君の知らない舞台袖の一幕

 きらびやかな喧騒に追い立てられるようにして、レオナルド・クレイトンは広間を出た。

 華やかな舞踏会。そこを離れ、向かった先は屋敷の奥。書斎へと辿り着く頃には楽団の音色も遠く、心地の良い静けさが辺りを満たしていた。

 舞踏会の夜。その晩に、このような奥まった場所を訪れようと思うなんて、よほどの物好きしかいないだろう。

 実際、書斎にいたのは二人の青年貴族のみ。見知った顔ふたつに、レオナルドは「なんて陰気な集まりなんだ!」と大仰な身ぶりで天を仰ぐ。自分もそのうちの一人であることなど、すっかり棚に上げて。


「おやおや、誰かと思えば稀代の色男じゃないか。陽気なキミがこんな湿気たところに何の用だい?」


 それに答えたのは皮肉っぽい笑いの似合う男──エドウィンは男爵家の末弟でありながら、舞台俳優としても名声を高めつつある。

 しかしそれはあくまで表向きの顔。実際のところ、仲間内では生粋の女嫌いとして有名だ。だから自分の実家が主催の舞踏会であっても、挨拶が済むとすぐにこの有り様。女性陣の熱視線など意にも介さず舞台裏へと引っ込んでしまう。

 そんな彼の冗談とも本気ともつかないセリフに、レオナルドは「寂しいこと言うなよ」と肩を竦めてみせた。


「僕たちはかけがえのない絆で結ばれた友じゃないか」


「相変わらず大袈裟な物言いをするなぁ、キミというやつは。僕たちのことなんて、麗しの子爵令嬢に比べたら路端の石も同然だろうに」


 エドウィンは慣れた様子で鼻を鳴らす。


「キミみたいな男からしたら物珍しいのかもしれないが、手に入らないからといってあんまりムキになるなよ」


 ……別に、そういうわけではないのだけれど。

 でもわざわざ否定することでもないか。それこそ変に勘繰られるだけだ。そう思い直し、レオナルドは微笑むだけにとどめる。

 ──それよりも今、重要なのは。


「そういえばユリウスの妹ぎみもリチャードを慕っているらしいね」


 レオナルドが水を向けたのは、我関せずの格好で本を広げている男。レンジャー伯爵家の長男、ユリウスである。

 父親譲りの柔和な面立ちに、温かみのある茶色の瞳。しかしながら伯爵との折り合いはあまりよくないものらしい。

 そんな彼に不義の子の話を振るのはいかがなものか。そう考え、これまでは話題にしてこなかったレオナルドだが、今回ばかりは事情が事情。何しろあの──レオナルドに対しては冷え冷えとした視線しか寄越してくれない子爵令嬢が、とうとう自分を頼ってくれたのだ!

 しかしそんな事情などエドウィンもユリウスも知らぬこと。二人は顔を見合わせてから、ユリウスが代表して口を開いた。


「つまり次のターゲットは我が妹、ということか?」


「……どうしてそうなるのかな」


 確かに浮き名を流してはきたが、どれもこれも健全なお付き合いの範疇を越えてはいない。来るもの拒まず去るもの追わず。それが信条であったから、後腐れのない人だけを相手にしてきたつもりだ。

 ……なのに友人であるはずのユリウスですらこの評価。レオナルドは肩を落とす。

 と、エドウィンは「ざまあないね」と笑った。


「だってキミ、考えてもごらんよ。メイベル嬢とユリウスの妹ぎみ、二人の共通点といえばリチャードだ」


「待て待て、ユリウスのところは知らないけど、メイベル嬢については勘違いしないでもらいたいな。彼女がリチャードを好いているというのはまったくもって見当違いの噂話にすぎないのだから」


「……あぁ、メイベル嬢はあくまでリチャードを褒めただけ、なんだっけ?」


「そうそう。……じゃなくて、話は最後まで聞いてくれ」


 やたらと話を脱線させたがるエドウィンに溜め息をついていると、今度はユリウスから「しかしお前の話は無駄が多いからな」と冷ややかな声が向けられた。


「簡潔に纏めてから声をかけてくれ。お前とは違って忙しい身の上なんだよ、俺は」


「ユリウスくんは相変わらず僕への当たりがキツいなぁ。忙しいって、訳のわからない実験だの発明だのに明け暮れているだけだろう?」


「訳がわからないのはお前の頭が薔薇色だからだろう?キネトスコープは実に価値のある開発であって……」


「……さて、ユリウスの蘊蓄話は横においておくとして」


 ユリウスの声に熱がこもるより早く。話が長くなりそうな気配を察し、エドウィンは咳払いをひとつ。


「ようするにレオナルド、キミは邪魔者をユリウスの妹ぎみに押しつけようっていう魂胆なんだね」


 長年友人をやっているだけあって話が早い。言葉に若干のトゲは感じられるが、簡潔に纏めるならそういうことだ。エドウィンが言った通り、レオナルドとしては邪魔者──リチャードの早期退場を願っている。

