13 二人きりの保健室


 怪我をした俺たちは水道のある所まで行った。

 泥だらけの顔を見て二人で笑い合った。


「あはは」


「体育祭の後みたいだね」


 顔が泥だらけになっても倉科さんは可愛いと思うのは俺だけだろうか。可愛さを保っている気がする。倉科さんは何をやっても可愛い。

 まずは土や砂を水で洗い流した。土や砂がするすると流れていく。患部が水に当たると少し痛い。


「石鹸使った方がいいよ」と倉科さんが言った。


「そうだね」


 仲良くなっていくうちに敬語は自然と無意識に取り払われていった。


 石鹸でほぼ全ての土や砂は洗い流せた。だけど、顔だけはしばらくこのままでいたい。


「この顔、写真撮っておきたいね」


 笑顔で倉科さんはそう告げた。俺にとってもこの顔は良い思い出だった。ふと瑞季のことが心配になる。すると倉科さんがそれに反応した。


「今、別の女の子のこと考えてたでしょ? ひょっとして佐渡さん?」


「えっ。――何で分かるの?」


「佐渡さんなら少し保健室に寄って教室に戻っていったらしいわよ。早退しようか迷ってるとかなんとか」


 少し心配は和らいだけど、胸がざわめいていた。早退は阻止したい。明日から学校来なくなっちゃったらどうしよう。ずっと皆勤賞だった瑞季が早退したいなんて珍しい。相当心が疲弊して追いつめられているのだろう。


