起死回生の一手 ─ 2

 将之は無意識に下がっていた顔を決然と上げた。

 電機寄生体は奏を積載し、なお上昇し続けている。奏は小柄だが、筋肉質のため体脂肪率は極端に低く、外見よりも体は重い。

 そもそも、漫画やアニメのように風船で人間を空へ飛ばすためには、何千個という膨大な数が必要となる。膨れ上がった寄生体は確かに巨大だが、それでもあの程度の大きさでは体積もたかがしれていると推測された。中に詰まっている物質が水素やヘリウムに類する気体だとすれば、奏をのせたまま浮き続けることは不可能だ。

 だが実際に、寄生体は空を飛んでいる。中身が水素より遥かに軽い未知の気体なのか、それとも、寄生体のエネルギーにより高温に変化して体積が極端に増幅しているのか。はたまた、この寄生体の能力の一種なのか。それは最早、現在の将之の知識で答えが出せる問題ではない。

 いずれにしろ、と、将之は空論を乱暴に放棄する。

 重要なのは、この実数次元に実体化させた以上、未知の生命体であっても物理法則は無視できないという自然界の掟。

 コネクトチップは、虚数次元に存在する寄生体の情報を読み取り、そのまま実数次元に反映させる機能を有する。それは寄生体の質量の再現においても同様だ。実体化した寄生体の外見が大きく変化したとしても、質量保存の法則により、質量そのものが変化することはない。

 この「質量」こそが、現在奏を窮地に陥れている原因。だとすれば。

 ――ある。今なら使える新手しんてが!

 微かに笑った将之は、先ほど床に滑らせたもう一人の相棒に向けて鋭く命じる。

「オーダー、【LIZ】!」

 力強い声に応え、端末の省電力モードが解除される。将之は上空から目を逸らさなかったが、明るくなった画面上ではトカゲのシルエットが身を踊らせていることだろう。両手でコードを引いたまま、一気に告げる。

「以降の全操作を口頭指示で実施、オート処理を許可。実行処理中の最終調整フェーズを中断、プログラム複製。コピープログラムのベースをパターンDからCに転換、変換対象項目ナンバーツー、変数NにIOTを代入、上限六十五に設定。変更確定コミット!」

 ≪承諾。完了予定時刻まで三十秒≫

 返答を聞いた将之は笑みを深めた。

 呪文めいた将之の長口舌に呆然とするのは、サンタにしがみついている奏だ。何が起きているのか、将之が何をしようとしているのか、奏にはまるで分からなかったに違いない。

 呆気に取られるその顔を、将之は青と黒、二色の瞳でしかと見据える。

「奏! 三十秒後にプログラムを転送する。合図で打て」

「了か――」

「勘違いするなよ。転送するのは消滅プログラムじゃない」

 即座に応じようとする奏に、将之の念押しが被さった。え、と奏が疑問の声を上げる。

「何言ってるんだよ、マサムネ? だったらそれ、一体」

「いいから早く、時間が無い! アクセスポイントへ端子を挿せる状態は維持したまま、体をこちら側に移動させて体重をかけるんだ」

 早口の指示に目を白黒させながらも、奏は言われた通りの体勢に移行した。

 奏が移動したことで、いっそう強く張り詰めたコードが将之の手を締め付ける。思わず漏れそうになる苦鳴を押し殺し、将之は振り返った奏を見上げた。

「信じろ、奏。オレがお前を死なせない」

 その言葉に虚を突かれたように、奏が目を瞬かせた。そして。

「何を今さら」

 ごく当然のように、笑って続ける。

「俺がお前を疑ったことなんて、ただの一度も無いよ」

 つられて少しだけ頬を弛めた将之は、しかし、すぐに引き締め直す。視界の片隅に、端末の画面が切り替わる瞬間を捉えたためだった。

 ≪プログラム完成、転送準備完了≫

「行くぞ、構えろ!」

 将之の合図で、奏が寄生体から片手を離してイヤホンコードを引っ張る。冬空に舞ったのは、先端が二股になった奇妙なイヤホンプラグ。プログラム打ち込み用に改造された端子を空中で握り込んだ奏が、将之に向けて親指を立てた。

 唇を舐め、将之は告げる。

「転送」

「っしゃあ!」

 気合いの声とともに、奏がアクセスポイント――三角帽子の頂点へとイヤホンプラグを突き立てた。衝撃に寄生体がぐらつき、コードを伝って振動が襲ってくる。だが将之は怯まない。

「展開!」

 放たれた将之の命令に応え、イルミネーションとは異なる白い光が溢れ出した。

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