君の知らない恋の芽生え
広間に戻る気は微塵もないらしい二人に別れを告げ、レオナルドはひとり華々しい会場へ戻った。
人々の身に纏うドレス、装身具の数々。それらは照明の光を浴びて目が眩みそうなほど。けれどそのただ中にあっても彼女──メイベル・ロックウェルだけはすぐに見つけることができた。
──しかし、彼女にとってはどうだったろう?
「あら、クレイトン卿」
レオナルドから声をかけても涼しい顔。このレオナルド・クレイトンがわざわざ(!)足を運んでやっているにも関わらず、だ。
これが関心をひくための演技であるなら可愛いものを。けれど友人であるエドウィンの本物の演技を知っているからこそ、レオナルドには彼女の目が本心から冷めきっているのだとわかってしまう。
そんな彼女だからこそ余計に気にかかってしまうのが、何とも複雑なものである。
「今夜もキミは特別美しい。まるで月の女神かと思ったよ」
「では仕立屋に感謝しなくては。このドレス、わたくしも気に入っておりますの。お褒めにあずかり光栄ですわ」
「うーん、そういうことじゃないんだけどなぁ」
甘い囁きもさらりと躱され、レオナルドは渋面を作る。
相変わらず彼女は手強い。空色のドレスも澄み渡る瞳の蒼も、玲瓏たるもの。鋭さすら感じられるほどに冴え冴えとしている。寒く凍える冬の令嬢。それこそがメイベル・ロックウェルであり、故にこそその先にあるはずの春に焦がれてしまう。
──どうしたら彼女は笑ってくれるだろう。
「……私への挨拶はないのかな、クレイトン卿」
涼しげな顏に気を取られていると、大袈裟な咳払いがひとつ。
……わざと気づかないふりをしていたのになぁ。レオナルドは溜め息をつきながら、嫌々メイベルの隣に目を向ける。
「おやおや、ガードナーくんじゃないか。気づかなかったよ、キミがいるなんて。ほら、キミってやつはあんまりにも寡黙なものだからつい、ね?」
「そうですか、……まぁいいでしょう。私としても目立たずに済むならこんなにありがたいことはない」
「ふうん?僕も言ってみたいなぁ、そんなセリフ。あいにくと僕の周りには勝手に人が集まってきちゃうものだからさ」
「それもまた素晴らしい才能ですよ。さすがはクレイトン卿、羨ましい限りです」
張りつけた笑顔に寒気がする。
──学校じゃあいっつも顰めっ面だったくせに!猫っかぶりのええかっこしいが!
自分のことは棚に上げ、レオナルドは心の中で悪態をつく。好青年ぶった笑みも、バカ丁寧な物言いも、何もかもが癪にさわる。
これまでの人生、殆どの人間と上手く付き合ってきたと自負しているが、その中で唯一『こいつとは一生馬が合わないな』と確信できたのがこの男、リチャード・ガードナーであった。
……別に、寄宿学校時代から一度も首席の座を奪えなかったことを根に持っているわけではない。断じて、絶対に。
「お二人は仲がよろしいのですね……?」
「いいわけないよ、見たまんま。僕たちの相性は壊滅的、もう最悪の関係ってわけ」
「でもほら、喧嘩するほど……とも言うでしょう?」
小首を傾げるメイベルも、険悪な雰囲気は感じ取っているらしい。それでもなお、「でもご学友なのですから……」と続ける彼女の脳内はいったいどうなっているのだろう。人類みな兄弟だとでもいうつもりか。バカバカしい。
『そんなのは宗教の世界にしか存在しないさ』とレオナルドは思う。人間なんて等しく他人だ。家族も、友人も、利益があるから繋がっていられる。そう考えなくては、貴族社会でなど生きていけない。
──それなら、メイベルは?あまっちょろいことを言う彼女は、果たしてこの世界で生きていけるのだろうか?
