第一章
「罪と追われる者と」
第一級指名手配。過去にこの指定を受けた者はそう多くは無い。
大量虐殺、国家反逆、そして禁止魔法の行使。
そんな大罪を犯す奴らはいずれも人として大事な何かをどこかに落としてきちまったような奴らだと相場が決まっている。
人を殺す事で快楽を得る
「ねぇねぇヴァル君、見て見て~。これ何かなぁ?」
――と、こんな白昼からのほほんと天下の往来を楽しむような人間ではないはずだ。
「え?うそっ!これ食べられるんだって!ねえ食べてみようよヴァル君」
この女――エリカ・カーティスは店主に金を払うと、袋いっぱいに詰め込まれた色とりどりの鮮やかな砂糖菓子――金平糖を嬉しそうに頬張る。
店主も自分が作った菓子でこんなに喜ばれたのは初めてなのか妙に嬉しそうだ。その店主も、この女がまさか重罪人である第一級指名手配犯で、国中の捜査機関が血眼で追っているなど思いもしないだろう。
気をよくしたのか店主がおまけに、と差し出した小袋を嬉しそうに受け取る姿は、指名手配犯なのではなく子供そのものだ。まさかその女がもう20歳を超えたいい歳の女であるとは――さすがに見ればわかるか。
タイトなワンピースがエリカの起伏に富んだラインを如実に浮き出させている。成熟したその肢体は男には目の保養に十分なる体だ。
「えへへー。おまけでもう一袋もらっちゃった。ヴァル君も食べる?」
エリカはトテトテとこちらに寄ってくると、金平糖を口に頬張りながらその袋をを俺の前に差し出す。
「いるか。ガキじゃあるまいし」
俺は無下にあしらう。正直二人並んで菓子を食うなんて恥ずかしくてできたものではない。
「おいしいのになー。後で欲しいとか言ってもあげないわよ?」
「言わねぇよ!そんな事より今日の宿さっさと探すぞ」
俺は舌鼓を打つエリカを置いてさっさと大通りを進む。
この宿場町エルバは近くにある港湾都市マルレーンから近い事もあり常に人が賑わっている。特に大通りは露店が所狭しと並んでおり、マルレーンから運ばれた様々な商品を並べている。ここに住む主婦は新鮮な魚介類を見て今日の食事の献立を考え、遠くから来た旅人などは土産にと遠方の民族品を手に取る。
エリカがこれらに目を輝かせながら忙しなく見ていることは後ろを振り返らずともわかる。
「……お前さ、少しは犯罪者としての自覚はないのか?」
一応声を低くして訊ねる。
「もぅ。だから、何度も言ってるでしょ。二年前のあれは事故だったんだから。そういう言い方しないで」
と、エリカは頬を膨らませて怒りながら返す。
「それ自体にも色々言いたいことはあるが、今はいい。お前が実際何をしたか、してないかは関係ない。お前は第一級指名手配を受けた。これは事実なんだ。もっとそれらしい行動をしろよ」
「じゃあ指名手配犯らしさって何?物陰に隠れてあたりをきょろきょろするような?そっちのほうがよっぽど挙動不審で怪しまれるわよ」
「馬鹿っ。俺の言ってるのはそういうことじゃなくて、お前は少し肩の力を抜きすぎっていうか――」
「まぁまぁ坊主。これでも食って落ち着きな。な?」
俺たちの言い争いを見かねた露店の店主らしき恰幅のいい中年の女が間に入り、俺に魚の串焼きを差し出す。
「誰が坊主だ!いらねぇよ!……おいエリカ!お前も笑ってんじゃねえ!」
後ろを向いてクスクスと笑っているエリカ。
クソッ!どいつもこいつも見た目で判断して子供扱いやがって。
浅黒い肌に短く切った銀色の髪。引き締まった体つきを見れば子供のそれではないのはわかるはずだ。
しかし、童顔と分類される顔立ちの俺は傍から見れば、子供と勘違いされやすい。
実際はエリカより、いやそれどころかこの女店主よりもはるかに年上なんだがな。
「まぁお前さんぐらいの子供は背伸びしたり、無意味に家族に反発したがるもんさ。うちの倅もそうだった。ほら、遠慮しないで持っていきな」
