第27話

「おい、そこの天才君、それ以上勉強してどうするんだ。」

下校中の和人の背後から英の声がした。

英は一人ではなかった。

隣には女の子 ― 千波が並んで歩いていた。

「受験生は勉強するもんだろ。」

「お前は今のままでも確実に受かるって。」

「絶対に受かるという保証はないよ。やるだけやっとけば自信もつくし。」

「お前が落ちるんなら俺なんかどうあがいても受からねえよ。」

「あら、私は園山先輩が合格するのを一週間前に夢で見たわ。」

にこにこしながら千波が話に入ってきた。


西部地区対抗戦の最後の試合から実に5か月が経とうとしていた。

今やサッカー部のヒーロー英と2年生一かわいいと噂される千波のカップルは、学校中の話題の的になっていた。

英と千波が知り合ったきっかけを、和人は前川徹也からきいていた。

最初は英と徹也、千波とその友達の4人でボウリングに行ったのだが、英と千波はすぐに仲良くなり、次の日は二人だけでまたボウリングに行ったという。

聞いた直後はかなり落胆した和人だったが、月日がたつにつれて元気を取り戻していた。

ただ、千波が笑った時にでる左ほほのえくぼを見る度に胸が高鳴るのを、和人は抑えることができなかった。


「千波、その夢は西城だった?本当は藤村学園だったんじゃないか?」

英は千波のことを呼びすてにしていた。

「ううん、確かに西城だったわ。『サッカー部に入って、和人と一緒に藤村学園を倒すぞ。』って息巻いてたもの。」

「ようし、聞いたか和人。千波の夢は未来を写す夢なんだ。なんかそんな単語があったよな、なんて言ったっけ…。」

「予知夢のことか?」

「そうそう、その予知夢だ。俺は必ず合格する。きっと、おそらく、たぶん、もしかしたら…。」

「おいおい、本当は自信がないんだろ。受験まで1か月を切ったっていうのに。」

「橘先輩、実は今日、園山先輩ったらね、担任の勝見かつみ先生から『合格する確率は、今のままなら5%だ。』って言われたんですよ。」

「え?50%じゃなくて、5%?」

和人がぷっと噴き出した。

「担任の発言として、いくらなんでも5%はないだろう。俺を落ち込ませてどうするんだって感じだよ。消費税だって10%なのに、5%なんて。」

「でも英、本当に落ちちゃったらどうするんだよ。私立も受けなかったし、高校浪人なんて聞いたことがないぞ。」

「心配ご無用、長い人生のほんの一年間じゃないか。例え浪人しても千波と同級生になれば、それはそれでまた面白いかも。」

「橘先輩、騙されないで下さいね。本当は滑り止めをちゃんと確保しているんですから。」


「おい、それは言わない約束だろ。」

しかたがないな、というふうにため息をついて英は話し出した。

「実は西部地区対抗戦の後に、藤村学園の和田監督と会ったんだ。」

「えっ、和田監督ってあの、和田監督?」

和田監督は藤村学園を冬の選手権で3回も全国優勝に導いた名将だ。

「そう、で、言われたんだ、うちに来ないかって。」

「ええっ?和田監督自ら勧誘しにきたの?」

「ああ。奥山中との決勝戦を見ていたらしいんだ。」

「すげえ、それってすげえじゃんか。で、英はなんて言ったの?」

「誘っていただいたのはとてもありがたいんだけど、持病を抱えていてとても藤村学園の練習についていけないから、すみませんって。」

「持病?」

「ほら、俺体力が極端にないじゃん。あれってたぶん内蔵のどこかが悪いと思うんだよな。」

「そんなことわからないじゃないか。」

「いや、十中八九間違いない。」

「もったいないなあ、和田監督がそれだけ目をかけてるってことは、もしかしたら一年生でレギュラーに抜擢されるかも知れないのに。」

「いや、藤村学園の練習は半端じゃないよ。俺には無理だ。」

「でもさっき滑り止めって言ってたのは?」

「ああ、和田監督が言ってくれたんだ。もし西城に受からなかったら藤村学園が拾ってやるって。」

「ふうん、そういうことか。でも、本当にすげえ。なるほど、それなら西城に受からなくても大丈夫…。」

「それは違うぞ、和人。俺は本気で勉強しているんだ。本当に高校浪人してもいいと思っている。俺の人生のわかれ道なんだ。」

英は和人の言葉を遮ると、一気にまくしたてた。

「すまん、柄にもなくちょっと真面目なこと言ったな。…まあ、そういうことだから和人、これからも勉強を教えてくれ。」

いつになく真剣な英に圧倒され、和人は頷くしかなかった。


気が付くと前川サイクリング店の交差点に来ていた。

和人は英と千波に「じゃあ。」と手をあげた。

すると英が、

「おいおい、今言ったこと聞いてなかったのか?俺んちにきて勉強を教えてくれよ。」

「えっ、今から?だって、デート中だろ?」

「違うよ、千波はこの先の友達んちへ行くところなんだ。なっ。」

「はい、実はそういうことだったのです。」

千波が笑う。

「しかたないなあ。じゃあ1時間半だけだぞ。」

和人は英の家の方角へ向きを変えた。



「さあ、まずは数学。二次関数がぜんぜんわからないんだ。頼むぜ和人先生。」

部屋に着くなり、英は参考書の例題のページを開いた。

「半年前は、エロ本ばっかり見てたのに。人ってこんなに変わるのかね。」

「俺、変わった?」

「当たり前だろ。英が受験勉強するなんて。」

「そうか、そうだよな。俺って行き当たりばったりだったもんな。でもそれじゃだめだと気付いたんだ。」

「英なら、藤村学園に行って全国大会で活躍して、もしかしたらプロになる可能性だって十分あると思うけど。」

「やれる自信はある。テクニックだけならね。でも藤学の練習量は日本一と言われているだろ。まず練習についていけない。そんなやつを試合に出してくれるわけがない。」

「そんなのわからないじゃないか。体力はなくても英のテクニックなら・・・」

「無理だ!」

突然英の声が部屋中に響く。

そして英は、ふぅ~と深呼吸すると、

「大声を出してすまん。」

と謝り、話を続けた。

「なあ、藤学は一強他弱と言われるほど県内では敵なしだ。県内の高校ではまず勝てないと誰もが思っている。そこでだ・・・」

英は声を落として続ける。

「俺とお前が西城でサッカー部に入る。西城は今年県ベスト4だった。そして今の1、2年生は結構粒ぞろいだ。来年は藤学と当たらなければ決勝まで行けると俺はにらんでいる。まあ、藤学に軽くあしらわれるだろうが、勝負は俺たちが3年生の時だ。その年までに藤学と互角に戦えるチームを作る。そしてその年、冬の選手権に出場するのは、俺たちだ。」

英が細い目で和人を見つめた。

「そう簡単にいくとは思えないけど・・・。」

「簡単にはいかないさ。でも一つあてがある。優秀な指導者のあてがね。」

「へえ、誰?その人がコーチしてくれるの。」

「秘密だ。もし俺が西城に合格したら教えてやる。」

「じゃ無理か。」

「速っ、ておいおい、俺を絶対に合格させてくれよ~。高校受験で一浪とかありえないだろ!」

情けなくそういうと、英は両手を顔の前で合わせ和人に哀願した。

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