第14話 賢く優しく幸せに

 ここは兵庫県小野市の、粟生という町である。北播磨地区の玄関口であり、ここから神戸電鉄が神戸の中心街まで通っているのだが、発展の機会を逃し寂しい雰囲気を放っている。


 そんな粟生では現在、連続殺人事件が発生している。犯人の姿、そして犯行に及んだ理由は明らかにされていないが、既に警察官を含む四人が犠牲になっており、また過去に二人が殺害された小野東高校での事件と関与を疑われており、粟生は現在危険な状態となっている。そんな事件を解決するべく、警察と共に活動している探偵の二人組が、この町に住んでいた……




「よし、今日も一日頑張るか」


 暖かい日が昇り、鳥の鳴き声や風の音が果てしなく広がる朝。探偵の一人である男、赤石純は、パンを咥えながら今日のニュースを確認していた。


 彼の住居は一階が「赤石探偵事務所」となっている。何を隠そう彼の探偵としての仕事場であり、本棚にはホームズ等の小説から辞典、学術書等、一応貰い物ではあるが様々な本が並べられている。このことから、初めてこの事務所に訪れる人は、彼のことを凄腕の探偵だと思うだろう。


 ……しかし残念なことに、彼はそこまで頭が良くない。


「あいてっ! あぶね、ひっくり返すとこだった」


 純は家具に足をぶつけ、渋い顔をした。コーヒーが入っていたカップは机の上に置いていたから大丈夫だったが、もし持っていたら危なかった。


「あー、ついてねえ」


 こんな調子で、少し抜けている所がある。


 困っている人は放っておけず、いざという時は頼りがいのある一面も見せるが、やはり探偵としては今一つ。そういう理由もあってか、彼が「相棒」と出会うまでは、依頼もあまり来なかった。


 純は朝食を食べ終わり、いつものように看板を入り口に立てて始業の準備を進めていた。


「あれ、電話が鳴ってるな」


 その時、部屋に電話の音が鳴り響いた。現在の時刻は九時であり、こんな朝早くから連絡が来るのは珍しい。


「はい、もしもし」


 新たな依頼か、はたまた警察からの連絡かは分からなかったが、純はとりあえず電話に出た。


「あ、もしもし。私、甲南大学の者なんですけど」


 それは、大人しそうな男性の声だった。


「……はい?」


 甲南大学、それは純とは何も関わりも無い場所だった。意外な単語が飛び出してきたので、純は目を丸くした。


「ええと、文化会文学研究会です」


「いや、ちょっと待って下さい。情報量が、情報量が多いです!」


 文化、文学と、他所ではあまり聞かない言葉の羅列に、純は困惑した。というより、大学の部活がどういった用件なのか、電話をかけてきた理由がよく分からない。


「すみません。文学研究会とは、他学校での文芸部のような部活です」


 文芸部というと、小説を書く等の活動をする部活というのが純の認識だった。


「ああ、なるほど」


 純が相槌を打つと、電話の向こうの人物は本題に入り始めた。


「今回このように電話したのは、探偵の赤石さんにインタビューのお願いをしたくて」




 電話があった一時間後、純の相棒が探偵事務所に顔を出した。


「赤石さん、おはようございます」


 彼女の名前は深山紫音で、現在十四歳。神戸から祖母が住んでいる粟生に引っ越してきた際に、純と出会った。


 彼がとある事件に遭遇した際に、推理で見事解決に導いた。そして本人の希望で探偵の仕事を手伝っている。一応助手であるのだが、分析力や知識、推理力は純よりも上である。


 些細な理由で喧嘩することも多いが、互いの長所、欠点を補い合って、二人は探偵として元気に過ごしている。


「おはよう。今日は何と、朝早くから依頼が来たんだ」


 純は早速、笑顔で電話のことについて話した。


「依頼ですか? 何だか、そのような連絡が来るのは久しぶりですね」


 最近は連続殺人事件の解決に回っていたので、誰かから依頼が来るということが久々のような気がした。


「依頼主は甲南大学の三回生、平尾さんという人だ。文学……文芸部に所属していて部員を募集していたが、今年は部員が集まらず、自分たちが卒業してしまうと危ないらしい」


 純は自身が書いたメモを持って、紫音に説明している。


「今年のテーマはミステリー、つまりそれに関することを何らかの形で発表すれば、文芸部の宣伝にもなる。そこで、実際に探偵として活躍している俺たちにインタビューして、それを記事にしたいと」