女店主は強引に俺に串を握らすと「姉ちゃんと仲良くするんだよ!」と背中をばしばし叩きながら見送る。もう面倒なので無視して先に進むと後ろでエリカが店主に礼を言っていた。
……これじゃ本当に姉弟みたいじゃないか。くそっ。
いろいろありながらも日が落ちる頃にはなんとか宿を見つけることが出来た。宿場町なので宿自体は多くあるのだが、生憎こちらは指名手配犯。あまり人の多い宿は避けなければならない。加えて資金に余裕があるわけじゃない。そんなわけで宿を探すのには毎回一苦労だ。
エリカと俺が見つけた宿は、外観こそ薄汚いが、内部は小奇麗で、部屋も値段にしてはなかなか広い。いわゆる穴場宿だ。場所がこんな路地に入った場所でなければ人気も出ただろうに。
「疲れた~」
エリカは倒れるようにベッドに横になる。
「遊び疲れただろう。まったく」
俺は呆れながら備え付けの椅子に腰掛ける。
「遊んでなんかいないわ。ただ珍しいものばかりだからつい知的好奇心が向いてしまったのよ。未知のものに興味を抱くのは知の探究者たる魔法使いなら当たり前よ」
「ただ菓子食って土産物楽しそうに見てただけの奴の何が“知の探究者”だ」
毒づいて言うがエリカはそっぽを向いて露骨に聞こえない振りをしやがった。呆れ果てた俺はもう深くはつっこまない事にした。今に始まった事でもないし。
「で、明日はどうする。まだ見て回るのか?俺的には勘弁してもらいたいんだが」
「そんな余裕はないわ。明日は朝一でここを発ってマルレーンに向かうわ」
ほほぅ?エリカにしては珍しくまともな発言だ。
「俺はてっきり本来の目的を忘れているものだと思ってたよ」
茶化しながらも俺は感心する。
体を起こしたエリカの目はついさっきまでのまったり観光客ではなく、一人の魔術師の目をしていた。
「ようやく掴んだ師匠の手掛かりだもの。今度こそは必ず……」
膝の上で拳を強く握るエリカ。その表情には様々な感情が混ざり合い、何を思っているかは計り知れないが、その奥には確固たる意志が垣間見える。
エリカはただ闇雲に大陸中を逃亡しているわけではなく、明確な目標があった。
目標。エリカが捜し続ける人物。
「ベルゼル・レイマン、だったか?すっかり忘れちまった」
「すっかりって、まだたった二年じゃない。忘れん坊さんねぇ」
いや、それくらいこの二年で何も成果がなかったことを皮肉ったのだが、通じていない様子。
「私が所属していたヤヌス国立魔法研究所の直属の上司にして、私が魔術師として最も尊敬する魔法の師匠よ。お師匠なら何かわかるはずだから。あの日あの時、一体何が起こったのか。なぜ"禁止魔法”が発動したのか……」
禁止魔法とはその名の通り使用が禁止されている魔法のことだ。
古の頃より存在している技術、“魔法”。日々発展を重ね、人々の生活に密着し、いまや魔法は人類社会に欠かせない重要な存在だ。
だがその魔法は誰もが自由に使えるわけではない。魔法は便利なものだが、多くは容易に人を傷つけ、また悪用することが出来る。火を起こす魔法は人を、家屋を焼くことが出来る。治癒魔法は使うものが使えば傷口を広げることもできる。危険な召喚獣はたった一匹でも多くの人間を食らい尽す。
そういった事を防ぐために魔法を使うのは国に認められた『魔術師』だけが魔法を使う資格を得るのだ。
さらに、その魔法の中でも特に危険なものは例え魔術師であっても使用に制限がかけられる。
禁止魔法には第Ⅳ級から始まり、第Ⅰ級まである。第Ⅱ級以上は軍属の魔法使い『魔導士』以外が使うことは絶対禁止とされ、第Ⅰ級魔法は王国議会の承認無しでは魔導士といえど使うことは許されない。
「わかる、ねぇ。俺には明白だけどな」
「何よ。またその話?」
