教育格差が未来を壊す

NOTTI

第1話:なぜ、教育格差が止まらないのか? ①

 現在、多くの人がコロナ渦で失業や解雇により職を失って、人によっては住む場所も失われている人もいる。


 そういう人が増加したことである問題が浮上している。それは、“教育格差”だ。これは、公教育が奪われているというよりも付帯教育(塾やピアノなどの学校教育外で行われる習い事など)の格差が広がっているように感じる。なぜなら、現時点で本人たちが求める環境が整備できているか?それとも整備できずにそのまま我慢を強いられるのか?という疑問が残る。そして、これらの疑問が起因となって進度差が生まれることや子供たちの自己肯定感の低下に繋がる可能性がある。そして、経済格差は教育格差とつながり、世帯収入が高い家ほど良質で教育機会が得られ、世帯収入が低い家庭ほど周囲の支援が得られない限り、良質な教育を受けることは難しい。


 ただ、ごくまれに世帯収入が低い人でも良い大学を出る人もいるが、こういう人の周囲を調べるとその人の“可能性”に投資をしてくださる方が多く存在していて、その人たちがその人を育てているという感覚を得られる。


 つまり、教育格差は世帯収入も起因しているが、どれだけ周囲とのコミュニケーションが取れているかでその人がどれだけ伸びるかが変わってくる。そして、その人を周囲が“否定せず”にどこまで見守れるかも子供たちが家庭環境に囚われずにきちんとした教育を受けられる機会を作る事に繋がっていく。


 しかしながら、日本というのは“その家庭が子供に関することは全て行うべきだ”という考えを持っている人が多く、第三者が子供たちに投資するという概念はなく、せっかく子供たちに学習意欲があってもその意欲を活かす機会がなくなってしまうのだ。そして、子供たちが“うちはこういう家庭だから”という固定概念や先入観を芽生えさせてしまうことに繋がるのだ。


 そして、その考え方が将来に対する価値観として根付いてしまい、子供たちの挑戦する心や物事の見方が受けてきた教育で変わってしまうことと同じように子供たちの行動が狭まるだけでなく、“自分はこれくらいしかできない”という限界値を設定してしまい、自らの成長を自ら止めてしまう事に繋がってしまうのだ。


 これらを改善するために必要なのは“子供たちにどうなりたいのか?”・“どうするとそういう夢を叶えられるのか?”を明確にして、その夢を叶えるために必要なプロセス上でその家庭では難しいことを周囲が出資してサポートしていくことが大切だと思う。


 そして、家庭所得による経済格差が顕著になるのなら場合によっては大手企業がバックアップして、子供を育てるということも視野に入れて事業展開することで子供たちの夢を追うことの楽しさを十二分に味わう事が出来るのだ。そして、一緒にその夢に向かって頑張れることもあり、子供たちの目標達成率が高くなると思っている。


 次に“個性尊重型教育”の提案だ。これはいわゆる“子供たちに合わせた教育展開とカリキュラムの策定”という現行の学習指導要領とは異なったカリキュラムを組み、子供たちの“自主性”と“自己判断力”で学ぶ事を決めていくという物だ。もちろん、基礎科目はあるが、選択肢はこちらからは提示するだけで、実選択は子供たちが行う。


 なぜ、この教育を導入するべきかと思ったか?理由は簡単で“カリキュラムという型枠にはめられて、自分で一生懸命導き出した答えを違う式や公式を使ったというだけで間違っている”・“答えが決まっていて、その答えと同じか必要なワードを指定されて、その言葉が入っていないと不正解”といういわば“大人が決めた答えを子供は守るべき”という概念が長期にわたり定着してしまい、そのレールの上を走っていないと否定されるような社会になってしまっている事が問題だと思う。


 そして、クラスの中で成績を争うことや人間関係でギクシャクすること、お互いを比較することで生まれるいじめや優越感と劣等感などあらゆる社会的構図を可能な限り排除し、お互いを認めることで生まれる相互理解や相互協力などを学び、子供たちに“1人では何も出来ないが、仲間が居ることで何かをしようとしたときに物事がゆっくり動いていく”という体験をして欲しいのだ。


そこで、私は子供たちに合わせたカリキュラムを組み、子供たちに合った指導法で子供たちの個性を尊重した教育をしていきたいと思う。そして、教員不足を補うためにも子供たちが学びたい場所で学びたいことを学べる環境整備が必要になると思うし、現在も、いじめられたことで学校に行けなくなり、家でずっと過ごしている不登校の子供たちやある事情を抱えて学校に行けない子供たちにどのように居場所を作れるか?という課題をクリアすることにもつながる。


 私がこの教育論を構想し始めたのは約2年前だった。その前も大学時代に教職課程を取っていた事もあり、さまざまな視点からどのような教育をすることが大切かを学んでいたこともあるが、1番は“どのようにして子供たちを守るか?”ということだった。


今の子供たちは就職などの選択肢も多く、会社に就職する子と自分で起業する子、動画配信者として活動する子など子供たちの人生観が多岐にわたっているが、このような子供たちはごく一部で、こういう子供たちの中には家庭の事情で諦めなくてはいけないことや周囲と比べられてしまい、自殺未遂を起こす子供も少なくない。これらの現状が子供たちの未来を潰してしまう可能性があるということに危機感を覚え、いろいろな形を模索してきた。


 そして、この教育が社会評価における1つの判断材料として活用されることで自分を知る事が出来て、その自分を知ったことで“自分の可能性”を認識しやすくなることになる。その視点を社会的評価に重ねることで自分が何をする事が出来るのか?・何をするべきか?という部分が見えてくるのだ。しかしながら、現在は“実績”や“結果”が先行していて、個性というよりも“実力”や“協調性”で判断されてしまうことが多い。これは小学生~高校生の場合で、すでにこの年代であっても個別評価を受けて競争を強いられることになるのだ。そのため、この時点での経済格差・教育格差が長期的ないじめの発生や世帯所得による子供たちの教育機会の格差に繋がってしまうことを危惧しており、この時点で個別認識に差が出てしまうことで他者比較や優劣判断されたときの精神的ダメージが年齢の上がる毎に大きくなっていく。そのため、“○○さんはなんでこういうことが出来ないの?”や“あなたくらいの年齢ならこういうことが出来て当たり前でしょ?”という先入観を伴った固定概念で子供たちと接することで子供たちにも伝染してしまい、同じ考え方で同級生間の扱いをしてしまう子供が増え、いじめの起因となり、実行の発端に繋がってしまうのだ。

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