 つまり文学研究会の平野氏は何か事件があって純たちに依頼をしたわけではなく、純たちと対談・インタビューしたものを記事に書きたいということを電話で話していた。


「俺は良いと思う。この事務所がそこまで有名になっていたのも嬉しいし、このインタビューでさらに有名に……」


「赤石さん、富と名声に目が眩んでますよ」


 純が少し調子に乗り始めていたので、紫音が冷静な表情で止めに入った。


「とはいえ、私も賛成です。有名になりたいという理由ではなくて、純粋にミステリーを研究しているその部活に興味があります。」


 紫音もインタビューについては拒否しなかったので、これから2人のやることは決まった。


「じゃあ行こう、甲南大学に」




 純は身支度をして、事務所を出た。


「悪いな深山、何か突然で」


 純は一緒に歩く紫音の方を向いた。


 彼女は、空いている日は事務所に来て純の仕事を手伝ってくれるのだが、今回は流れで甲南大学に連れていくことになってしまった。


「いえ、全然。今まであまり遠出をすることも無かったので、寧ろ楽しみなぐらいです」


「そうか、それなら良かった」


 二人でそんなことを話していたら、横から声が聞こえてきた。


「ねえ純君、今日はどこか行くの?」


 窓から、誰かが純を呼んでいた。


「真澄さんか。今日は甲南大学から依頼が来た、だから今から行く!」


 依頼というよりは、インタビューのお願いというのが正しいのだが、純は声の主である女性にそう返した。


 彼女は斉藤真澄で、高校時代の純の恋人。現在は事務所の隣に住み、探偵として働く純を支えている。実は高校時代に純が記憶を失ってしまったことがあったが、彼女はそんな彼に優しく接してくれた。そんな経緯があり、純にとって真澄は大切な人だ。


「そう、頑張ってきてね!」


 真澄は二階から手を振って、駅に向かう彼らを見送ってくれた。


「ああ、行ってくる!」


 純もそれに応え、彼女に手を振った。




「おっ、ちょうど発車の五分前だった。タイミング良かったな」


 粟生駅では既に新開地行きの準急が停車しているため、純と紫音は急ぎ目に乗車した。この粟生駅は始発駅のため確実に座れるので快適なのだが、次の電車は一時間後になるため、もし乗り逃してしまうと大変なことになる。


 ドアは一度閉まりかけたが、何かに気付いたように慌てて開いた。


「あー、誰か駆け込みましたね」


「だな」


 先頭車両のため改札付近の様子は分からなかったのだが、無事乗客も入れたようでドアはすぐに閉まった。


「本日は、神戸電鉄をご利用頂きまして、ありがとうございます」


 すっかりお馴染みとなった放送を流しながら、終点である新開地を目指して走り出した。所要時間は一時間と少し長めだ。


「さて、この間に甲南大学について話しましょう。この大学についてはご存知ですよね?」


 紫音が急に聞いてきたため、純は少し考えてから答えた。


「確か、金持ちの人が行く大学とか……」


 紫音は首を横に振り、甲南について説明し始めた。


「以前はそんなイメージを抱いている人もいましたが、今は違います。関西における準難関私大で、他大学にも言えますが以前比で難化しています。甲南大学独自の特色としましては、落ち着いた雰囲気の中規模大学で、生徒数が多い大学特有の賑やかな雰囲気を好まない人でも過ごしやすいです。少人数教育にも対応していまして、多くの企業の社長が甲南を卒業しています。よって就職にも向いています」


 付近の環境は高級な雰囲気を維持しているが、大学自体は良さを残しつつ、更なる進化を遂げている。まさに「無限の可能性」を秘めた大学だろう。


「凄いな。最近じゃ就職に向いてる大学は強いし、私大の中では環境が良い落ち着いた大学は貴重だ」


 純も少し驚いた様子で、大きく頷いた。


 その甲南大学は阪急岡本駅から徒歩十分の所にあり、必要な設備は岡本キャンパスに集約されている。二人は別の依頼で芦屋を訪れたことがあったため、今回の移動に関しても若干慣れている。