俺の含んだような物言いに、エリカが憮然とする。
「何度も言ってるけど、あれは何かの間違いよ。もしくは何らかの事故が発生していた。それ以外ありえないわ」
「間違いとか手違いで俺はここにいるのか?だとしたらいい迷惑だぜ」
エリカは第Ⅰ級魔法を使用してしまった。いくらコイツが否定しようと、それだけは揺るぎない事実だ。
第Ⅰ級禁止魔法の無断使用は重罪とされ、まず極刑は免れない。それほどまでに魔法の管理とは厳しいものなのだ。
「あれは新しい魔法の実験だった。実験に事故や予期せぬことが起こるのは不思議じゃないわ」
「そのベルゼルってやつの指示で実験を行って、結果このザマだろ?頼りにならないだろ、そんな奴」
「そんなことない!」
エリカが声を荒らげ、俺は内心で舌打ちする。
しまった。こいつの面倒なスイッチを入れちまった。
「お師匠はすごい人なんだから。新たな魔法を次々と編み出し、数々の魔法体系を確立させた、魔法研究も第一人者。魔術師で知らない人はいない偉大な魔術師なのよ」
まるで自分のことのように自慢気に語る。その様は尊敬を通り越して崇拝に近い。
「ああ。そうだったな。もう百回くらい聞いた」
陶酔した笑みを浮かべるエリカを、胡乱げな眼差しで冷ややかに見る。
「私は真実を知るまで、絶対に諦めない。必ずお師匠を見つけるわ」
「その偉大なお師匠様に合って、見事無実を証明。みんな納得。めでたしめでたし……そんな都合よく行くもんかね。むしろ俺は――」
と、その時、階下から言い合う声が耳に入り、会話は自然と中断される。
「な、何なんですかあなたたちは?」
その怯えた声は、受付の老婆のものだ。
同時に、複数の人間が入り込んできたのを感じた。ここは宿なのだから本来なら気にする事はないのだが、
「おい。ここに若い女が泊まっているな!?」
粗野な男の威圧的な声。宿泊客ではないのは明らかだ。
「他のお客さんの迷惑ですから、そんな大勢で物騒なものを……」
「いいから、言え!?女の部屋はどこだ!」
老婆の短い悲鳴と、物が壊される騒々しい音。飛び出していこうとするエリカの手首を俺は素早く掴む。
「わかった。わかったから乱暴はするな。二階だ。部屋は一つしか無い」
もう一つのしわがれた声はこの宿の主のもの。
「手間を掛けさせやがって。おい!行くぞ!」
「向こうからくるみたいだぞ」
こちらを睨んでいるエリカに俺は言う。
騒々しい複数の足音が近づき、部屋の前で止まる。
エリカがため息をつくのと部屋の扉が蹴破られたのは同時だった。
最初に入り込んできたのは口髭を蓄えた大男だった。手には厳つい剣が抜き身で握られている。後ろに続く輩も細かい違いはあれど、先頭の男と似たような奴ばかりだ。
「エリカ・カーティスだな?」
髭の男は明らかに確信を得た口調で確認する。
「そうですが貴方達は?私もう眠いので用があるなら明日にしてもらいたいのですが」
「俺たちは賞金稼ぎ《バウンティーハンター》だ。この意味がわかるな?」
やっぱりな。内心で俺は辟易とした溜め息をつく。
指名手配犯には賞金が掛けられている。第一級ともなれば目撃情報だけでも多額の賞金が付き、捕らえたとなればその報奨金たるや十年は遊んで暮らせるほどだ。そのため、俺たちは必然的にこうした賞金稼ぎたちに狙われる機会も多い。それを危惧して俺は昼間のように再三再四エリカに注意を促したのだが、
「まさか堂々と表を歩っているとは思わなかった。とんだ間抜けだな」
いや、まったくもって返す言葉が無い。
「むっ……。初対面の人に対してその言い方は失礼なんじゃないですか」
当のエリカはまったく見当違いのことに腹を立てていた。
「あのなぁ。何の用心も無く白昼堂々大通りを歩き回る指名手配犯を、間抜け以外なんて言えばいいんだよ」
