第62話
学校へ着き、鞄から1時間目の教科書とノートを出している時、和人は大事なことに気がついた。
2時間目の体育で着るはずの体操服を寮に忘れていたのだ。
和人は教室を出て、トイレへと向かった。
トイレのドアを開けると、偶然にもちょうど鉄平が出てきた。
「おっ、和人、さっきはすまなかったな。」
「いいさ。でもよく間に合ったな。飯全部食ったのか?」
「おお食った食った。食って着替えたら学校まで全力疾走だ。だてに県の記録は持っていないよ。たぶん道ですれ違った人には俺の姿は見えてなかっただろうな、ははは。ところで和人、例の女の子は今日もいたか?」
「それが・・・、いたんだ。」
「おっ、それで?何か変わったことはなかったか?」
鉄平の目が輝く。
「実は、その・・・、名前がわかったんだ。」
「ど、どうやって?」
「・・・向こうが名乗って来た。」
「ええっ!なんで?」
「さあ、わからない。」
「わからないって、こっちから聞きもしないで勝手に名乗って来たって言うのかよ?」
「そうなんだ。」
「さっぱりわからねえな。おい、詳しく教えろよ。」
「後でな、もうすぐ授業が始まっちまう。」
言いながら和人はドアを開け、トイレの中へ入った。
幸い中には誰もいない。
和人は学生服の二番目のボタンを外し、内ポケットに手を伸ばした。
そしてその中に入っているストップウォッチを取ろうとしたとき、急にトイレのドアが勢いよく開いた。
鉄平だった。
「名前は?名前だけ教えろよ。」
「確か、中森ゆきって言ったと思う。」
「中森・・・ゆき、・・・か。」
そう言うと鉄平はドアから手を離し、静かに去って行った。
ドアが閉まり、鉄平の足音が小さくなっていくのを確認した和人は、ストップウォッチを取り出した。
2つの「STOP」ボタンを押す。
白く眩い光。
そして、・・・時が止まった。
無音の世界は相変わらず気味が悪かった。
心を落ち着かせるため、和人は口笛を吹きながら御萩野寮へ向った。
寮へ着くと、寮の建物の脇にある犬小屋にクロベエの姿があった。
小屋の中に横たわり目を閉じている。
(そうだ、あれをちょっと試してみよう!)
和人は、犬小屋の前に行って座った。
辺りを見回す。
寮の窓からは死角になっており、道路からもブロック塀で視界が遮られている。
誰からも見られていない。
和人はストップウォッチを取り出し、2つの「STOP」ボタンを押した。
時が動き出す。
― 和人のにおいを瞬時に感じ取ったクロベエがパッと目を開け、起き上がろうとした。
その瞬間、和人はクロベエの肩口に手を当て、もう一度「STOP」ボタンを長押し。
「ワン、ワン!」
クロベエがしっぽを振って和人に飛びついて来た。
「よしよし、びっくりしただろう?クロベエ。急に俺が現れたんだからな。それにしても・・・やっぱり思った通りだ。」
和人の実験は成功した。
時を止めた時に動くことができるのは、時を止めた本人だけだ。
だが、今のように誰かの体に触れたまま時を止めれば、その誰かも止まった時の中でいっしょに動くことができる。
クロベエは、無音の世界が気になるようで、耳をぴんと立てて辺りをきょろきょろしだした。
「大丈夫だよ、クロベエ。すぐに元の世界に戻してやる。」
和人はクロベエの首を左手でなでながらそう言うと、右手のストップウォッチの2つの「STOP」ボタンを押した。
― 時が再起動すると、またすぐに2つの「STOP」ボタンを押した。
今度はクロベエから手を離して。
「これで俺は消える。クロベエは不思議がるだろうな。」
和人はそう呟き、体操着を取って来ると、学校へ向った。
学校へ着くと、和人は体操着を自分の棚へ置き、トイレの中へ入る。
そしてもう一度2つの「STOP」ボタンを押し、何事もなかったかのようにトイレから出てきた。
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