♧4 愛の形は人それぞれ
禍星の子、飯田直樹は
なぜなら、彼には風水という占いの才能を生まれ持っていたのだから。
風水を扱う上で、ある有名な本がある。
晋の時代、占術のひとつ、
『気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。古人はこれを聚めて散らせしめず、これを行かせて止るを有らしむ。故にこれを風水と謂う』
要約すると、これは『気は風に乗り、水に留まる』となる。
地理学、天文学、五行説などに精通していた彼はそれらを複合的に踏まえた上で、「気の流れ」と「環境」との関係を研究し、それを本にしたためたのだ。
そして葬書とあるように、元々は弔いに適した地を探すのが目的としていた。
これは風水的に良いと示す場所に死者を葬れば、その子孫に繁栄がもたらされるという当時の思想があったためだ。
直樹は大学で地理を専攻していたこともあり、弔いのプロとも言える
奇しくもその時、彼には弔いたい人が居たのだ。
◇
日々子は次の標的を飯田直樹に決めた。
禍星の子を透影とすることで力を集めていた日々子だったが、彼女の身体にある変化が起きていた。
まず、疲れなくなった。
それは人の肉体から乖離しつつあったのかもしれない。
夫である啓介を絞め殺したあの日以来。帰る場所を捨てた彼女はロクに休まず、本と禍星の子を探しさ迷い歩いていた。
屋内で軟禁状態だった頃の貧弱な体力では、半日歩けばもう半日は動けなくなるほどだったのだが、悠真の影を奪ったあたりから不思議と疲れにくくなった。
彼女は自分の事にあまり関心がない。
しかし、数日眠っていないことには気が付いた。
思えば食事も摂った記憶がない。
目的を果たすこと以外に興味の無かった彼女はこの現象をとても喜んだ。
それに、彼女が扱っている呪術も強力になっていた。
最初は影を奪う程度だったものが、透影となった人間を供物に呪術を行うようになってから格段にできる範囲が増えた。
人の目を誤魔化したり、物体を都合の思うように動かしたりすることが可能になったのだ。
おかげで彼女は誰にも邪魔されることもなく、禍星の子の影を奪えるようになった。
彼女は優秀な鬼でありながら、隠れることに関しても優れていた。
影を集めることに関しては順風満帆だったのだが、彼女は不満を抱いていた。
皮肉にも、それは悠真や紅莉たちとも同じ不満。
本を手に入れられていないのである。
なにしろ、一番の目的が本である。
にもかかわらず、現在所持しているのは呪術の本のみ。そのたった一冊だけだった。
早く全ての本を集め、あの人に捧げたい。
本当は今からでも会いに行きたいが、今の自分では会う資格がない。
だから、一刻も早く。
その一心で彼女は次の本を狙う。
「ふふ……感じる……あの人の欠片が……」
欲求不満な日々子は、確実に本を所持しているであろう人物に会いに行くことにした。
それが飯田直樹だったのだ。
カレイドスコープが所持していた占い師のリスト。これににあった人物は、すでに全て回った。
もちろん、リストに載っていない
啓介が居た、本拠地のビルに出入りしない連中……そいつらは憎たらしいことに、自分の居場所を隠しているのだ。
今の時代、パソコンやスマートフォンがある。
カレイドスコープもネット上のホームページを運営していた。このサイトで予約から占い、支払いまでできるようになっていた。
つまり、直接対面でなくとも、占いはできるのだ。
彼らは禍星の子が狙われやすいこと、そして本の価値を十分に知っている。だからこそ、危ない橋は渡らない。
だが日々子は諦めなかった。
殺した禍星の子が持っていたスマートフォンで、残党を調べたのだ。奴らは横のつながりは大事にしていたようで、助かった。
もちろん、住所は記載されておらず、電話は警戒されるので使わない。