俺は思わず口を挟んでしまう。
「ちょっとヴァル君、なんで向こうの肩を持つのよ!ひどいわねぇ。仮にそうだとしても、他に言い方はないわけ?」
「ないね。お前は自覚無さ過ぎ。自重しろ」
ただでさえお前は人の目を引くのだから、とはさすがにそれは言わなかった。言ってどうにかなる問題でもないしな。ぽやっとしてはいるが整った顔は不釣合いに大きな眼鏡を含めても美人といってもいいだろう。ショートロングの黒髪に魅惑溢れる体と来れば多くの男の視線を集める。本人にその自覚がないのが悩みの種だ。
むくれて俺を睨むエリカ。それを嘲るように受け止める俺。エリカが何かを言おうとし、また俺もこの際完膚なきまで扱き下ろしてやろうと口を開くが、
「俺を無視するな!」
自分を無視して勝手に言い争う俺たちに苛立った賞金稼ぎの男が怒鳴る
「貴様ら自分達の立場がわかってるのか?」
半ば呆れている賞金稼ぎの男は哀愁すら感じられた。
「素直に捕まるんなら危害は加えないが、どうする?」
咳払いをして気を取り直すと、そうエリカに持ちかける賞金稼ぎ。台詞だけ聞けば意外に紳士的なのか?とも思わせたが、その表情は「別に抵抗しても構わない。むしろ抵抗しろ」という意志が見え見えだ。まぁ賞金稼ぎなんてだいたいこんなものだ。荒くれ者の野蛮人という一般人の認識は間違ってはいない。
短絡思考のこいつらはきっと自分達が優位な立場だと思っているんだろう。事実、俺たちを囲むこいつらは数、陣形の上では有利だろう。
さて、この状況でエリカはどう出るかな?
「……信じてもらえないでしょうが私は罪に問われるようなことは何もしていません。できればこのまま立ち去ってはもらえませんか?」
荒くれ者集団相手に真剣な表情で説得を始めるエリカ。そうすることは大体予想できたが。
「生憎、お前の事情なんか知らない。知ったことでもない。俺が興味あるのはお前の首に掛けられた賞金だけだ」
笑いながら答える賞金稼ぎ。周囲の仲間も同様失笑、もしくは爆笑していた。
「引いてはくれないのですね」
真剣な表情で確認するエリカ。その口調に不穏なものを感じた賞金稼ぎは笑いを収める。
「言っておくが第一級指名手配犯は“
殺気を孕んだその言葉は暗に「殺す」と言っていることを意味していた。
場は一気に緊張感が張り詰め、空気すら冷たくなるような感覚を覚える。
「やっと
そんな空気を心地よく感じながら俺は楽しそうに椅子から立ち上がる。
「小僧。お前には賞金はかかってないが邪魔をするなら殺す。怪我する前に大人しくベッドで寝てな」
「お前こそ尻尾巻いて逃げたらどうだ。後でごめんなさいって言って許してもらえるのは子供だけだぞ?」
ぼりぼりと頭を掻きながら言う俺の安い挑発に賞金稼ぎは癪に障ったのか
「そうだな。……忠告ありがとよっ!」
そういうと同時に賞金稼ぎは勢いよく剣を振るう。豪腕から繰り出される斬撃は空気の唸りすら伴い、斜め下方からのすくい上げるような一撃は身に着けたノースリーブのシャツを容易く切り裂き、俺の脇をとらえる。
刃は易々と俺の脇にめり込み、骨を砕き心臓をも捉えた。さすがに胴を一刀両断とは行かず、半ばまで食い込んだ所で剣は止まる。傷口からは盛大に血が噴き出し、部屋と目の前の賞金稼ぎを赤に染める。
一発で仕留めた感触に笑みを浮かべながら剣を引き抜――こうとして抜けない事に気付く。
「おいエリカ。シフト上げるのが遅ぇよ」
俺は剣を脇に食らいつかせたままの状態で首を傾け、エリカに文句を言う。明らかに致命傷である俺が先程と全く変わらない口調で喋りだしたことにエリカ以外のその場の全員が驚愕する。
「ヴァル君が勝手に挑発して斬られちゃうんだもん。そんな急には無茶よ。いいじゃない。死ぬわけでもないんだし」
「だ・か・ら!いつも言ってるだろ!