「特急が停まるのは便利だよな。近くにJRも通ってるし、遠方からの通学にも最適だ」


「そうですね、アクセスの良さも利点だと思います」


 電車は三木を過ぎ、徐々に新開地に近付いていた。




 新開地から阪急に乗り換え、約一時間三十分で岡本駅に到着した。


「よし、ここから甲南に行くぞ」


 純は地下通路を通り、南改札に向かおうとした。


「ちょっと待って下さい」


 すると、紫音に止められた。彼女は南改札ではなく、目の前にある小さい改札を指差している。


「ここから出ましょう。立派なお家がたくさん建っていますし、大学まで歩くのが楽しそうです」


「そうか、まあ深山がそう言うんなら……」


 紫音が出ようとしている北改札は二台しかなく(粟生も同じなのだが、利用客の多い阪急の駅では珍しい)、住宅街の片隅にあるあまり目立たない改札である。


 南改札と所要時間は変わらないため、今回は比較的静かな北改札から出ることを決断した。


「駅や線路が目の前ですね。鉄道が好きな方にとっては、こちらの風景も素晴らしいと思います」


 二人は改札を出てすぐ左に曲がり、線路に沿う形の道路を歩いていった。自然と鉄道が同化しており、あまり駅前の風景には見えない。


「お、ここも良いな」


 そして、岡本南公園が見えてきた。ここは別名桜守公園といい、春は立派な桜が咲くため多くの人で賑わう。現在は十月に入ったところで、葉が赤く染まり始めている。


「この公園は、小説桜守のモデルとなった邸宅を神戸市が買収し、市民の憩いの場として整備したものです……と書いてるぞ」


「ここも元はお家だったんですね、広い……」


 ここも住宅街の一角にあるのだが、周りの雰囲気に上手く溶け込んでいて綺麗だ。連続殺人事件が解決できれば、このような場所にも遊びに行けるのだろうか。


「どうした、深山?」


 周りから見ると、険しい顔で考え込んでいたのだろうか。隣にいた純が、心配そうに声をかけていた。


「何でもありません。行きましょう、大学に」


 紫音はすぐに正気に戻り、純と共に公園を去った。栄田橋を渡って直進すると、甲南まではほぼ直線の道となっている。




「ここが甲南か。レトロな建物も多いな」


 事務所からは結局二時間程度かかったように思えたが、純と紫音はようやく甲南大学に辿り着いた。


「そうですね、静かで居心地も良さそうです」


 中には歴史のある校舎もあれば、最新の設備を備えた施設もある。創立100周年も迎え、歴史と新しさを両立して甲南は前に進み続ける。


「俺たちが呼ばれているのはi-Commonsという所らしいんだが……どこだ?」


「移動中に調べましたよ。食堂やコンビニ、カフェ、書店がある別館のような場所だそうです。ここではなく、西側にあるみたいですね。」


 正門から北西に進み、二人はi-commonsの前まで歩いた。創立百周年の際に建てられた施設なので、外観や内装にも新しさがある。


 中に入ると、広い吹き抜けが純たちを出迎えた。


「あっちの食堂、人も多くて賑わってますね」


 紫音は目の前にある大きな階段より、生徒が集まる食堂が目に入った。お昼時なのも理由だろうが、座席はグループ向けのテーブル・カウンター共にほぼ全て埋まっている。


「文学研究会の部室はここの三階らしい。階段で行っても良いが、エレベーターの方が分かりやすいだろう」


「了解です」


 エレベーターで三階に上ると、様々な部室が並ぶエリアに着いた。珍しい物と言うと、各部室の壁に黒板が備え付けられており、そこには絵が描かれていたり部活の宣伝が行われている。


