第26話
(考えるな。今は試合に集中するんだ。2点差で勝っているからってまったく油断はできない。)
和人は、英と千波のことは考えないように努めた。
だが、目線はついつい千波の方へ向ってしまう。
ボールがタッチラインを割った時、英がボールに触った時、自分がボールをクリアーした時、いつだって千波の表情が気になった。
後半15分、相手のミッドフィルダーから大きなパスが出た。
和人の後ろへ飛び出した敵のセンターフォワードへ、ぴったりのパスだった。
ペナルティエリアでノーマーク。
敵の応援団から「ワー」という歓声があがり、味方の応援団からは悲鳴が聞こえた。
万事休す、と思われたその時、審判の笛が鳴った。
ピーッ。
和人たちがオフサイドトラップを仕掛けていたのだ。
敵はまんまと緑丘ディフェンダーの罠にはまった。
(やった。完璧に決まったぞ!)
和人は真っ先に千波の方を見た。
だが千波の表情は和人の予想に反し、呆れたような顔をしていた。
― 決定的なピンチの場面だが、相手のミスによって救われた ―
そう誤解しているような表情だった。
(ちがう。俺たちは攻めたんだ。高度なプレーを完成させたんだ。)
でもそんな和人の思いは届くはずがなかった。
「いいぞ最終ライン、伝家の宝刀がついにでたな。」
英が和人の肩を後ろからぽんと叩いた。
和人は振り向いてにこっと笑ったが次の瞬間、千波がこっちを見ているのが目に入った。
(まてよ、これじゃまるで俺が英に励まされているみたいじゃないか。)
和人は釈然としないまま、フリーキックのボールを蹴った。
ザッ。
「あっ・・・」
和人の口から気のない声が漏れた。
敵陣めがけて強いボールを蹴ったつもりが、ボールの下の土もいっしょに蹴ってしまったのだ。
ゴルフでよく言う”ダフり”というヤツだ。
ボールは力なくコロコロと転がり、自陣に戻ろうとしていた敵選手の足元に。
その選手は”まさか!”という表情をして体を反転するとそのままドリブルでゴールへ突き進む。
和人は追いつけなかった。
キーパーと1対1。
キーパーは難なくかわされ、無人のゴールへシュートが決まった。
あっという間の出来事だった。
緑丘の応援団から「あーっ」という悲鳴が漏れた。
当然、奥山中の応援団からは割れんばかりの歓声が起こる。
和人は呆然と立ち尽くし、うなだれた。
「すまない・・・、みんな。」
和人は声を振り絞ったが、果たして何人に聞こえたのだろうか。
その声はそれほど弱々しかった。
「お前がこんなミスをするなんてな。」
ニコニコ笑いながら英が近寄ってきた。
「あの2点で楽に勝てるとは思っていなかったさ。でもまさか和人が・・・、って感じだな。ドラマを作ってくれるぜまったく。そんなに落ち込むなって、まだ1点リードしているんだからさ。」
英の声はやさしく、それでいて頼もしかった。
(これが本当に俺と同じ中学3年生なんだろうか。)
サッカーのプレーとともに心までも急激に成長している英を、和人は何だか遠い存在のように感じた。
そして初めて、英に対して劣等感を抱いた。
和人は自分のほほを両手でぱちんと叩いた。
「ちくしょう、負けてたまるか、絶対に。」
言いながら和人は英を見つめた。
「お、おう・・・、でも敵はあっちだからな、あっち。」
英が奥山中の選手を指さしながら笑った。
「さあみんな、和人のアドレナリンが出てきたぞ。和人に絶対近寄るなよ、オーラで吹き飛ばされるからな。」
英が声を張り上げると、みんなの表情がゆるんだ。
(ちくしょう、やっぱり英は一歩前を歩いてやがる。)
そう思いながら、和人もつられて笑った。
それからの和人のプレーは目を見張るものがあった。
味方の選手に大きな指示を出し、サポートに動き回った。
英へのマークは依然として厳しく、さらに疲労もかなり蓄積しているようだった。
それをカバーするかのように、和人は精力的に動きまわった。
奥山中は、失点を覚悟でどんどん攻めてくる。
試合終了間際、一瞬のすきを突き奥山中の強烈なロングシュートが放たれた。
誰もが息をのんで、ボールの行方を追う。
ボールは、― 大きな音をたててゴールポストに当たり跳ね返った。
会場全体から「ほぅ!」と安堵の声が漏れる。
そしてそこで試合終了の笛。
2対1、優勝。
そして西部地区対抗戦の総合優勝を勝ち取った緑丘中の歴史的瞬間だった。
沸き起こる大歓声。
味方の選手たちが一斉にベンチへ走ってきて楠田を囲み担ぎ上げた。
胴上げだ。
試合前に、あらかじめ選手全員で決めていたことだった。
3回、4回と宙に舞う楠田。
そして地面に降りた楠田は感極まって泣き出し、選手たちはそれを見て笑った。
千波が英を祝福している姿が和人の目に入ったが、それでも和人は満面の笑みで仲間と喜びを分かち合った。
和人にとって中学校最後の公式戦は、最高の形で幕を閉じた。
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