35 不信感
俺は彼女に言われた通り、遅い時間にヤマシタ・ベーカリーを訪れた。時間、これで大丈夫だよな? 最初は瑞季と倉科さんがいる事に気づかなかった。彼女らが奥にいるのが原因だ。それと自分が鈍感なのもある。店員さんに導かれ、席へと案内される。いつもの定位置には何やらテキストやノートが散乱していた。人は座っていない。どこかに行ってしまったのだろうか。戻らないならここに座らせてよ、と思った。
俺はブラックコーヒーを頼み、パンを取りに行った。
その頃、女子二人はこんな会話を交わしていた。
「瑞季ちゃん、一条くん来ちゃったから離れてよ」
「まだ大丈夫。あいつなら気づかない。喋ろ?」
瑞季は雑談を持ちかけた。俺が気づかない事に倉科さんは安堵した。けれど、油断して羽目を外した事に後々後悔する。
「一条くんとは幼馴染みなんだよね? 幼い頃の一条くんってどんな子だったの?」
「あー昔はねえ、明るくて活発で友達に囲まれてたよ。小学校の頃とか」
「えー今と正反対じゃん! その頃の一条くんとも会ってみたい」
「今度、小さい頃の写真あげるよ」
「欲しい! めっちゃ欲しい!」
すごく食いついてくる倉科さん。俺は声のする方を見た。まだ、気づいていない。いつものオドオドしてる彼女がいないから気づかないのだ。明るい彼女は彼女じゃない。
「それで、何で今は一人を好んでいるんだろう……」
倉科さんは疑問に思った。
「何かがあったんだよ。私には分からないけど。それで一人に憧れ、中学入学を機に晴れてボッチデビューしたのよ」
「晴れて、って! 全然祝福する事じゃない。瑞季ちゃんでも知らない事ってあるんだ」
瑞季は手を組み、頷く。
そして、俺を目で追い、俺が近づいて来ている事に気づいた。
「あとはオタク趣味に興味を持ったのも理由の一つとして、考えられるわね」
「あーなるほど」
「あんな感じだしね」
瑞季は俺を指差した。倉科さんもようやく俺がすぐそこまで迫っている事に気づく。二人両方に目が合った。
「ちょ、ちょっと! 一条くん、迫って来てるじゃない! 何で教えてくれなかったの?」
迫って来てるってサメみたいに言うな。倉科さんは本当に小さな声で瑞季に囁いた。
瑞季は無視をして平然と立っている。
「なあ、何で倉科さんと瑞季が話してるんだ?」
「あ、あのっ、それはっ……ポイントカードの説明をしておりましたっ」
「そう、新しくカード作ろうと思って」
「あーそっか。俺はプラチナだけど。瑞季もここのパン屋に興味持ったんだな」
何でバレないんだろう……鈍感過ぎない? と倉科さんは目を瞬いていた。だが、俺も少しは鋭い。
「でも、カード持ってないけど? あれ? カードは?」
「説明だから」
「ああ」
隙を見せない素早い返事に疑問を抱く余地はない。瑞季の目付きなどに気圧され、俺は完全に彼女らの言葉を信じた。
「じゃあ、またね。お仕事頑張ってね」
瑞季はそう一言添え、倉科さんから遠ざかった。
「なあ、倉科さんと馴れ馴れし過ぎないか?」
「そうかしら?」
俺は少なからず、瑞季に嫉妬していた。
そうして、勉強を始めた。分からない所は瑞季に聞いた。瑞季も課題に取り組んでいる姿を見て(努力家なんだなー)と一人感心していた。
休憩がてらパンを取りに行った。
「私、理玖が来るまでパン取りに行くの待ってたんだよ?」
「お前が遅く来いって言ったんだろ」
「それはそうだけど」
瑞季がすぐに引き下がるなんて珍しい。
「じゃあ、私の代わりにパン選んでよ。勉強教えてあげてるんだから、これくらい当然だよね?」
「分かったけど、大体お前が好きなのってミルククリームパンだろ」
「でも、今日の気分は栗のパンかな」
「お客様っ、本日オススメは夕張メロンパンです! 新作ですし、今日は20%オフでお得ですよー」
倉科さんが割って入る。接客頑張ってるのが窺えるのと、今日は何だか緊張してない気がする。それも気のせいか? 夕張メロンパンは昨日ベンチで昼飯食べてた時に新作って話題になってたやつだ。
「来たよ」
来たよって酷くないですか、と倉科さんは俺を睨む。
「じゃ、それにしまーす」
瑞季がトングで取ると倉科さんは嬉しそうに「お買い上げ、ありがとうございます」と言っていた。
「俺もそれにしようかな」
「あ、ありがとうございます」
自分の手柄で二個売れたのが嬉しいらしい。
勉強の休憩がてら、夕張メロンパンの感想を言い合った。
「この夕張メロンパンサクサクで、メロンの果汁の甘さが出てて美味しい。すごい爽やか」
「だよな。夕張メロンってだけあって、メロンの甘さが良く出てる。高級って感じ」
あっという間にパン一つ平らげてしまった。勉強がマジで
瑞季の教えもあり、課題が全て終わった。帰ろうとした時には空が群青色に染まっていた。今日も閉店ギリギリまで居座っていたと思うと、何だか本当に俺ってこの店が好きなんだなあ、と身に沁みる。瑞季もポイントカード作るって事は常連になるのかなあ、なんて考えに至った。それが嬉しくも嫌でもあった。この店は俺だけの店であって欲しい、常連は俺だけでいい、倉科さんは俺だけを見ていて欲しい、という独占欲から。
瑞季はポイントカードを作る為にレジまで行った。俺は会計を済ませ、店の外で待っていた。
「何で本当にポイントカード作らなきゃいけなくなったのよ!」
瑞季は怒っていた。
「まあまあ。お店としてはありがたい事ですし……」
初心者級の緑の色のビギナーカードにポイントを入れた。俺のカードはさっき言った通り、最上級の銀色のプラチナカードだ。
「まずは最初の一歩から。それじゃあ、次来た時もポイントカードを持ってきて下さいね」
「はい」
「話変わるんだけど、一条くんの好きな人って毎日通ってるパン屋の店員って言ってたよね? もしかして、私?」
瑞季は思考を巡らせた後、手を顎に当て、唸った。
「……分からない。勘で言っただけだから」
「私、もう誰かから聞いた「あの人が好き」っていう思いは口外しない事にしたの。だって本人に告白されない限り、分からないじゃない。それに告白されても嘘告の場合だってあるし。とにかく、これだけは言っておく。理玖から直接聞いた好きって言葉だけを信じなさい」
「分かった。ありがとう、瑞季ちゃん」
倉科さんは彼から告白されるのを今か今かと待っていた。好きって言葉を言われたい。一度でいいから。瑞季から応援されているみたいで、倉科さんは嬉しそうだった。
「瑞季、遅かったな」
「ええ、まあ……」
暗い夜道を肩を並べて歩くのだった。
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