第26話 憎しみの剣士 ①

 洞窟内は湿気が多く、空気がひんやりと冷たかった。二人の足音は暗闇の中でこだまし、消えていく。


 優人が持つランタンの光は洞窟の奥の方までは届かない。先の見えない暗闇が延々と続き、閉鎖的空間も相まって実乃莉はなんともいえない不安を感じていた。


(優人くんの心にもう一度触れたいな……)


 初めて男子の腕の中で泣いた。あの時、感じた彼の心の温もりがずっと頭から離れない。

 仮想世界のアバターであれだけの温もりを感じたんだ。現実の体で触れ合ったらどれだけ暖かいんだろう……。


 実乃莉は自分が優人を好きになっていることに気がついていた。初めて会った時の気になる人から距離感が徐々に縮まり、その距離が友達から恋人に変わりつつあることも実感している。


 実乃莉はそっと隣を歩く優人の手に触れた。触れただけでは暖かさを感じない。触れ合った手は反射的に離れてしまい、実乃莉はもう一度触れようと手を伸ばした。


「どうしたの?」

 穏やかな様子で微笑み優人は言った。

「もしかして、こういうとこ苦手?」

「うん……」


 頷くと彼はそっと手を握った。さっきまで肌寒く感じていたのに不思議と体が温かくなる。


——この温もり、ずっと欲しかった。


 親はいない。八歳の娘を見捨てるような人を親と呼べるわけがない。学校にも寮にも友達はいるけど、何か困った時に頼れる間柄ではない。


(この人が……、隣を歩くこの人が私の人生で一番大切な人なんだ)


 この人を支えたい。この人が背負うことになる全てを一緒に背負って生きていきたい。


 優人の心の温もりを感じながら実乃莉は強くその想いを噛み締めた。


 しばらく歩くと少し開けた部屋のような空間に出た。

 地面に岩のタイルが敷き詰められ、部屋の真ん中に祭壇のような物が鎮座している。


「これは何? 祭壇?」

「セーブポイントだよ。ここから出口までそこそこあるから、こういうセーフティゾーンを設けているんだ。普通、街の外ではログアウトできないのだけれども、ここではログアウトができる。少しだけ休憩しよう」


 五分ほど休憩をとり再ログインすると、優人が何かを探るように地面を見ながらウロウロしていた。

「何をしてるの?」

「スイッチを探しているんだよ。この辺にあったんだけどな……」

「スイッチ?」

「近道が開くんだよ。最深部まで一気に行ける」

「覚えてないの?」

「覚えていない。ほら、俺の装備ってレアメタル使わないからさ、しばらくここに来てないんだよね」


 優人はそう言ったが、実乃莉は優人が立っているタイルが少しだけ薄らとグレーがかっていることに気がついた。

 その隣には、これまた分かりにくく僅かに上に出っ張ったタイルがあることに気が付く。


「スイッチってこれじゃない?」


 実乃莉はわかりずらく出っ張るタイルを踏んだ。ガコッという何か仕掛けが動く音がした次の瞬間。優人の足元のタイルが消え、そこに人一人が入れそうな穴が出現した。


「あっ……!? あああああああああああ」


 優人の姿は穴の中へと消えていき、その穴は一瞬で閉じてしまう。光源が無くなり、実乃莉は慌ててウィンドウを操作しランタンを具現化した。


 さらに実乃莉はマップを開き、優人の位置を確認した。優人の位置情報を示すマーカーは、立体的に表示されたマップ上の道なき道を螺旋を描きながら下っていき、あっという間に洞窟の最深部まで辿り着いてしまった。


 どうやら今踏んだのが、優人が探していたスイッチで合ってたみたいだ。

 もう一度起動させようと、実乃莉は同じタイルを踏んだ。しかし何も起こらない。見ると出っ張りは綺麗になくなり、グレーがかっていたタイルも他の物と同じ色になっていた。


 実乃莉は優人に着信を入れた。

「あの……優人くん、スイッチがなくなったんだけど?」

『ああ、この近道は一日に一回しか使えない。だから今日はもう誰も使えないよ』

「はあ!? あの、そういうことは早く言ってもらえる?」


『わるいわるい。すっかり忘れてた。

 俺もこっちでレアメタルを集めるから、実乃莉もそっちで集めてくれ。その先に進めば生成してあるはずだから、じゃあね』

「あー、ちょっと」

 通話が切られ、静けさが残った。急に一人にされた心細さが足を重くする。


——もっと一緒にいたかったのに。

 嘆いても仕方がない。実乃莉は心を切り替え、洞窟の奥の方へ歩き始めた。


 しばらく奥へと進むと、岩壁に張り付いている岩が今までのとは明らかに様子がことなることにきがついた。

 その岩は色が黒っぽく米粒程度の大きさの銀色の塊が付着している。


——これがレアメタル? 