言いながら俺は今だ体の半ばまで食い込んだ剣を指差す。
一方の賞金稼ぎたちはこの異常な光景に目を離せずにいた。
「な、なんなんだ、お前……」
なんとか声を発せた賞金稼ぎ。必死に剣を抜こうと引っ張っているがビクともしない。見かねた優しい俺は剣の腹を親指と人差し指でつまみ、軽く捻る。たったそれだけで身幅の厚い剣は小枝のようにあっさり折れた。懸命に引っ張っていた賞金稼ぎは勢い余って後ろに倒れそうな所をなんとか仲間に支えられる。
「何って、俺は――」
俺が親切に答えてやろうとしているのに、展開していた賞金稼ぎの仲間が左右から同時に切りかかってきた。
おいおい。せめて人の話を聞いてからにしろよ。勝手な奴らだな。
左右から水平に払われる剣。ちょうど俺を挟み込むように繰り出されたそれは、前にも後ろにも避けられない巧みな連携攻撃だった。
なるほど。その程度には戦い慣れているわけだ。
「ハハッ!いいねぇ。その必死さ!」
こいつらの目には、俺が急に消えたように映っただろう。剣が俺に届く寸前。俺は剣を掻い潜り、片方の男の懐に飛び込み、肘を腹に叩き込む。そいつは一直線に、まるで撃ち出された砲丸のように吹っ飛び、部屋の壁を破って夜の闇に消えていった。まぁ二階だから死ぬ事はないはずだ。
一方、もう片方の賞金稼ぎはようやく剣を振り切り、対象がそこにいないことに気付いた頃だった。
すかさず繰り出される横薙ぎの二撃目を、俺は丁寧に指先でつまんで止めてやった。
「惜しかったな。俺が人間だったら取れてたぜ、首」
俺は素直に褒めてやる。もっとも、すでに首筋に手刀を叩き込まれ気絶したこいつには聞こえていないだろうが。
「さて。俺が何者って話だが、見ての通り俺は人間じゃあ、ない」
俺は改めて最初の髭の賞金稼ぎに向き直り、腕を広げて優雅に言い放つ。髭の賞金稼ぎは俺の話などすでに聞いてはおらず、折れた剣を振り上げ、雄叫びを上げながら斬りかかってくる。
「俺は――
言いながら、顔面を鷲づかみしていた。つい一瞬前まで間合いの外にいたのに、瞬きをした後には目の前にいるどころか顔面を掴まれていることに賞金稼ぎは目を見開き驚いていた。
俺は顔面を掴んだままそいつを振り回し、まるで紙屑でも捨てるように軽々と放る。男の巨躯を受けたクローゼットは派手な音を立てながら粉々になってしまった。俺の投げる力と筋肉達磨の如し奴の体重を考えれば安宿のクローゼットが耐えられるはずも無い。
「金にしか興味がないのは仕方ないとしても、賞金首の素性くらいは確認したほうがいいな。プロとして」
手を軽く叩き、立ち上がる様子のない男に言う。
「こいつはな。禁止されている第Ⅰ級禁止魔法、それも召喚禁止指定種の魔属“悪魔”を召喚しちまって指名手配されてるんだよ」
親指を後ろのエリカに向け、残る賞金稼ぎに説明してやる。
「で、その時呼び出されたのが俺――って、いねぇし!」
いつもの「だからあれは事故なの!」という言葉が聞こえないと思って後ろを見ると、そこにあるはずのエリカの姿はなかった。どうやら室内での戦闘を避け、窓から屋根に出たようだ。そういやよく見たら賞金稼ぎの人数も最初よりかなり少ない。
「そりゃ俺よりはあいつを狙うよな。やっぱり」
明らかに人ならざる、しかも別段懸賞金が掛かっているわけでもない男の俺と戦うより見た目弱そうな女のエリカを追った方が懸命だ。
残った、というか単に置いてかれた四人の賞金稼ぎは、間合いの外から囲む以外の事はできずにいた。
賞金稼ぎと言えば聞こえがいいが実際は大半が腕力だけのならず者だ。エリカを狙ったのだっておおかた弱々しい外見の女だからというだけで、ろくすっぽ情報収集なんぞしていないのだろう。女相手のちょろい仕事のはずが、思わぬ強敵の出現に内心、狼狽しているのが目の色でわかる。
