こぬか雨のあと

林城 琴

夏の日に

 ひどく蒸し暑い日のことだった。


 小さなメモ用紙を片手に、初めての土地に苦労しながら、どうにか目指す家の近くにまでは来たようだった。

 手紙で済むものを、突然教えられた住所をじかに訪ねるなどと多少非常識にも思えたが、何故かためらいはほとんどなかった。

 手紙なら出さないだろう。手紙に書く内容はひとつも持っていない。

 この土地を訪ねると決まったときに、長く気になっていたメモ用紙の住所に、立ち寄ってみようと考えただけだ。

 あの人を見かけたら手紙をくれ、とあの日彼女は言って残した。

 ぼくはあの人など知らないのに。


 古地図がそのまま使える、と言われる古い城下町は観光地でもあり、ここからやや離れたところには観光ゾーンも控えている。

 先程立ち寄ったそこは、平日のせいかそこまでの人出はなくややしんとして、時折観光バスで訪れたのだろう、団体客がいっとき溢れてはまた引いていた。

 静かになった町には夏の日が差して、道に落ちた影に、ひっそり、という言葉が立ちのぼっていた。

 その静けさこそがこの町の魅力のような気がして、胸いっぱいに、しんとした気配をたっぷり詰め込んで楽しんだ。

 どこかで風鈴の音がしていた。


 目指す家は古い日本家屋で、門から庭に入り、短い石畳を抜けた先に玄関がある。門扉の脇には小さな郵便受けがあって、メモにあった名の名字だけが書かれていた。

 門のそばに何の呼び鈴もないので、ためらいながら石畳を踏む。

 鬱蒼と茂る木々の下、石畳の周りは陰になっていた。蝉の声が降るようだ。

 玄関前に立ったがやはり呼び鈴はなく、引き戸が軽やかに閉じたきりだった。

 子供が前の道を、駆けて遠ざかる音がした。


 

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