「そうか。じゃ、行こっか。倉科さん」


 倉科さんの腕を俺は引っ張った。


「え!? どこに?」


 倉科さんは真っ直ぐ教室へと帰るつもりだったらしい。


「保健室だよ。当たり前じゃない?」


「授業は?」


「サボって傷の手当てしない?」


「うん、分かった」


 そうして二人で保健室に行く事になった。


 その道中。


「痛いよね、肩貸すよ」


「ありがとう」


 俺は倉科さんに肩を貸してあげた。足が途中よろよろしながらも保健室へと辿り着いた。


「俺のせいで怪我させて痛い思いさせてごめんね」


「一条くんのせいじゃないよ」


 倉科さんは俺の非を否定してくれた。責められなかった。


 保健室の扉を開けた。


 瑞季、いないでほしい。そう思ったのは本当。今だけはどうか二人きりにさせてほしい。

 保健の先生くらいはいてほしいと思ったが、誰もいなかった。


「誰も、いないね……」


 俺たちは誰もいない保健室へと入っていった。

 そこにあるのはベッドと机と薬箱とその他のみ。照明すら付いていない。


「倉科さん、先にベッドに座ってていいよ」


 倉科さんは分かった、と言いベッドに腰かけた。その間薬箱や絆創膏などを準備していた。ある程度準備出来ると倉科さんのいるベッドへと向かう。


「お待たせ」


 倉科さんは腕をさすっていた。痛そうにしている。


「痛いよね」


「うん」


「その傷、俺に見せて?」


 学校一の美少女と二人きり。すごく緊張する……。倉科さんはそっと腕と膝を俺に見せてくれた。少し恥ずかしそうにしている。彼女は近くで見ても遠目で見ても可愛らしい。


「痛いと思うけどごめんね」


 そう言い俺は、薬を手に取り、患部に優しく浸透させるように塗っていった。白い肌だから尚更、赤い傷が目立つ。


「ありがとう」


 塗り終わると礼を言われた。今日はありがとうって言われてばかりだ。なんか嬉しい。


「次は私が塗る番だね。一条くん、薬貸して」


「え、いいよ。俺は自分で塗るから」


「そう言わずに。してもらったんだから返さないと」


「いいって! 自分で塗るって言ってん――」

「あ、ごめん。女子相手に怒鳴って。つい。瑞季と普段接してるから癖で。びっくりしたよね?」


「ううん。大丈夫」


 そして沈黙の間が訪れた。これからどうしようか、二人で悩んでいるところ。


「私に、触られるの、そんなに、いや?」


 たどたどしい口調でそう問いかけられた。


「嫌じゃないけど……触られるの慣れてないっていうか」


 倉科さんは緊張をほぐすように微笑んだ。


「私に任せてっ!」


 そう言い、俺をベッドに座らせると綿棒に薬を付けた。そういう手があったか。


「痛くない?」


 上目遣いで問いかけられる。俺は今、綿棒で薬を塗られている。


「痛くないです」


「また敬語に戻ってるよ!」


 本当だ。意識してないとすぐ戻っちゃう。でもさっきは無意識だったなあ。


 綿棒で薬を塗られ終わった。でも何だか物足りない。本当は彼女の手で塗って欲しかった。だけどそれが言えなかった。本音を伝えられない。もどかしい。


「あ。まだ顔塗り終わってない」


「ほんとだ」


「俺塗るよ」


 さすがに倉科さんの顔に触れるのは気が知れた。

 それでも倉科さんの顔に手を伸ばす。彼女の柔らかな頬の感触が伝わる。マシュマロみたい。可愛らしいえくぼがチャームポイントで。優しく包みこむように塗っていった。

 額も切れている。前髪をかき分けて、伸ばすように塗った。触れた微かな前髪もさらさらしていて気持ちよかった。ストレートできちんととかされている。


 学校一の美少女と保健室で二人きりなんて……って我に返った時には既に頬が熱を帯びていた。それに顔や身体を触るなんて。


 俺は幸い顔面ダイブしたにも関わらず顔は無傷だった。


 でも――


「笑って」


 気づけば倉科さんが俺の頬に触れていた。


「く、倉科さん!?」


「笑って」


 俺は満面の笑みを浮かべた。


「一条くんの笑顔みてると落ち着くの。怪我の痛みすら忘れちゃう。優しい一条くんの笑顔が私、好き。(でも最近佐渡さんのことで悩んでて笑顔があまり見られないから残念だなぁ……)」


 好き、という言葉にドキリとした。倉科さん、そんなこと思ってくれてたんだ。


「俺も倉科さんの笑顔、大好きだよ」


 倉科さんは一瞬、驚いた顔を見せた後、鼻血を出して後ろに倒れてしまった。


「大丈夫?」


「う、うん」


 自分は言ったのに俺から同じ言葉を言われるとは予想だにしてなかったらしい。不意討ちを喰らったというわけだ。


「私、熱あるかも……」


「え、ほんと?」


 そう彼女に体温計を渡した。


 ***


 私、熱あるかも……。さっきから私おかしい。一条くんの柔らかな手に触れられて、傷口を塗ってもらって、痛みさえ忘れるくらい嬉しくて。そしたら顔が熱くなって。ドキドキして。今、全身が熱い。顔もきっと赤いよね。それに笑顔が好きって言われて鼻血出したし。絶対、熱ある。そう思ったのに……。


 ***


 体温計の温度は36.6℃。無い。倉科さんは熱がなかった。これで一安心。


「大丈夫だったね」


「絶対熱あるよ。ぷぅっ」


 倉科さんは頬を膨らませている。


「お医者さんごっこでもする?」


 そう問い、聴診器を持ってきた。


(嫌、この心臓の音、誰にも聞かれたくない)という風に倉科さんは顔をふるふるさせた。


 俺も倉科さんも心拍数高いだろう。


 授業サボって何やってるんだか。保健の先生はまだ来ない。


「私、着替えたい」


 急に彼女がそう言い出した。


「え、今ここで着替えたら俺いるし。制服無いし、教室まで取りに行かなきゃいけないし」


「そう、だね」


 彼女は渋々受け入れた。だが。


「この泥だらけ気持ち悪いし、早く着替えたい」


 時刻は10:20過ぎ。もうすぐ三時間目が終わる。


「もう少しで授業終わるから。それまでもうひと辛抱だ」


 ここで一つの提案をする。


「それとも教室戻る?」


「いや。教室戻りたくない、ずっとこのままがいい」


「そうだよね」


 今、教室に戻ったらクラスメイト達からの反感の目に晒される。それに倉科さんには教室に戻りたくない理由がもう一つある。――一条くんとずっと二人きりでいたい――だが、俺は鈍感だから前者の理由だと思っている。


「倉科さんはさ、自分のこと汚いと思ってない?」


「今の自分、すごく汚いよ」


「そんなことないよ」


 抱きしめたい。ダメだ、そう思うと心臓がバクバクする。血管が浮き出るような感覚に襲われた。


「二人きりでしか、出来ないことしない?」


「え?」


「あと残された時間、少ししかないし」


 俺は自分の発言の責任は取りたいと思っている。


「抱きしめて、いいかな」


「で、でもっ、私の服すごく汚いよっ?」


「俺だってそれは同じだ」


「い、一条くんって佐渡さんのことが好きなんじゃ……――」


 俺はその瞬間、彼女の柔らかくて華奢な身体を優しく包みこんだ。彼女の背中は姿勢が良く、真っ直ぐと伸びていた。その背中を軽く優しく撫でた。倉科さんは身体を震わせている。緊張から来るもの。温かな熱が全身から伝わる。当然、彼女は驚いていた。そんな彼女にこう伝えた。


「瑞季は友達としてしか好きじゃないよ」


「それじゃあ、わた、私のことはっ……」


「まだ好きかは分からないけど……だけど、怪我してる可愛い君を見てたら抱きしめたくなった。ただそれだけ」


「なにそれ」


 彼女はクスリと笑った。その表情が可愛くて、とてつもなくいとおしかった。


「もう時間だし、教室戻ろっか」


「うんっ」


 怪我してるはずなのに元気な二人の声が廊下に響き渡った。結局、保健の先生は昼食の時間まで保健室に戻らなかった。





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