常盤色の背伸び、大葉入り河童巻き

 常緑樹の葉を思わせる濃い緑を『常盤色』と呼びます。常盤とは常に変わらないという意味で、古くから吉祥の色とされていたようです。


 この色を見て私が連想するのは大葉です。大好物なのです。刻んで蕎麦の薬味にしてもいいし、納豆に入れてもいい。さっと衣をつけてカラッと揚げた天ぷらなんて最高です。


 かつて私は北海道に住んでいました。バーでウイスキーを飲むようになっていた二十代の私には、小さな楽しみがひとつありました。それは、懐に余裕があるとき、行きつけのバーでお寿司の出前をとることでした。

 きっかけはバーのカウンターで一人飲んでいるとき、マスターに「お腹すいた」と漏らしたことでした。


「じゃあ、すぐそこに寿司屋があるから、巻物でも持ってきてもらおうか」


 ご近所のよしみか、巻き寿司をバーまで届けてくれるというのです。マスターが電話で巻き寿司を注文すると、届けられたのは寿司桶いっぱいの鉄火巻きと河童巻き。マスターと居合わせた常連客とみんなで分け合い、いただくのです。これをボウモアというウイスキーをロックで飲みながら食べるという背伸びをしたものでした。


 このバーで食べる巻き寿司は忘れがたいもので、もちろんみんなで美味しさを分かち合う喜びもあるのですが、なにより河童巻きが絶品だったのです。この店の河童巻きには必ず大葉が一緒に巻かれていて、それがもう感動するほど美味しいのでした。

 大葉の爽やかな香味ときゅうりの快い歯触り。そして青々とした緑が目にも鮮やかで、酒がいつも以上に美味しく感じられたものです。


 たまたまかもしれませんが、私は大葉入りの河童巻きにここでしか巡り合ったことがありません。だからなおのこと、思い出深いのかもしれません。


 今思うと、恥ずかしくなるほど背伸びをしていたものです。みんなに大判振る舞いをできるほど稼いでもいませんでしたし、ボーナスが出たときくらいしか食べることができませんでした。でも、みんなで食べる巻き寿司は本当に美味しかった。好きな酒を飲みながら、馴染みのバーのカウンターでいつも居合わせる常連客と笑いながら食べる巻き寿司は、背伸びも悪くないと思わせてくれた味だったのです。


 二十代、三十代の私は変わりたくて仕方なかった。いつも今の自分に不満を持っていて、もっと新しいものを、もっと上の世界を、もっと満たされるものをと欲してばかりでした。手が届かないと思っても、無理して手を伸ばしたことも数知れず。


 常盤色が常に変わらないことを意味するのに、私は変わりたい思いから常盤色の大葉が入った巻き寿司を食べていたんですね。でも、それでよかったんだと今では思います。そうでもしないとわからなかった世界もありますし、そのときかいた恥も教訓になるのでしょう。


 結婚して子どももいる今、バーに通うことはなくなりました。その代わり、子どもたちが寝入ったあとでこっそりウイスキーのロックをちびちびと飲むのです。お寿司だってもっぱら回転寿司で、大葉入りの河童巻きが無性に恋しくなるときがあります。


 私の中であの頃から常に変わらないものは、みんなで美味しさを分かち合いたいということ。いつか息子たちが大きくなったら、一緒にバーに行ってグラスを傾けたいと思うし、もしあのお寿司屋さんがまだ営業していたら、常盤色の巻き寿司を一緒に頬張りたいと願っています。家で作るんじゃなく、バーのカウンターでボウモアの入ったグラスを手にしながら。

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