♣6 カレイドスコープ本拠地


 教会で本の悪魔であるマルコと会った次の日。

 悠真たちは占い師が運営するカレイドスコープへと向かっていた。


 河口駅から電車に乗り、隣りにある氷川市へ。月曜日の朝だけあって、下り電車であるのに通学や通勤に利用する乗客で溢れかえっている。


 悠真は紅莉を乗降ドアと挟むようにしてガードしていた。

 紅莉はこれはチャンスとスペースがあるにもかかわらず、悠真の胸元を両手でしっかりと掴んでしがみ付いている。頬をピンク色に染めて、ずっとニヤついていた。



 一方の悠真は、紅莉ほどの余裕は無かった。

 頼れる男子であろうという、小さなプライドだけでどうにか保っている状態だ。


 透影になってからというもの、悠真の体調はみるみるうちに悪化していた。

 疲労感はしっかりあるのだが、ほとんど眠ることができていなかったのだ。


 どうしても、闇が怖い。

 夜が訪れる度に、またあの女がやって来るような気がしてならないのだ。周りが見えなくなるのが嫌で、豆電球にするのさえはばかれる。


 仕方なく勉強用のスタンドライトや防災用のLED灯を部屋中に置いて、ようやく布団に入ることができた。



 ……それでも駄目だった。

 今度はあと数日で死んでしまうというプレッシャーが、何度となく襲ってきた。そもそも、目を数秒瞑っているだけで恐怖心が甦る。


 そのうちに限界がきて、半ば気絶するように夢の中へ落ちる。あの化け物女が裁ち切り鋏を持ってやってくる。

 あの時と同じように身体が動かなくなって、裁ち切り鋏がしゃきり、しゃきりと近付いて――。


 これでは休めるものも休めない。



 そんな精神状態では、食事もロクに喉を通らなかった。

 寝不足と空腹からか、ほんの些細な事でイライラする。スマートフォンが充電されておらず電源が落ちていたとか、気を紛らわせようとランダムで流した音楽が好きな曲順じゃなかったとか、そんなことで理不尽に物に当たるようになった。


 そんな悠真を見た家族は当然、心配してくれていた。それなのに、その優しさに対してもなぜか八つ当たりしてしまった。悠真もすぐに冷静になって謝るのだが、そんな自分が嫌で落ち込んでしまった。


 心が折れ、両親に相談しようかとも思ったが、できなかった。

 母親が昔から大のオカルト嫌いで、少しでもそういった話をするとヒステリーを起こすのだ。テレビの番組でチラとでも映れば、半日は機嫌が悪くなる。


 さすがに息子がこんな状態になっているのだから、話ぐらいは聞いてくれるかもしれないが、絶対にまともには取り合ってくれない。父も優柔不断でとことん人に合わせる人間なので、母の機嫌が優先されてしまうだろう。



 そんなわけで、悠真の唯一の心の安らぎは紅莉しかいなかった。


 もはや彼女の星奈の存在は頭から消え去っていた。むしろ自分がこんな目に遭っているというのに、自分の都合しか考えていない星奈に対して怒りすら覚えていた。


 星奈は今頃、学校の教室で友人たちとくだらない話で盛り上がっているのだろう。

 それか新しい男とのメッセージのやり取りを楽しんでいるのかもしれない。



 悠真は紅莉に聞こえないよう、小さく舌打ちをした。

 お前がそういう考えなら、俺は紅莉のために頑張る。こっちは命を賭けているんだ。


 全部終わったら関係を綺麗サッパリ解消させて、紅莉と付き合う。そうだ。明るいことだってあるじゃないか。無事生き残ったら、紅莉とデートをしよう。彼女となら緊張もせず、手を繋いで歩けるという実績もある。今日みたいに電車に乗って、都内にデートも良いだろう。


