現場のものづくりで、初めて汗をかき苦労をしたけれど、とても楽しかったわけ!

Ochi Koji

第1話 ながれにまかせて就職をした

 私が就職したのは、1978年の第一次オイルショックの大変厳しい年である。1年前の先輩達は、内定を貰っていたものの4月の入社時には自宅待機となっていた。その翌年の我々は、募集自体が大幅に減少し大変な狭き門となっていた。


 私は小さい頃より、自分の意志も薄弱で、流れに身を任せて進んできていた。何をしたいのかと問われると、質問をする人達の望む教科書通りの答えを返してきた。


 正直私には、自分のやりたいことがわからなかった。もっと言えば、誰もが明確な自分の意思を持って進んでいくということ自体が、私には理解出来なかったように思う。


 そのようにして私は高校へ行き、そして大学へ進んだ。みんな多かれ少なかれ私のようにして進んでいくものと思っていた。


 夢とか希望とか、何それっ?といつも思っていた。


 私自身打ち込めるものが無く、ただぼんやりと時間の流れに身を任せて生きていた。自分がそうだから、みんなも気を紛らせながら生きているものだと思っていた。


 その頃東京への憧れがあったので、東京に本社のある自分の力で入れそうな会社を受けることにした。


 特に希望はなかったが、場所が変わることで何か変わるのではないかとの期待があった。それ以上の希望は何も無かった。


 そういった経緯で何とか中堅の建材メーカーに就職することが出来た。特段何の喜びも感慨も無かった。


 希望通りの東京本社勤務となったものの2年で群馬工場への転勤を命ぜられた。


 東京での生活は楽しくはあったが、むなしさもあった。地に足がつかず、やはり自分は田舎の方が向いているのでは無いかと思った。


 そんなこともあって仕事を辞めようと思い四国にいる父に電話をした。父は田舎の兼業農家で、国鉄(今でいうJR)に勤めながら農業をしていた。


父はひとことこう言った。

「帰って来ても就職口は難しいだろう。農家の1年の収入は50万円だ。それでも良いなら帰って来なさい」


 新入社員で経済にうとい私でも、さすがに年間収入50万円では暮らしていけないのは、容易に想像出来た。それにオイルショック不況の続く当時では田舎の就職はさらに厳しい。


 そんな訳で私は諦めて群馬の新しく出来た建材工場へ転勤していった。


 熱望して入った会社ではないが、失敗をした訳でもないのに2年で本社を去らなければならないことに、ひどく落胆をした。自分がダメ人間のように思うと同時に、また少なからず不満も抱えていたように思う。


 ところがこれが私に大きな転機をもたらした。

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