「文芸部……無さそうですよ」


「ここでは文学研究会という名称らしい。そういえば、部室は奥まった位置にあるから見つけにくいとか言ってたなあ」


 このエリアで間違いないはずだから、必ずどこかにある。紫音と純はしばらく歩き回って探していたが、紫音の方が先に見つけた。


「赤石さん、この部屋では?」


 明かりは点いているため、少なくとも誰かいるだろう。少し緊張したが、純はドアの前に立った。


「すいません」


 どうやら鍵がかけられている様子だったので、まずはドアをノックする。


「はい……」


 すると電話の時と同じ声が聞こえた後、男子生徒が部屋から出てきた。


「びっくりした、一瞬委員会の人かと」


 委員会、というと部活を管理する団体があるのだろうか。男子生徒は安堵の表情を浮かべた。


「電話の人ですよね? 赤石探偵事務所の赤石と、こちらが深山です」


 二人は部室に招かれた。特別広いわけでもなかったが、純の事務所と同じく本棚があり、ミステリー本やパーティーゲームのようなものも置いてある。


「こんにちは。僕は三回生で文学研究会に所属している平尾です」




「今回は色々とお聞きしたいことがありました、どうぞお座り下さい」


 平尾に促され、純と紫音はソファに腰かけた。


「他の部員は授業を受けている人が多いので、四時三十分辺りで合流します。僕は現在授業が無いので、こちらで軽くインタビューの方を始めていきたいと思います」


「あっ、はい」


 まずは赤石探偵事務所の活動内容と、今までどんな事件と向き合ってきたかを聞かれた。


「最初は、他の依頼で訪れていたマンションで殺人事件が発生したから、それを解決させたかな」


「私が、ですけどね」


 純が、まるで自身が推理したかのように話し始めたため、紫音は訂正を加えた。


「他には保険金目当てで父親を川に突き落として殺してしまった息子がいて、その事件に付き合わされたこともあったな」


 川田製作所の一件は主に芦屋財閥が担当している上、そもそも未解決であったためここでは話さなかった。


「なるほど。ところで赤石さんが住んでいらっしゃる地域って、その……」


 平尾は純たちとの会話でノートをとっていたが、そこで突然小声になった。その態度から純は彼が言いたいことを察した。


「連続殺人事件だね。俺も現場を見たことがあるし、解決すべき事件として今も追っている」


 やはり、この事件についても広まり始めている。どこまで知られているか気になったが、事件の概要については話さないでおこう、と純は考えた。


「まあ、探偵としての活動はこんな感じです」


 紫音は重たい空気を感じ取り、少し無理矢理のような気もしたが話を切り上げた。純の父親に言われたことを、彼女は今でも心配している。


(赤石さんが、あの事件に関係しているのかもしれない。)


 連続殺人事件は、過去に二人が殺害された小野東高校の事件と関係があるかもしれないということになっているが、純は事件当時その高校の生徒だった。彼の父が話していたことによると、純の周りには怪しい人物の影があった。


(いや、ここで無理に考えるのはやめておこう。)


 この事件に関しては、今言及しても意味がない。やはり危険ではあるが、自分一人で解決させるしかないのだろうか。


「分かりました。少し話題が逸れますが、僕らの部活の活動内容についても改めて説明させて頂きます」


 二人が思考を巡らせている間にも、平尾は冷静に話を進めていく。




 そして時刻は三時前になり、それを確認した平尾はゆっくりと立ち上がった。


「ではここで、お二人に問題を出題します。この甲南についてもっと知って頂くためのものです」


 そういって、彼は一枚の紙を手渡してきた。


「これから学校の各エリアを回り、部員の四人からこれと同じ紙を貰ってきて下さい。このi-commonsの中に一人、屋外に三人がいます。まだ授業が実施されている場所もあるので、本校舎の中はエリアに含みません」