 そう考えると、この満員電車も悪くない気がしてきた。

 学校をサボって遠出するなんてドキドキする。氷川市は河口市より少し栄えているし、デートスポットも少しぐらいあるだろう。無くても紅莉となら楽しめるはずだ……。



 そんなことを考えているうちに、女の音声で氷川駅に到着するアナウンスが流れた。



「紅莉……?」

「え? あ、着いちゃったんだ」


 紅莉も何か考え事をしていたのか、まだ俺の服を掴んだままぼうっとしていた。

 もしかしたら同じことを考えていたのかもしれない。少しだけ寂しそうに服から手を放した。


 気付けば俺は自然と――その遠ざかっていく手を握っていた。



 ◇


 氷川駅の改札から出て、西口へと向かう。

 この駅は河口駅に比べて倍以上も大きい。


 電車の種類も多く、新幹線も通っているのだから大きいに決まっている。

 規模に比例して利用者も多く、構内は制服やスーツを着た人たちで溢れかえっていた。


 学校をサボっている手前、警察に補導されないように私服でやってきたのだが、これでは逆に目立ってしまった。まぁ、こればっかりは仕方がないだろう。



 駅構内を仲良く二人で歩いていると、テレビのCMにも出ているワッフル屋の脇を通り過ぎた。

 スイーツが大好きな紅莉が、目を奪われている。じっと見つめたまま、人の流れに逆らうように立ち止まって動かない。



「……食べたいのか?」

「え? えへへ、だって美味しそうじゃない?」


 仕方なく、悠真はワッフルを買ってあげることにした。

 というより、そうでもしなければそこからテコでも動かなさそうだった。



「えへへ、ありがとう悠真君」


 紅莉は自分で払うと言っていたが、ここは少し彼氏面をして支払ってしまった。


 店員からワッフルを受け取ってさっそく紅莉に渡してやる。


 すると、紅莉は「お金持ちのパパみたい」と失礼なことを言ってきた。

 イラっと来た悠真は、彼女の手にあったワッフルに噛み付いてやった。


「……ふぇ?」

「ふふふ。ばーか。あ、美味いなこれ」


 モグモグと咀嚼する悠真の隣りで、紅莉は口を開けてポカンとしていた。そして自分が食べる前にワッフルの半分が消えたことに気が付いた。


「私の……ワッフル……」


 手元のワッフルを見て泣きそうな顔になっている紅莉。

 それを見た犯人は焦った。さすがに泣かせるつもりはなかったのだから、



 結局、悠真はワッフルを新しく買い直す羽目になってしまった。しかも、チョココーティングつきで。



 そうして腹を軽く満たした二人は、目的のビルがある三番街の方へ歩いていく。

 事前にマルコからビルの名前は聞いてある。マップアプリで検索し、場所も把握済みだ。あとはナビに従って行けば辿り着くはずである。



 今日の空は曇天だ。午後からは雨が降るらしい。

 だけど最近はもう暑い日が多かったし、これぐらいの方が涼しくて助かる。

 それに今はデート中だ。握っている手に汗を掻きたくなんてない。


 そう、二人の手はしっかりと握りあったままなのである。

 電車を降りた時から、ここまでずっと。


 改札を通る時やワッフルを食べる間はもちろん、手は繋いでいない。

 しかしその度に、手を繋ぎ直すのだ。悠真からも、紅莉からも。



「星奈にバレたら殺されるかもな……いや、でも向こうだって……」


 悠真は言い訳をしつつも、罪悪感を覚えていた。

 手を繋いでも、恋人繋ぎにはしなかったのはそれが理由だった。



 駅からロータリーに向かい、三番街へと入る。

 ここはアーケード街になっていて、雨の日でも気にせず歩くことができる。


 繁華街というだけあって、居酒屋や風俗店が多い。まだ月曜の朝だというのに、立ち飲み屋には顔を赤黒くした中年が、お猪口ちょこを片手に酒をあおっていた。



 やはりここは、少し治安が悪そうだ。

 通りすがる人の目が、醜い欲にまみれている気がしてならない。


 以前、悠真は友人たちとここへ来たことがあった。その時は確か、カラオケボックスを探していたとかそんな理由だったっけ。その時は放課後だったこともあって、もっと雰囲気が悪かった。スーツを着たホストや、キャバクラの客引きが何人も居たのを覚えている。



「どうしたの、悠真君?」

「え? あ、いや……何でもないよ」


 無意識に護らなきゃ、と思ったのかもしれない。

 つい握る手に力が入ってしまっていた。



「あ~、もしかして悠真君。ここに入ろうとしてた?」

「え?」


 いったいなんのことだ?