 実乃莉はピッケルでその岩を剥がし取りアイテム名を確認した。『レアメタル鉱石』。 

 これを必要量採取すればいいのだ。ただやっと一個。個数換算で二百個ほど集めないといけない。


 思わずため息が出た。とはいえ彼にも手伝わせてしまっているのだ。頑張って集めないといけない。

 実乃莉は目に付くレアメタル鉱石を取りながらさらに奥の方へ進んだ。

 

 しばらく歩くと、大きな空洞に出た。壁にはびっしりとレアメタル鉱石がこびり付いており、必要量の半分は集められそうだった。


(よかった。なんとか集まりそう……)


 しばらくピッケルで採取してると自分のとは違う明かりが足音と共に近づいてくる。


「あれ、もうこんなところまで人が来てたんだ。君、はやいね。経験者?」


 深紅の髪を肩の辺りまで伸ばした男。やけに馴れ馴れしい喋り方だ。後ろからついてくる足音はなく、どうやらこの人も一人らしい。

 実乃莉は少し警戒しつつも返答した。

「いいえ、経験者と一緒に攻略しています。今は分け合って別行動をしていて」

「そうなんだ。ここの鉱石は早い者勝ちでいいのかな?」

「ええ、いいですけど……」


(多分、奥で優人くんがとってくる分を合わせれば足りるはず)

 

 実乃莉の返答を聞くと男は鉱石を掘りはじめた。

 実乃莉も負けじと採掘を進める。


 そうこうしてる間にメッセージが飛んできた。どうやら向こうで、百五十個ほど回収できたらしい。自分のと合わせれば十分に足りる数だ。

 実乃莉は数が足りることを優人に返信した。

 ピッケルをアイテムウィンドウに格納し、帰る支度を始める。


「仲間から連絡きたの?」


 どうやらウィンドウを操作しているところを見られたらしい。


「ええ」

「ねえ、君の仲間、教えてくれない。ファンかもしれないんだ」

「西条優人です」


 そう迂闊に彼の名前を口にしたことを実乃莉はすぐに後悔した。男は優人と聞いた途端に口角が上がり、不適な笑みをこぼす。


「西条優人か……。もしかして、君の彼氏?」

「いいえ。ただの友達です」


「ねえねえ。会わせてよ。俺、知り合いなんだよね。西条と」

 男はニタニタと笑いながら、近づいてきた。


(この人、嫌な感じがする。しかもやたらと優人くんの話題に食いついてくる。知り合いって言ったって優人くんにはそんなにいないはず……)


「あの、優人くんとはいつ頃知り合ったのですか?」

「あー、小学校一年生だよ」

「名前は……?」

「赤木蓮」

 実乃莉は絶句した。

(この人を優人くんに会わせるわけには行かない。彼の中にいるもう一つの人格が暴れ出してしまう)


 実乃莉は直感的にそう思った。そんな心情を読み取ったのか、男は喉を鳴らすように笑う。


「やっぱり、俺のこと聞いてるよね? ねえ、どこにいるの彼」

 近づく顔に悪寒を感じすぐに離れた。鞘から剣を抜き取り切っ先を赤木に向ける。


「意外と攻撃的だね。そういう娘、嫌いじゃないよ。でも、やめておいた方がいい。俺はそこそこ強いから」


「どうでしょうかねえ。私も彼にそれなりに鍛えられているので」

「試してみる?」


 一瞬だった。赤木は実乃莉が持っている剣を簡単に打ち払い、一気に間合いを詰めてきたのだ。

 二撃目を防ごうと構えた剣も簡単に弾かれ、実乃莉の剣を持つ腕は後ろに投げ出された。


 その隙に赤木の左腕が実乃莉の首に巻きつき、抵抗する間も無く背中側に回られ、剣を顔の横に当てられる。


 実乃莉の首に腕をかけたまま、赤木は言った。


「君、弱すぎるね。これじゃ俺に全然勝てないよ」

 赤木の呼吸する音が少しずつ耳元に近づく。

「なあ……、早く呼んでくれよ。それとも誰かがここに来るまで楽しむかい?」

「いや……」

——優人くん助けて……。


 奥の方を見ても暗闇があるだけで、彼が現れる気配はない。足音も聞こえない。ランタンの光も見えなかった。

 しばらく拘束されたまま動けなかった。だがしかし、実乃莉は突然解放される。


「はあ。強情なやつだな。それだけあいつのことを思っているってことなのかな? 

 まあ、別にいいや、なんとなく居場所はわかったし」

 驚きを隠せない実乃莉を嘲笑し赤木は続けた。


「お前、奥の方見過ぎだぜ。すぐにわかったよ。もしかしたら助けに来てくれるんじゃないかって思ってたんだろー。

 そうとなったら、取るもん取って入り口で待つとするか」


 赤木はしばらくピッケルを壁に打ち当てていた。洞窟内にピッケルの岩を砕く音がこだまする。やがて必要量に達したのか、赤木は出口の方へ歩いて行った。


 実乃莉は膝から崩れ落ちた。

(やってしまった。あの人と優人くんを会わせてしまったらどうなってしまうの……?  

 そのせいで悪い人格が目覚めてしまったら……。それを他の人が見てしまったら?)


 優人の顔は、いま残っている参加者全員に知れ渡ってしまっている。悪評が一気に広がることは避けられない。


 今の実乃莉にとって友達以上の存在は優人だけだ。唯一無二の大切な人が深く傷つく姿を想像すると胸が張り裂けそうなくらい苦しくなる。


——どうしたらいいの?


 実乃莉は突破口がわからないまま天井を見上げた。

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