40 美少女が来店
三日後。
倉科さんが理玖のバイト先に来る日がやって来た。
倉科さんは今、自室でどの服を着ていくか迷っていた。
「どの服がいいかな? こっち? それともこっち?」
吟味すること1時間。まだ決まっていない。そろそろやばいし、もっと時間を大切にした方がいいと思う。なのに彼女は何事もきちんと全力でやるタイプで、妥協という事を知らない。
「うーん。もうこうなったら、制服でパパっと行っちゃった方がいいのかなあ……」
そんな所に妹の
「お姉ちゃん、もしかしてデート? その一条くんって子と」
舞花とはあれから仲直りを果たしたのだが、また喧嘩になってしまいそうだ。話せる状態に戻ってはいるが。ちなみに倉科さんは着る服を選んでいた為、下着姿だ。
「ちょっと! 勝手に入ってこないでよ! ノックくらいしなさい!」
舞花は倉科さんの怒りなど、興味も無い。ただただ平然としている。
「それにデートじゃないよ! ちょっとお出掛けするだけだから」
「デートなら制服デートも良いと思うし、そうじゃないなら私服の方がいいんじゃない? 彼はきっと彼女の初めて見る姿を見てみたいと思うだろうから」
「そう。それならもっと考えてみるわ」
「お姉ちゃん、もう服選びで2時間が経過しようとしてるよ。彼を待たせちゃダメだよ。とうとうお姉ちゃんにも彼氏かぁ、いいなー」
「どっか行って! 出ていって! 真面目に考えてるんだから、邪魔しないで!」
妹は冴えない表情で静かに出ていった。
「こういうのは瑞季ちゃんに聞いた方がいいわよね。って、連絡先交換してないんだった。交換しておけば良かった」
今彼女は何をしているんだろうと思いながら、後悔する倉科さんだった。瑞季とは今度、交換しようと心に決めたらしい。
結局倉科さんは、ニットベストに厚手のスカート、ニット帽にショルダーバッグというコーデに決めた。オシャレしてる姿を彼に見せたいから化粧もして。化粧にも時間を掛けた。パン屋でバイトしてる時とは見違えるほど違う。
時間は11時を少し過ぎていた。午後からしか行くことは出来ないだろう。
気づけばスマホの通知ランプが光っていた。
「一条くん!?」
倉科さんは飛び上がった。
でも、彼ではなかった。ただの広告のメールだった。びっくりさせないでよ、と彼女は肩を落とす。
彼とは今日はおはようメールしかしていない。
彼は私が来たら驚くだろうか。態度を変えてくれるだろうか。私服を見て可愛いと言ってくれるだろうか。そんな思いを胸に倉科さんは家を出た。
「いってきます」
鍵は舞花が閉めてくれた。
ここからが問題だ。道を間違えずにカフェ・テリーゼに行けるのか。地図を見ながら、まずは駅を目指す。テリーゼはこの場所の最寄り駅から一駅進んだ場所にある。
最寄り駅にはひとまず着いた。だが、周りからの視線が眩しい。
「ここで一条くんにメールした方が無難かな」
『午後から行くね。駅着いたよ。でも、迷子にならないか不安』
そう思い、倉科さんはスマホを取り出してメールした。仕事中だったらスマホ使えないだろうし、きっと返信来ないだろうなあ。なのに、返信がすぐ来た。
『駅着いたんだ。今、休憩中だったから気づけたよ。道分からない? なら、駅から案内してあげようか?』
何でこんなに優しくしてくれるのだろうか。仕事で忙しいはずなのに、駅から案内だなんて。倉科さんはその親切心を無下にするわけにもいかないから、たまには甘えてみる事にした。
『案内して。お願い』
ありがとうスタンプも添えておいた。
すると彼からは『了解』と返ってきた。
駅に着くと理玖が手を振って待ってくれていた。
「一条くん、お待たせ。ありがとう」
「うん。それじゃ行こっか」
理玖は手を引いてエスコートしてくれた。その彼のイケメン行動に倉科さんはときめいた。頬が化粧で赤くなってるのに更に赤くなった。
「私服、可愛いね。冬らしさが出ててすごく素敵」
「……あ、ありがとう。嬉しい」
服選びに二時間費やした事はバレてるだろうか。
「化粧もしてて、いつもより可愛くなってるよ」
「うん。ありがとう。一条くんもカッコいいよ、そのウェイター姿」
倉科さんはカッコよ過ぎて直視できないらしい。理玖は言われて、そのまま店から出てきてしまった事に只今気付き、顔を赤らめた。知り合いにバイトの制服を見られるのは恥ずかしいのだ。
「着替えてくれば良かったなー。恥ずかしい」
「どうせこれから見るんだし、気にしないで」
「一条くんの私服も見てみたい」
「バイトには制服で来たよ」
「え?」
倉科さんは開いた口が塞がらない。
少なからずショックを受けていた。
「そっか……」
見れる機会が来るだろうか。願わくは二人でデートの時に。いやいや、倉科さんに誘う勇気なんてない。
理玖は「ちょっと頭貸して」と倉科さんを引き寄せた。そして、彼女の頭をポンポンと包み込むように叩いた。いきなりの頭ポンポンに彼女は当然ながら驚く。彼からのスキンシップはナチュラルだった。
「ひゃうっ!」
「ごめん、びっくりした?」
「……うん」
「ニット帽ふわふわしてる。触るとどんな感じか確かめたくて」
「そうなの。そういう事じゃなくて、私こういうの初めてだったから。でも、もっと撫でてほしい」
そういうや否や倉科さんは理玖の腕を掴み、頭を撫でさせた。倉科さんの髪はさらさらと繊細だった。