仕方がなく、日々子は自分の足で向かうことにした。
とはいえ、日々子には策があった。
探すのに多少の時間と労力が必要だったが、直樹に関しては確実に居場所を発見できると踏んでいた。理由は簡単。直樹は生粋の風水師であるからだ。
彼女は今、とある霊峰を望むことができる場所に来ていた。
ここはあまり人が訪れない、龍脈と呼ばれるパワースポットだった。
一般的に日本におけるパワースポットとは四神の加護がある。つまり玄武、白虎、青龍、朱雀を象徴するものが東西南北にある場所を指すことが多い。
日々子が訪れているこの場所も、それぞれが表すものに囲まれていた。
山が玄武、白虎は道、青龍は川、朱雀は湖。これ以上なく、風水的に優れている場所なのだ。
交通手段がないため、ここへ来るには徒歩しかなかったが、背に腹は代えられない。唯一良かったのは、ひと気が少ないおかげで、追ってくる警察のことをあまり考えずに済んだことぐらいだろうか。
しばらく歩き続けていると、日々子は少し開けた場所に廃村を見つけた。
人の影は無く、
太陽は頭上の高い位置にある。まだ明るい時間帯だというのに、陰鬱な雰囲気が漂っていた。
木々が風で揺れ、影が良く動く。それが廃村という負のイメージがあるフィールドと混ざり、異形のように見えてくる。まるでノイズのように、チラチラと精神に干渉してくるのだ。
だが、今の日々子にとって影は怖い存在では無い。むしろ味方と言っていいだろう。
一歩一歩確かな足取りで、彼女は村へと踏み入れていく。
夏場ということもあり、日没までは余裕がある。しかし急いだ方が良いだろう。夜目もある程度効くようにはなってはいるが、何しろ探し物は人では無く本だ。
案外、人というのはプレッシャーを掛ければ勝手に尻尾を出す。もちろん、人間には尻尾が無いから出てくるのは、悲鳴とか、血とか……
ともかく、直樹を探し出そう。
アイツがこの廃村に潜んでいるのは確かだ。
あとはどこに居るかだが……
「崩れていない家……」
怪しい場所は、意外にもすぐに見つかった。
一軒だけ、廃屋ではない家があったのだ。それも、新築に近い建物だ。
「土地も風水的にも適している……」
その家は廃村の中でも少し奥まった場所にあり、敷地も十分に広い。
三角の土地や、閉塞的な場所は
さっそく、彼女は家に入ることにした。
チャイムは設置されているが、押さない。
玄関の引き戸に手を伸ばす。……鍵が掛かっていた。
日々子は仕方なく、兎のトートバッグから黒い本を取り出し、ブツブツと何かを呟いた。
黒い手のようなものが鍵穴に伸びていき、変形して侵入していく。
――ガチャリ。
呪術を使ったピッキングは初めてだったが、思ったよりも簡単に開錠できた。
再び引き戸に触れれば、何の抵抗も無くガラガラと開いた。
「~♪」
日々子は神を讃えるハレルヤを鼻で歌いながら、玄関に入ろうと右足を踏み出した。
その瞬間。
日々子の身体が硬直した。
「……?」
その理由は分からず、首を傾げる。
おかしい。あれだけ絶好調だった身体がである。
ただ、誰かに拘束されたとかではない。なにか、直感的なものが自分で自分の身体を引き留めた。
この家の何かに違和感を覚え、これ以上先へと進んではならないと、日々子自身の脳が告げたのだ。
それならば、と大人しく日々子は従った。
身体の調子が良くなってからというもの、自分の直感が間違ったことはない。
他人は信用していないが、自分なら話は別である。
日々子はその理由を思考し始めた。
土地は良い。四神の配置的にも龍脈の中心、龍穴だ。
これ以上ないぐらい、良い場所に家が建てられている。
見た目は二階建ての大きな家。
普通だったら、こんな人里離れた山の中、それも廃村にここまでの家を建てる変わり者はいないだろう。もし居るとすれば、身の安全を最重要視している富豪であるとか、そういった酔狂な人間ぐらいだ。
