第70話

翌日、土曜日の朝9時。

和人は昨日ゆきと会ったバス停に来ていた。

バス停には和人のほかにベンチに三人座っていて、後方で立っている人が二人いる。

ゆきの姿はまだ見えなかった。

バスが一台、バス停に止まった。

そして、バスの中央付近の窓が開いたかと思うと、その窓の内側から和人に向って声が発せられた。

「早く乗って、早く。」

ゆきの声だった。

「え・・・?」

和人はびっくりして目をぱちぱちと瞬く。

「いいから早く!バスが出ちゃう。」

和人はあわててバスに飛び乗った。


バスの中はガラガラだった。

ざっと見渡した限りでは、ゆきのほかに5人ほどが乗っているだけだ。

ゆきは歩いてくる和人をにこにこしながら見つめていた。

だがいつもの大きな眼鏡でなく、ごく一般的な形の細い眼鏡をかけている。

そして赤いチェックのキャスケット帽を頭に乗せていた。

和人はゆきが座っているシートの横に来ると、意を決してゆきの隣にちょこんと座った。

「おはよう。びっくりしたでしょ。」

「ん・・・、うん、びっくりした。」

和人の顔はいつものごとく、真っ赤になっていた。

和人もそれが十分に分かっていて、一生懸命心を落ち着かせている。

だが、なかなかうまくいかない。

しかも二人掛けのシートに座れば、いやでも腕やひざがゆきの体に触れてしまう。

和人は心臓の鼓動がゆきに聞こえるのではないかと心配した。


「なんか、感じが違うね。」

ちらっとゆきの顔を見た後に、顔をそむけながら和人が言った。

「どんなふうに?私の格好、おかしい?」

「いや・・・、ぜんぜん、おかしくない。眼鏡が違うし、その、なんていうか・・・。」

「かわいい?」

ゆきが少し身を乗り出して和人の目を見つめた。

和人は目をそらしながら、「うん。」と頷いた。

「なんだか無理やりかわいいって言わせたみたいね。」

ゆきは屈託のない笑顔で首をかしげた。

「デートをしているのをクラスメートに見られたらちょっと恥ずかしいじゃない。眼鏡を代えれば、少しは別人に見えるかなと思って・・・。」

「ところで、あの・・・。」

和人は最も気になっていることを聞いた。

「これからどこに行くの?」

「遊園地。このバスの終点から歩いて10分で行けるわ。・・・ダメ?」

「べ、別にいいけど。このバスなら海中公園っていう手もあるよね。」

「私的にはにぎやかな方がいいんだけど、橘君がどうしてもって言うんなら海中公園でもいいわよ。」

「いや、いいよ。遊園地にしよう。俺もそっちの方がいいような気がする。」

英と千波がこっそり和人たちを観察する様子が、和人の脳裏をよぎった。

しかも、ゆきから見えないような位置で『頑張って』と手を振る千波の姿まで・・・。

千波は和人にとって、未だに大きな存在だった。

英は和人の無二の親友であり、英と千波は誰が見ても似合いのカップルだとわかっていても、心の底では英に嫉妬している。

そして二人が別れた場合のことを考えたこともある。

自分はなんて小さい人間なんだと思う。

だが、左のほほに笑窪を作って笑う千波の姿を想像すると胸が高鳴る。

それはどうしようもなかった。

だから、ゆきのことを好きになって行けば千波への思いが薄れていくのではないかと、和人はひそかに期待していた。

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