そんなやつらがたったの四人では俺には少なすぎる。この程度ならあと百人は必要だ。百人も同時に襲い掛かれば俺に傷を負わせるぐらいできるかもしれない。悪魔といえど不死身ってわけじゃないからな。
「んじゃさっさとご主人様のとこに行くとしますか」
言って俺は無造作に手近な一人に近づく。反射的に剣を振りかぶったそいつのがら空きになった鳩尾に拳を抉り込む。そいつが白目を剥くと同時に隣の二人目の顔面を掴み、その隣にいる三人目に投げつける。
二人はもみくちゃになりながら、髭面がのびているクローゼットの残骸に突っ込む。
最後の一人の姿を探して視線を巡らせると、なんとそいつは俺の後ろに回り込み、ナイフを突き出していた。
「へぇ。やるじゃないか」
俺の言葉は後方に流れる。突き出されたナイフを脇の下にやり過ごしつつ、軽やかに旋回しながら種痘を繰り出していた。無念を感じる間もなく、男は意識を失い床に倒れた。
「さてさて。ご主人様は無事かな?」
俺は窓から身を乗り出し、エリカの元に向かう。
屋根に上がると、十人近くの賞金稼ぎと対峙するエリカの姿があった。相手が女ということもあってかどいつも油断しているのがわかる。それも見た目のいい女と来れば、中には下卑た目を向ける奴までいる始末だ。
俺が辿り着いた時、奴らとエリカはなにやら話し合っているようだった。
「お前さん次第では悪いようにはしないぜ?リーダーはああ言ったが俺はお前さんを引き渡さなくてもいいと思ってる。――俺たちの女になるならな」
先頭にいたそいつは、ニヤつきながらエリカに手を伸ばす。
エリカはキッと睨み、その手を強く弾く。それはそうだ。いくら世間知らずのエリカでもあんな提案を呑むほど馬鹿ではない。そのくらいはわかっているはず……
「弱みに漬け込んで女性を意に従わそうなんて、最低です!」
怒るのはそこかよ!
男は至極真っ当なことを言われたことに腹を立てたのだろう。怒りもあらわに剣を抜く。それでも周囲の仲間は武器を抜かず傍観しているのは女一人ならすぐに片付くだろうと踏んでいるからだ。むしろ口笛を吹いてはやし立てたり、その男を指をさしてげらげらと笑うやつすらいる始末だ。
「俺の女になればいい思いも出来たのになっ!」
男は剣を振り上げ、エリカに迫る。対してエリカは慌てることなく、ただ静かに手の平を男に向け翳す。エリカの五指全てにはめられた指輪。その内のいくつかの指輪の表面に彫られた紋様が仄かに光る。
男が剣の間合い入る瞬間、エリカの手の平から魔法陣が発生し、そこから三つの光弾が射出される。高速で迫る光弾を男に避ける術は無く、鈍い音を立てて手、腹、顔に命中する。今のは魔法において最も基礎的な攻撃魔法『スピト』だ。魔力を質量化し直接相手にぶつけるいたってシンプルな魔法だが、シンプルなだけに、魔力の高い高位の魔術士などが本気になればその威力は砲丸の如し。
膝をつき、その場に崩れる男を目の当たりにした周囲の仲間は慌てて武器を抜く。どうやらエリカが魔法使いであることすら知らなかったようだ。
(こいつら本当にただのチンピラだな……)
金額だけに気を取られて賞金首の情報を全く仕入れていないなんて、とてもプロの賞金稼ぎとは呼べない。しかも、事ここに至って未だに余裕を見せる輩までいる始末だ。相手の力量も計り知れないとは救いようが無いな。
そんな奴らにエリカは容赦なくスピトを放つ。突き出した両手を交差させて放たれた光弾は賞金稼ぎたちの急所を的確に打つ。
が、中にはその光弾を掻い潜り、仲間を盾にしてエリカに接近を果たす者もいた。エリカは距離を取るが、いかんせん相手と体格に差がありすぎる。ましてスピトを撃ちながらだ。すぐに距離を縮められてしまう。