直樹もその変わり者の中の一人に違いない。
風水を建築業にも活かし、人気のデザイナーとして金を荒稼ぎしたかと思えば、こんな辺鄙な場所に家を建てて引き篭もっているのだから。
問題は、この家の間取りだった。
彼を探し出すため、日々子は風水について学んでいた。だからこそ、この建物が変だと気付くことができた。
日々子は天を仰ぐ。先ほどよりも少し、太陽が傾いてきている。
太陽の位置と今の時刻から、おおよその方角を考えてみた。
「北と……東の間?」
玄関は北と東の間を向いている。
風水では北東の方位を表鬼門、南西の方位を裏鬼門と定めている。
それならば通常、表鬼門には玄関を置かない。鬼や悪い気がそちらの方角からやって来るからだ。
土地選びからここまでこだわっているにもかかわらず、風水の第一人者である直樹がこんな初歩的なミスをするわけがない。
「……生意気な」
日々子は玄関に踏み入れようとしていた右足を引っ込めた。
これ以上は危ない気がする。もしかしたら罠の可能性だってある。
日々子はバッグの中にあったスマートフォンを取り出し、方位を示すアプリを起動させた。
間違いない。
玄関は鬼門を向いている。
「……ふふ」
小癪な真似をされたことに日々子は一瞬怒りを沸騰させたが、すぐに冷静になった。
今すぐ直樹という男の首を食用の鶏のようにくびり殺してやろうかと思ったが、むしろ彼を褒めてやりたくなった。
こうでなくては。
あの本の持ち主ならば、それぐらい力を持っていてもらわないと困る。あの馬鹿な女みたいに、金の為に本を使うなんて以ての外だ。
頭も股も緩い人間はあの方に相応しくない。
……まぁ、いい。
あの方に捧げる糧となったのだから、寛大な心で赦してやらなければ。
日々子は一旦、家の周りを見てみることにした。
家の東側にはガレージがあり、その中には四駆動の車が一台置かれていた。
どうやら日々子がここへやってきた歩道とは別の、ここの住人だけが知る車道があるらしい。
そこから北の方へと歩いていくと、農作業でもしているのか小さな畑があった。畑の隣りには農機具を納める小さな納屋がポツンと立っている。
さらに西へと回ると、そこにはなんと風呂やキッチンといった水回りをするための掘っ立て小屋があった。この小屋だけは非常に簡素な造りをしており、壁が無い。吹きっさらしになっているのだ。
これを見た日々子は腹を抱えて笑っていた。
ギトギトになった髪で顔が隠れていたので、彼女がどんな表情をしていたのかは見えない。だが血と脂で汚れきったワンピースを抱きながら、悲鳴のような笑い声を上げていた。
直樹の風水に対する、徹底的なこだわりようがツボだったらしい。
手をバンバンと叩き、笑い転げている。
気は風に乗り、水に留まる。たしかに水回りは澱んだ気が溜まりやすいだろう。
だからって、わざわざ家の外に造ることはないだろう。それも、風通しが良いように壁を取り払って。
利便性をとことん無視した、このストイックさが日々子は気に入った。
占術とは、あの方に対する愛の形である。術に対する情熱は愛情そのもの。
つまり、直樹はあの方に恋をする同志ということだ。
もっと直樹に会いたくなった。早く会いたい。一緒にあの方の愛を語り合おう。語り尽くした末に、この手で殺してあげたい。あの方を愛しているのなら、絶対に会いたいはずだ。なら私が貴方を連れて行ってあげよう。
すっかり上機嫌となった日々子は我慢ができなくなり、家の窓から侵入することに決めた。ちょうど目の前に、リビングらしき部屋の大きな窓がある。ここにしよう。
ここに罠が仕掛けられていたらアウトだが、知ったことでは無い。
はやく、はやく。貴方の愛を教えて。
庭に落ちていた拳ぐらいの大きさの石を掴むと、それを窓に叩きつけた。
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