 そう思いながら紅莉の視線の先を辿ると、そこには白い建物とピンク色の看板が立っていた。

 少し老朽化はしているが、これはいわゆる恋人たちの愛の巣――ラブホテルだ。



「ち、ちがうよ! そんなわけないじゃん!」

「ホントにぃ? いいよ、私は。悠真君とだったら……」


 ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべ、紅莉は悠真の腕を抱きしめた。

 手とは比べ物にならないほどの紅莉の女性らしい柔らかな感触が伝わってきた。


「ばっ、馬鹿!! ほら、行くぞ!!」



 一見すれば、タイムリミットが迫っているはずの彼らには、無駄な時間だっただろう。

 遊んでいる場合ではないのは、悠真も重々分かっていた。


 それでも敢えてそんな時間を過ごしていたのは、そんなひとえに現実からの逃避だった。

 紅莉は悠真のような焦りや疲れは見せていないが、心の中では不安を感じているに違いない。だからこそ、悠真もそんな彼女に付き合うことにしたのだ。



 しばらく歩いていくと、紅莉はスマホを片手に「あのビルみたい」と呟いた。


 事前に聞いていたビルの名前は『御幸みゆきビル』。

 視界の数メートル先にあるビルにも、同じ名前が書かれた看板が入り口の脇にあった。どうやら迷わずに目的の場所を見付けられたようだ。



 悠真はそのビルを、入り口のある一番下から上まで眺めてみる。

 いち、にぃ、さん……五階建てだ。一階には小さな紫色の看板で『百色眼鏡カレイドスコープ』とある。これはたしか、万華鏡の別名だった気がする。


 バーの上にある階には事務所が入っているのか、特に店の看板はない。

 マルコが表向きは占い専門の会員制バーだと言っていたが……ハッキリ言って、お隣りのビルと見た目はほとんど変わらない。


 建てられて十数年が経っているのか、壁や窓ガラスは雨風で多少汚れている。特別な力で守られているだとか、変なオーラが漂っているだなんてこともない。

 とてもじゃないが、ここが政治家も頼る日本有数の占い師が集まっている場所だとは思えない質素さだ。


 唯一、他のビルと違っているといえば――



「で、どうする? これじゃあ中に入るなんて無理そうじゃないか?」


 御幸ビルが数人の男に包囲されている。それも、紺色の制服に金色のバッジが付いた帽子を被った男たちにである。



「警察かぁ……さすがにこれは予想してなかったかな」


 何か事件があったのだろう。随分と物々しい雰囲気だ。

 ビルの入り口も封鎖されており、ドラマで見るような鑑識っぽい職員が黄色いテープをくぐるようにして出入りしていた。あの様子では関係者以外は入れそうにない。


 こちらは学校をサボっている身分なので、迂闊に近付くこともできない。

 さすがに別件を捜査中の人間が、見た目が高校生の自分達をわざわざ捕まえにくるとは思えないが。



「ねぇ、悠真君。野次馬が結構いるし、そこに混ざれば様子が窺えるかな?」

「止めておいた方がいいんじゃないかな。なんだか揉めてるっぽいし」


 野次馬の中に、動画の配信者らしきマスクをした人物がスマホを使って実況している。それを警察官がうっとおしそうに下がるよう叫んでいるのが聞こえていた。


 何があったかは知りたいが、警察とは揉めたくはない。



 仕方なく、二人は現場のビルから少し離れた喫茶店に移動した。

 何が情報が転がっていないか、スマホを使って手分けして調査することにしたのだ。



「うーん。なるほどね」


 二人でアイスコーヒーを飲みながら調べているうちに、幾つか分かったことがあった。



「これ見てみろよ」


 そういって悠真はスマホを紅莉の目の前に置いた。

 画面に表示されていたのは、一週間前に起きたとある事件のニュース記事だった。



『氷川市で男性殺害。ビル内で意識不明の状態で発見、病院で死亡が確認された。死因は首を絞められたことによる他殺とみられる。犯人とみられる妻は行方不明』

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