白色の後悔、白米

 白い食べ物といえば何を思い浮かべますか? 豆腐やヨーグルト、はんぺん、生クリーム……やっぱり白いご飯でしょうか。私にとって白いご飯は、ほんの少し胸の奥をきゅっと締め付けるものです。


 私の長男は言語の発達が遅く、幼稚園のかたわら療育センターでリハビリを受けています。

 三歳になった彼は二語も話せません。大人が言っていることは理解できます。なのに、口から言葉が出てこない。思うことがあってもなかなか伝えられない。

 発達障害のグレーゾーンです。診断できるほどの特性はないけれどこだわりが強くてコミュニケーションの経験値が乏しいなどの傾向から、年齢も考慮し、急いでリハビリをすることになった経緯があります。


 幼稚園に迎えに行くと、同い年の子どもたちが集まってきて話しかけてくれます。


「先生、お迎え来たよ」


「ねえ、もう帰っちゃうの?」


 初めて幼稚園でそんなことを喋っているのを見たとき、ああ、この年だとそんなに喋るものなんだと衝撃を受けました。


 そんな長男ですが、離乳食を食べていた頃は、なんでも食べる子で手がかかりませんでした。けれど幼児食が始まったあたりから偏食が始まり、食べたいもの、食べたくないものがとてもはっきりしました。

 彼のこだわりが一番最初に現れたのは白米でした。ふりかけもダメ、混ぜご飯もダメ、鮭フレークもいらない、ただの白い米が大好きなのです。


 最初は「ふぅん、そういう好みなんだね」と受け入れていましたが、ある日、ネットで自閉症の子に偏食が多いという記事を見てぎくりとしました。こだわりが強く、決まったメニューだけ食べる子もいれば、決まった色だけ食べる子もいるというのです。その記事が、白米など白いものばかり食べる子の話だったのでした。

 その頃は療育センターに通い始めてすぐで、多動性がみられると話をされたばかりでした。


 そのとき、白い米が好きなんて面白い子だなとのんびり構えていた自分はとてつもなく無知で呑気すぎたのでは、と後悔しました。もしかしたら、今まで子どもの可愛い遊びや行動としか捉えず見逃してきた兆候が幾つもあったんじゃないか。一気に怖くなりました。


 それ以来、息子が白米を食べるとき、きちんと彼から目をそらしていないか問われているような気がします。毎日の遊びの中に、ふとした仕草の向こうに、彼の無言のメッセージが隠れていないか、真剣に向き合えと神様が喝を入れてくれたんじゃないかと思っています。


 療育センターに通い始めてもう少しで半年が経ちますが、今でも彼に診断は出ていません。月に二回のリハビリを続けながら経過をみているところです。言葉は相変わらず二語もなく、イヤイヤ期だけれど「いや」とも言いません。ただ、「ふんふん」と軽く唸って首を横に振るだけです。正直、子どもと普通にお喋りできるお母さんが羨ましいときがあります。あれが欲しい、何がしたい、これは嫌だ。そういうことがわかるだけで全然気持ちが違うのです。


 ご飯の白は私にとって後悔の色だけど、悲観しているわけではないのです。全てがこれからの息子を思うと、真っさらで純粋な色のような気もします。

 彼の声が「ママ」「ここ」「にゃんにゃん」など言葉を紡ぐとき、何度聞いてもそのたびになんて可愛らしい声だろうと感嘆します。音が言葉になった瞬間、彼の声に色彩が宿ったような気がするのです。初めて聞いたときなど、感動のあまり思いっきり息を吸い込み、涙が滲みました。


「喋れたねぇ、ありがとう、喋ったね」


 何度もそう言うと、彼は照れくさそうにはにかみました。


 真っ白い米に何を合わせてどう楽しむか。選択肢は様々。彼の純白の声にどんな色が宿るかも同じなのかなと考えています。彼がどんな色を掴み取るのか、楽しみなのでした。

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