さすがにまずいか?と思った時、エリカは口の中で何かを早口で唱えていた。次の瞬間、エリカを中心に魔法陣が出現。呪文を言い終わると同時に、魔法陣の上にはバチッ!という弾けるような音と共に紫電が発生し、宵闇を一瞬照らす。その魔法陣の上にいた、エリカに迫る男達は全身に電気が走り、体を小刻みに震わせると白目を剥いて倒れる。倒れた後も打ち上げられた魚のようにぴくぴくと震えていた。
電撃系魔法『テイザー』。発生した電気によって相手の筋肉を収縮させ、行動にする非殺傷型の攻撃魔法だ。
さすがエリカの詠唱魔法は迅速にして正確だ。詠唱魔法とは先ほどのような、特定の魔法陣に魔力を流し込む陣魔法とは違い、定められた呪文を声、すなわち言霊にすることで使用する魔法の出力形態だ。展開と発動を同時に行えるため、瞬時に魔法が使えるというのが利点だ。ただし、陣魔法ほど高度な魔法は詠唱も長くなり、細かい加減や調整はできないというデメリットはある。
結果は予想通り、エリカの圧勝に終わる。大の男十数人はたった一人の女に返り討ちにされる結果となった。
まぁ、当然と言えば当然だ。
こう見えてエリカはかなりの高い技術を持つ魔術師だ。王立魔法学校を首席で卒業し、この国唯一の魔法研究所に席を置いていた。指名手配前までは。
使える魔法の豊富さと技術力の高さは老練の魔術師にも劣らない。ゴロツキと大差ない賞金稼ぎがいくら束になろうと勝てるわけがない。赤子がどんなに束になろうと大の大人には勝てないのと同じだ。
こうしてゴロツキ集団を見事返り討ちにしたエリカ。しかしその顔は気分爽快――とは程遠い。憂鬱に陰っていた。
「はぁ……またやっちゃった」
学理と肩を落とし、自己嫌悪のため息を吐く。
「私は誰かを傷付けるために、魔法を修めたわけじゃないのよ?それなのに、こんな風に……」
「またそれかよ」と、俺は辟易とする。
「ンなことで毎度毎度ウジウジしやがって。襲いかかってくるやつを魔法でブチのめす事の何が嫌なんだよ」
「魔法というのは望みを叶え、みんなを幸せにするものよ。だから私は人生を魔法に捧げてきたの。魔法学校で学び、王立魔法研究所で魔法の研究に明け暮れていた。あんなことがなければ今だって……」
在りし日を思い浮かべ、うっすら涙すら浮かべている始末だ。
悪態を口にしかけるが、それは発することなく呑み込む。
こいつは並外れた魔法の才能を有している。それこそこんなゴロツキ、本気になれば一〇〇人押し寄せても薙ぎ払える。
だが一方で、魔法を攻撃に利用することを極端に忌避していた。
元々荒事を好まない性格というのもあるが、魔法に対して強い思い入れを抱えているようだ。神聖視している、と言ってもいい。
俺からすればなんとも理解に苦しむ信条だが、下手にそれを口にすれば面倒なスイッチがはいるのは、この逃亡生活の中で経験済みだ。
「だったら戦闘は全部俺に任せろよ。シフトを上げてくれればこんなやつら一秒で片付くぜ?」
「ダメよ。ヴァル君のシフトを上げると大変なことになるんだから。だから
指を立てて言い聞かすような口ぶりに、俺は鬱陶しげに舌打ちをする。
シフトとは召喚し契約した相手――『盟約者』の力を制限するものだ。
元々、この世界の存在ではない異界の者をこの世界に定着させるため、魔法使いは常に魔力を供給し続けなくてはならない。特に、強い力を持つ盟約者はただそこにいるだけで尋常ではない魔力を消費する。逆に、魔力の供給が無くなると盟約者は存在が維持できず、存在が消失してしまう。すなわち、死だ。
どれほど高位の存在であっても、そこに例外はない。