「気持ちいい。頭撫でられてるだけで、守られた感じがする……嬉しい」
彼女は目を細めて、自然に微笑んだ。その天使のような笑顔に心を掴まされる。
店が近づいてきた所で理玖が話題転換をした。
「倉科さんってスイーツだとどんなのが好きなの?」
「…………え? 何?」
倉科さんは頭を撫でられた余韻に浸っているらしい。ボーッとして、人の話が入ってこない。
「好きなスイーツ、何?」
「好きなスイーツはパンケーキ、パフェ、パンナコッタ、わたあめ!」
「あはは。パで始まる物が多いね」
倉科さんも苦笑を浮かべる。
「お店でもそれを頼むの?」
「パンケーキとパフェは頼もうかな」
「倉科さんは大食――沢山食べるね」
「今、大食いって言おうとしたでしょ」
「してない、してない」
理玖は手を振って否定した。
「ほら、着いたよ」
カフェ・テリーゼの扉の前に辿り着いた。店は落ち着いていて、葉と蔦が生い茂っている。客も大勢いて、満席かもしれない。店の外の席にも座ってお茶してる客もいる。倉科さんは店の中へ案内された。店に着いたのは1時を過ぎた頃だった。
「いらっしゃいませー」
明るい高い声で接客された。倉科さんは顔を赤く染め、俯き、もじもじしていた。こういう人の多い場所は苦手なのだ。どうしても緊張してしまう。
「一条くん、早く、席に、着きたい」
「分かった」
「一名様のお客様ですー。こちらへどうぞ」
そう営業らしく言うと、彼女を窓際の席に座らせた。
「ここが空いてるか。ここに座って」
倉科さんはそろりと座った。
***
カウンター奥の会話。
「一条、お迎えお疲れ様」
「はい」
「あの子は一条の彼女か? やけに美人だったけど。大物じゃないか。仕事もスマートにこなせて、美人な彼女もいて人生薔薇色じゃん」
「一条さんの彼女、すごい美人でしたよねー私でも惚れちゃうくらい」
「あの子はただの親しい友達で……同級生で。彼女じゃありません!!」
「なんだー彼氏持ちかー勿体無いな」
勝手に倉科さんが彼氏持ちという事で話が進められた。その後も雑談が続き、理玖が接客する出番がやって来た。今日は理玖が淹れたコーヒーを飲んでもらうのだ。
***
呼び出しボタンが彼女の席から鳴る。急いで理玖は駆けつけた。
「お客様、ご注文は何に致しますか?」
そんな
「キリマンジャロのホットのブラックコーヒーを一つとパンケーキとパフェとミルクレープでお願いします」
そんなに食べれるのか? と訝しげに理玖は見ている。
オーダーを取り、カウンター奥へと戻った理玖。
「緊張するなー」
そう一人呟く。コーヒーは豆を焙煎する所から始めた。パンケーキとパフェとミルクレープは既に出来上がっている。
コーヒーを淹れ終わり、これから彼女の元へと運ぶ。彼女は頬杖を付き、無表情で窓の外を見ている。さっきのような恥ずかしがっている様子は見られない。
「そういえば倉科さんもラテアート作れるんだったなー。ていうか、いくら俺の淹れたコーヒーでもブラックで大丈夫なのか?」
コーヒーは試飲が出来ない。そこが曲者なのだ。
倉科さんは待っていた。心臓がバクバクと鼓動を鳴らす。頬杖を付き、振り返った。
美味しく飲んでくれるだろうか。本気の一杯、是非彼女に飲んでもらいたい。理玖はトレイを持って、倉科さんの元へ運んだ。
「お待たせしました」
疲れきった様子で理玖が運ぶと、店に来て初めて彼女は笑顔を見せた。その笑顔に理玖はホッとした。
「ありがとう。美味しく頂くね」
そうして彼女はコーヒーに口をつけた。理玖はカウンター奥へと消えていった。その後も理玖は他の客の接客にあたる。
「あ、これ苦いけどいけるかも」
倉科さんはコーヒーを飲んで、そう感想を述べた。彼は気遣いで砂糖を用意してくれた。でもその必要はなさそうだ。
続いてスイーツにも手をつける。どれも甘くて美味しくて蕩けちゃいそうだった。コーヒーとスイーツを交互に味わって食べ終えた。コーヒーの苦さもスイーツの甘さで軽減される。けれど、彼が淹れてくれたコーヒーは何もなくても格別だった。深くて上質で心の芯に染み渡るような。
理玖と帰る為に倉科さんは俯せになって寝て待っていた。
就業時間の三時になって、理玖が彼女の近くまで歩み寄る。
「倉科さん、倉科さん起きて」
「んみゅ?」
寝ぼけた様子で起き上がった倉科さん。
そうして、あれこれあって店の外へ出た。今日も一緒に帰った。
「どうだった? コーヒーも、スイーツも」
「すごく美味しかったよ。スイーツは甘くて、蕩けて。コーヒーは全身が震えた、凄すぎて。私、一条くんのお陰でブラックでもいけるようになるかも」
「そっか。ありがとね」
理玖は嬉しそうだった。
「是非、俺が淹れたコーヒー以外のブラックも飲んでほしい。俺のお陰だなんて嬉しいよ」
「バリスタ、なれるかな……」
「バリスタ?」
「そう。瑞季はイラストレーターじゃん? 俺は大学卒業までにバリスタになりたいんだ」
「絶対、なれるよ! こんなに美味しいんだもん! 応援するっ」
「ありがとう。そうかなぁ……」
理玖は浮かない顔をしていた。
「倉科さんは将来の夢とか無いの?」
「将来の夢かぁ……」
将来の夢とか全然考えてなかった。
倉科さんは虚ろな目をして、黄昏つつも夕焼け空を見上げた。
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