 「言い方は悪いが、まぁそういうことになるね」レオナルドがあっさり頷くと、エドウィンは『やれやれ』とばかりに首を振った。


「なんだいなんだい、その弱気な作戦は。キミともあろう男が……女の一人や二人、実力でモノにしてみせろよ」


「しかしこれはメイベル嬢の願いでもあるんだよ」


「彼女が?なぜ?接点なんてあったか?」


「さぁ?でもユリウスの妹ぎみから頼まれたそうだよ。リチャードとの仲を取り持ってほしい、と」


「……それは本当か?」


 事情を打ち明けると、食いついたのはやはり当事者の身内であるユリウスだった。

 彼は僅かに眉を寄せ、何やら思案に耽っている様子。どうやら義理の妹とも仲がいいというわけではないらしい。「本気でリチャードを?」と呟いているところからして、何もかもが初耳だったのか。


「だからユリウス、君にこの二人の関係を進展させてほしかったんだが……」


「……そう言われてもな。俺だって『あれ』との付き合い方などわかっていないというのに」


「複雑な関係とはいえ、妹を『あれ』呼ばわりなど君らしくもないな。エドウィンの女嫌いが移ったのかい?」


「性別の問題じゃない。性格の問題だ」


「なるほど……?」


 わかるような、わからないような。ようするに馬が合わないということだろうか?先日の舞踏会で挨拶をした限りでは、キャンディという娘に特別な印象など抱かなかったが……。

 首を傾げるレオナルドに、ユリウスは「身内の恥は曝したくないんだがな」と苦々しげに眉間のシワに手をやった。


「正直、手を焼いてるんだ。ただでさえ家のゴタゴタがあって母の方も神経が参っているのに、癇癪持ちの妹まで増えて……。新しく専任のメイドをつけたんだが、ベテランの彼女でも対応に困ることがあるらしい。それでいて外面はいいもんだから、俺まで女性不信になりそうだ」


「……わかった、聞かなかったことにするよ」


 ユリウスの吐く溜め息はあまりに重々しく、軽口を叩くのも憚られた。よくよく観察してみれば、以前会った時よりも少し痩せたような気がする。苦労しているのだろう。

 レオナルドがユリウスの肩を叩くと、彼はホッとした表情で「助かる」とだけ答えた。こんなのは家の評判を下げかねない話だ。外部に醜聞が漏れないよう、気を張っていたに違いない。


「力になれることがあれば遠慮なく言ってくれ」


「エドウィンの言う通りだよ、ユリウス。溜め込むのはよくない」


 レオナルドはエドウィンと目配せし合い、「いつでも相談に乗るから」と友人を慰めた。


「しかしそれならなおのこと早々に結婚させてしまった方がいいだろうね」


「僕もレオナルドに賛成かな。結婚さえしてしまえばレンジャー家の養子だろうが婚外子だろうが関係なくなるし」


「あぁ、恐らくは父もそう考えているのだろう。それでお前やリチャードを舞踏会に招待したのだろうし」


 なるほど、そういう意図があったのか。『やけに親しげにしてくるなとは思ったが、』とレオナルドは舞踏会でのレンジャー伯爵の様子を思い返す。


「……ふうん?僕も選択肢に入れられていたのか。残念ながらキャンディ嬢のお眼鏡にはかなわなかったらしいが」


「よく言うよ。残念だなんてこれっぽっちも思ってないくせに」


 茶々を入れるエドウィンに、レオナルドは「まあね」と答える。

 そりゃあそうだろう。今のレオナルドにとって、振り向かせたい女性はただひとり。つれない彼女──メイベル・ロックウェルの頑なな心が、ようやく雪解けの兆しを見せたのだ。いくらキャンディが純朴で可愛らしい少女であっても、メイベルでないなら価値はない。

 「僕はね、ようやく真実の愛に出逢ったんだよ」陶然とした声音で言い切るも、エドウィンには「気持ち悪い」と吐き捨てられてしまったが。


「何が『真実の愛』だよ。冷たくされたのがキミのツボにハマった、ってだけの話だろう?」


「そんな彼女だからこそ、振り向いてもらうための努力に価値が生まれるんじゃないか」


「そうかい。まぁ頑張ってくれたまえよ」


 エドウィンと軽口を叩き合っていると、ユリウスまでも「俺にできることがあれば協力する」と言ってくれた。真面目な彼にしては珍しい申し出だ。しかしそれはレオナルドにとっても有り難い話だった。

 「助かるよ、ユリウス」そう言うと、彼は「リチャードに面倒ごとを押しつけるようで胸が痛むが」と苦笑した。

 しかし他に方法はない。キャンディのこともリチャードのことも特別憎いわけではないが、日々の安寧が何より重要だ。ユリウスの目が雄弁にそのことを物語っていた。

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