高位の盟約者ほど供給しなくてはならない魔力は多くなる。だがそれでは召喚者の魔力が尽きてしまっては本末転倒だ。
そこで“シフト”だ。盟約者の力を段階的に抑え、魔力の消費を抑え、そして必要に応じて力を使うときのみシフトを上げ、力を限定的に解放するのだ。最低の
「つったって
「ヴァル君はやんちゃさんだからそのくらいがちょうどいいわよ。
エリカはウインクをし、俺の肩を叩く。
(また子供みたいに扱いやがって……)
文句を言いたくなるが、シフトに関してはあまり偉そうなことは言えず、反論は憚られる。
以前、エリカを追ってきた
「まぁ、悩んでも仕方ない。もう目的地は目の前だし、うまく行けば今度こそこんな生活ともお別れよ」
持ち前の脳天気なまでの前向きさで気を取り直した様子のエリカは部屋へと戻る。
そこで終わっていればよかったのだが。
「ああ。よかった。無事だったのねお嬢ちゃん。心配していたわ」
部屋で出迎えたのは、受付の老婆だった。
「ええ。この通り、私は全然……って、お婆ちゃんこそ、怪我してるじゃない!」
素っ頓狂な声を上げるエリカ。見れば、老婆の額には切り傷ができ、血を流していた。大方、突き飛ばされた際にどこかにぶつけたのだろう。
「こんなのはたいしたことないわよ」
「いやいやいや。結構血が出てるわ!待ってて。すぐに――」
「家内に近づくな!」
駆け寄ろうとするエリカを恫喝したのはこの宿の主人だった。
「アンタ、指名手配犯だったんじゃな。それも第一級、重罪人じゃないか」
軽蔑と嫌悪感を隠しもしない主人を前に、エリカは押し黙る。
「ちょっとあなた。この子がそんな犯罪者なわけないじゃないですか。夕餉の準備を手伝ってくれたし、魔法で私の腰の痛みも取ってくれたのよ?街の治癒術師でも治せなかったのに。優しい子だわ。きっとあの人達もなにか勘違いしていたのよ」
「いいや。間違いない。第一級指名手配犯、エリカ・カーティス。恐ろしい魔法犯罪者だと、新聞で見た覚えがある」
主人にそう言われ、擁護した老婆の眼差しにも疑いの色がわずかに滲む。
その目を見たエリカは、悲痛に表情を曇らせる。男たちに斬りかかられるよりもよっぽど辛いようだ。
「自警団を呼んだ。すぐに駆けつけるぞ。大人しく……」
言いかけた主人はしかし、ずいっと近づいてきたエリカに一瞬息を呑んだ。
しかし、エリカが近づいたのは老婆の方だ。
エリカは老婆に傷口に手のひらをかざすと、短い
「やめろ!何をする!」
我に返った主人がエリカを突き飛ばし、老婆を引き剥がして抱き寄せた。
「治癒魔法をかけました。でも念のため、ちゃんとした治癒術しかお医者さんに診てもらってください……ご迷惑をおかけしました。宿代はここに置いておきます」
そう言うと、エリカは顔を見ることもなくその場を後にする。俺は老夫婦を一瞥しながら、黙って後に続く。
「待って!」と叫ぶ老婆の声にも、エリカが振り向くことはなかった。
主人の言う通り、すぐに駆けつけてきた自警団の目を盗み、宵闇に紛れてエルバの街を後にする。
薄暗い街道には俺たち以外の姿はない。追手もなさそうだ。
「あーあ。今日こそはベッドで寝れると思ったのにぃ~」
「残念。今日も野宿だな。これで記録更新だ」
何事もなかったかのように前を行くエリカに俺も軽口で合わせる。
――今日まで、何度もあったことだ。
指名手配犯だとわかり、人々から白い目で見られる。口汚く罵られる。後ろ指を指される。
そういう時は努めて必要以上に明るく振る舞うのも、いつものことだ。
だから、気丈に振る舞いながらも涙を流していることも、その声が涙声であることにも、俺は気付かない。
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