「……レオナルドさま?」
「ああ、うん、いや、なんでもないよ」
にっこり。笑みかければ、大抵のことは受け流せた。面倒ごとは煙に巻いて、嘘を嘘で塗り固めて。
「……うそ」
微笑みの向こうで、メイベルが眉根を寄せる。眼差しは鋭く、鋭い、けれど──不思議と、痛みはなかった。
「怖い顔をしていらっしゃるわ。少し、おやすみになっては?痩せ我慢は体によくありませんもの」
「メイベル嬢……」
「彼女の言う通りだ。体調が優れないなら無理をすることはない」
遠くでリチャードのぶっきらぼうな声がする。実際にはすぐ目の前にいるはずなのに。なのにレオナルドにはたったひとりの女性しか目に入ってはいなかった。
「心配、してくれるんだ」
冴え冴えとした瞳の蒼が、春の日溜まりに溶けていく。
「当然でしょう?あなたが元気でないと、わたくしだって張り合いがありませんもの」
「そっか、……そうだね」
今すぐ彼女を抱き締めたい。そんな衝動に駆られたけれど、リチャードの視線に気づいて何とか踏みとどまる。
──ていうか、その目はなんだ?
「そうそう、以前言っていたことだけど、無事話がついたよ」
『あの堅物で有名なリチャードがね』と意外に思いながら、レオナルドは彼を無視して話を続ける。
「話?なんのことですの?」
「何ってレンジャー伯爵家のことだよ」
「……レンジャー伯爵家?どういうことだ?」
メイベルが目を瞬かせている間に食いついてきたのはリチャードだった。彼は氷のように冷たい目をさらに鋭くさせてレオナルドを見てくる。首都警察もびっくり、顔負けの表情だ。
どうやら彼女、リチャードには相談していなかったらしい。
……まぁ、それも当然か。レンジャー家のご令嬢に好かれているようだから仲良くしてやってくれ、なんてなかなか本人に言えることじゃない。
そう、頭ではわかっているのだけれど。
「……リチャードは知らなかったのか」
──それでもやはり、嬉しいものは嬉しいのだ。
「……いやだな、怖い顔しないでくれよ。メイベル嬢がキネト……なんだっけ?……まぁいいや、それに興味があるというものだから、その筋に詳しいユリウスを紹介しようかと思っただけさ。そうだね、メイベル嬢?」
「え、ええ!その通りですわ」
パチン、と片目を瞑ってみせると、理解したらしいメイベルが「ありがとう、レオナルドさま」と微笑む。
うんうん、なかなかいい雰囲気じゃない?言葉はなくとも通じ合っているこの感じ、結構──いや、かなり悪くない。
……だから本当はリチャードなんかを誘いたくはないのだけれど。
「ガードナーくんもよければどう?ユリウスの方は他にも人を呼んで構わないと言っていたけど」
でもそれがメイベルの望みであるなら、裏切ることはできない。
悩みを打ち明けてくれた、それはつまり多少なりとも親愛の情が彼女の中にあるということだ。ならば寄せてくれた信頼を仇で返すわけにはいかない、とレオナルドは不承不承──(本当に、残念極まりないのだが!)リチャードに声をかけた。
するとリチャードはリチャードで「クレイトン卿からのお誘いでしたら、もちろん」などと思ってもないことを(まったく、いけしゃあしゃあと!)白々しく嘯いてくる始末。しかしその目の奥に渦巻く疑念は隠しきれていない。『どうして自分を誘ったのか』とレオナルドを怪しんでいるのは火を見るより明らかだった。
が、リチャードから自分がどう見られているかなんて、レオナルドにとってはどうでもいいこと。『何も企んでなどいない』と言い訳するのも面倒だし、リチャードが誘いに乗ってきた時点で作戦は成功したも同然。あとはレンジャー家のご令嬢が煮るなり焼くなり好きにすればいい。
──その間にメイベル嬢との仲をより親密なものにしなくては!
「楽しみだなぁ」
その目論見が外れることなど、この時のレオナルドはちっとも考えちゃいなかった。
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