一輪のひととき

名波 路加

 

 小さなバス停がある。二車線の道と、その道を挟んだ反対側のバス停以外には何もない。道の先は、どちらの方向も霧がかかっていた。  


 柏は、大きなリュックを背負って立っていた。何でもかんでも詰め込んできたリュックは、柏よりも大きかった。柏の腰が曲がっているのは、歳のせいだけではない。

 いつもは大体一人なのに、今日はもう一人いる。ボサボサ頭の女の子が、反対側のバス停のベンチに座っていた。柏の視線に気付いた女の子は、おーい、と言って、笑って手を振り、道を横切ってこちらに駆け寄ってきた。


「おじいちゃん! なにしてんの? ここどこ? あたし退屈!」


 柏は元々、子供が苦手だ。特にこういう、何も考えてなさそうな能天気な子供が苦手だった。ただ、退屈である事は柏も同じだった。自分の話が通じる相手だとは思えないが、暇潰しに付き合うことにした。


「おめぇ、あぶねぇだろう。バスが走ってきたら轢かれるぞ」


「バスが走ってきたら、すぐわかるもん。だってここ、何もないじゃん」


「そりゃそうだが、おめぇ、ここが何処だかわかってんのか」


柏はリュックのポケットからポケットティッシュを取り出し、女の子に渡した。


「ありがとう、おじいちゃん! そのリュック、便利だねぇ」


「そのティッシュはやるよ。持っとけ。おめぇ、名前は?」


「わらび!」


 わらびは、いーっと歯抜けを見せつけて笑った。

 


 このバス停で人に会う事は、時々あった。彼らは、柏よりも先にバスに乗っていった。柏は今まで、何となくそのバスを見送っていた。でも次のバスが来たら、今度は柏もそのバスに乗るつもりだった。わらびの様に、向かいのバス停でバスを待つ人は初めて見た。あちらの車線は、この辺でいちいち止まらずに、ノンストップで走り抜けていくからだ。だから、わらびの事は珍しいと思ったが、変だとは思わなかった。そういう進み方をする人がいても不思議ではない。柏には何となく想像がついた。きっとこの子は、自分と同じような場所にいる。


「おじいちゃん、座れば? ずっと立ちっぱじゃん。リュックも重そう」


「俺はこれでええ。このリュックは、今までずっとこうして背負ってきたからな」


 柏は、来る日も来る日も、リュックを背負ってここで立ち続けた。重いし、疲れる。辛い。それでも、ここでは力尽きることはない。食べ物や飲み物がなくても大丈夫だ。ただ、その重みと疲れは、感じる。この重みを感じていたい。バスに乗るまでは。このリュックには、柏の人生が詰まっている。

 碌な人生じゃなかった。 このリュックには、輝かしいものなど入っていない。殆どがガラクタ同然の物だ。それでも、捨てたいとは思わなかった。柏は、長い間孤独だった。このリュックの中身を捨ててしまえば、自分には何も残らないと思った。リュックを背負っていないと、今まで生きてきた意味が失われると思った。


「おじいちゃん、そのリュック大きいね。何が入ってるの?」


「さあな。何でも入ってるから、俺にもよくわかんねぇ。わらびのリュックは小さいな」


そう言って、わらびは小さいなリュックを開けてみせた。中には、花が入っていた。


「カルミアって言うんだよ。ママが好きなの。お家には、カルミアがいっぱい咲いてるんだけど、普段は見れないの。でも、あたしがここに来たら、このリュックの中に入ってた! ふしぎ!」


 綺麗な花だ。傘みたいな形をして、桜のような色合い。柏も花は好きだった。


「ここはそういう場所だ。ここに来る人が大事にしてる物を、リュックに詰めるんだ。それがどこにあっても、そいつのリュックに勝手に入るようになってる。わらびはまだ子供だからな。これからもっと、そのリュックも大きくなるさ」


 わらびはカルミアを見つめた。嬉しそうだ。

 普段は見れない、か。やっぱりこの娘は今、家にいないのだろう。

 柏も、花を持っていた。大きなリュックを開けて、腕を突っ込んでゴソゴソと動かして、取り出してみた。わらびがこちらを向いた。


「あ! おじいちゃんもお花持ってる! それもかわいいね! なんていうお花?」


「ミヤコワスレ。昔、俺と一緒にいた人が好きだった花だ」


わらびはミヤコワスレに顔を寄せて、ジッと観察した。また鼻をほじりながら。


「おじいちゃん、このお花が大好きなんだね。このお花みたいに大好きな物が、そのリュックに沢山入ってるの?」


 わらびは柏のリュックを指差した。

 そうか。俺はバスに乗らなかったんじゃない。乗れなかったんだ。これは俺の人生だが、全部持っていくなんて、できねぇもんな。

 柏はリュックを降ろした。それらは、大事な物だと思っていた。リュックに詰め込んだ物すべてが、自分だと思っていた。でも、それらをすべて、背負う必要はない。それらを背負い続けていたから、ずっと辛かった。そんな当たり前のことに、なんで今まで気づかなかったんだろう。


 向かいのバス停に、赤いバスが停まった。わらびは、あのバスに乗る。


 わらびはまた道を横切って、バスに乗り込んだ。走り出したバスの窓から顔を出して、歯抜けの笑顔で大きく手を降った。

 柏は安堵した。大丈夫だろうとは思っていたが、自分が出発する前にわらびを見送ることができた。これで本当にもう、心残りはない。


 ──バスが来た。

 身軽になった柏は、足取り軽く、バスに乗った。その手には、ミヤコワスレ。久しぶりに逢う、大切な人へ。









花言葉

カルミア / 大きな希望

ミヤコワスレ/ しばしの別れ

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