首に手をやると、布で首が絞められて吊るされていることに気が付く。私は布を両手で握りしめ、首が締まらないように、自身の身体を持ち上げようとする。しかし、私の腕力では身体を持ち上げる事は出来ない。少々苦しみを和らげる程度だ。


 『このままでは死んでしまう! ようやく生き返ったのに!』


そんな私の視界にチラチラと飛び回る光の球が見えた。その光の球は私の周りを心配そうに飛び回り、最後には私の身体の中に飛び込んできた。


 『死なないで! 生きて! 生きて! 私が力を貸すからっ!』


 私の頭に私の知らない声が響く。それと同時に力が沸いてきて、先程まで持ち上がらなかった身体が徐々に持ち上がり始める。そして、ようやく首に掛かった布が緩む。そこで私は一気に首を抜き去るが、そこで精魂尽きて、手を離す。


 私の身体はドスンと落下するが、高さがそれ程でもなかったことと、背中の感触からして、下に草が生えていたようなので、身体には落下の痛みはそれ程なかった。しかし、力を使い果たしたので、身体を動かせずにいた。


 そんな状態の私の視界には、薄暗闇の下からみた樹木とその枝に掛かり、ゆらゆらと揺れる先程まで私の首がかかっていた布だけであった。


 なんで、首吊り状態であったのであろうかと思いながら、私は再び意識を失っていった。



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