 手元にある紙には、表に地下鉄らしき絵が描かれていた。


「裏は……アルファベット?」


 そして、その裏には「A」と書かれている。


「これを何枚か集めて、メッセージを解読するという問題ですか?」


「その通りです。四人の部員には事情を説明しておりますので、お二人がスポットに行けば紙を渡してくれるはずですよ」


 これも授業がすべて終わった後なら人が多くて難しいが、比較的閑散としている時間帯に、どうにか現在授業の無い部員を集めている。


「文学研究会の今年のテーマはミステリー。探偵に謎を出せるなんて、これ以上のことはありません」


「面白いな。じゃあ、まずはこの建物にいる部員を探すか」


 というわけで、まずはi-commonsに一人いるという部員を探すことにした。紫音は少し気になることがあったので平尾に聞いた。


「ヒントはありますか? 何かをキーにして謎を解く方が楽しいですし、適度に問題が楽しめるくらいの」


「うーん……」


 平尾は急に聞かれたので戸惑ったが、考えた末このようなヒントを出した。


「既にお二人はヒントを見ています。迷った時は、原点に戻りましょう」


 ということは、この学校の目立つ所にヒントがあるのだろうか。はっきりとは分からなかったが、紫音は平尾にお辞儀をした。


「ありがとうございます」


 それを見て、平尾も笑顔で微笑んだ。


「文学研究会からのプレゼントです、お楽しみ下さい」


 そして、二人は隠された謎を解きに出発した。




「じゃあ、まずはこの上から見ていくか」


 i-commonsに部員がいるという話だったが、具体的にどこにいるかは分からなかった。ひとまずエレベーターで四階に上り、それらしき人物を探ることにした。


「ここは……書店ですかね」


 四階の奥には書店があり、漫画や旅に関する本・ビジネススキルを磨く本も置いてあり、カフェスペースやカウンターもある。


「ここにはいない……みたいだ。三階はさっきの部室だから、二階を探そう」


「そうですね」


 一応四階の他の設備を確認した上で、西側の階段を利用して降りた。


「ん、これは……?」


 階段は二階で行き止まりになっていたが、そこで紫音は興味深いものを見つけた。大きなうり坊の人形が立っていたのである。


「これって、彦根のキャラクターに似てないか?」


「それは猫でしょう」


 そのキャラクターは兜のようなものを被り、胸のエプロンには「KONAN」と書かれている。


「それは我が甲南大学のキャラクター、なんぼーくんです。広報誌に登場している他、イベント時は等身大で現れることもありますよ」


 後ろから男性の声が聞こえた。純たちが振り向くと、その人は紙を持っていた。


「探偵の方ですね。どうぞ、こちらの紙をお受け取り下さい」


「ありがとうございます」


 その紙には表に尻尾のような絵と、アルファベットの「O」が書かれていた。


(今度は乗り物じゃなくて、尻尾か。)


 紫音は紙を見て考える中、男性が再び話し始めた。


「学生時代は一つの思想に偏ることなく広く勉強せよ。甲南大学は、自由な考え方と学習を尊重しています」


 それを言い終えた後、男性はその場を去った。


「残りの紙も、頑張って集めて下さい」


「はい」


 紫音たち二人は男性を見送った後、紙を探しに外へ出た。残る紙は、あと三枚。




 i-commonsを出て、門をくぐって本館に戻った。


「さて、どこから探す?」


 辺りには様々な建物があり、どこから探せば良いのか迷っていた。


「図書館とかどうでしょうか? 部員の人がいそうな気がします」


 紫音は門から少し入ったところにある図書館を指差した。


「よし、行こうか」


 三階建ての大きめの建物で、立派なエントランスを構えていた。


「あ、あれ部員の人では?」


 そして、そのエントランスに紙を持った女性が立っていた。純たちが歩み寄ると、彼女は二人に気付いた。


「こんにちは、えっと……探偵さん、ですか?」


 女性は少し人見知りなのか、小さな声で二人に聞いた。


「はい、赤石探偵事務所の深山です。紙を頂けますでしょうか?」


 紫音は女性から紙を貰おうとすると、後ろから男性の声が聞こえた。


「おお、こんな所にいたんですか」


 振り向くと、同じく紙を持った男子生徒がいた。


「ちょっと、言われてた場所と違……」


「すまん、楽しそうな雰囲気だったからつい」


 恐らく男性は本来の持ち場を離れ、図書館の方まで来てしまったのだろう。彼は少しばつの悪そうな顔で苦笑した。


「まあいいよ、この紙をあげる」


 先に男性が紙を渡してきた。表にはK、裏には魚の絵が描かれていた。


「これは……カレイか?」


「いえ、ヒラメですね。左向きになっています」


 女性は不満そうな顔をした後、同じく純たちに紙を渡した。


「今のは私が探偵さんにかっこよく紙を渡す場面だったのに、もう……」


 女性が渡してきた絵には表にN、裏に蜂の絵が描かれていた。


「世界に通用する紳士たれ。教育は人間を完成させるためにあり、甲南はそのような教育を掲げて日々努力しています」


 男性がまた、奇妙な言葉を口にした。


「じゃあ私からも。共働互助、甲南生は共に働きともに助け合う、そんな人を目指しています」


 それに続けて、女性も何か格言のようなことを純たちに告げた。


「それ……誰かの言葉ですか?」


 先程から紫音は気になっていたため、部員たちに聞いた。


「この甲南を導いてくれた師の言葉です。これらの言葉があって、今の甲南があるんですよ」


 そういえば以前甲南大学について調べた時、創立者の名前と共に、様々な名言が載っていた気がする。


「紙はあと一枚ですね。この本館のどこかにいるので、探してみて下さい」


 紫音はその創設者の名前が思い出せず複雑な気持ちになったが、部員の二人に別れを告げて歩き出した。


「ありがとうございます、それでは」




「さて、配られた紙を整理しましょう」


 残った部員を探している道中、今まで手に入れた四枚の紙を確認した。アルファベットはA、O、K、N、そして地下鉄と、尻尾、蜂、ヒラメの絵があるが、まだこれらの意味が分かっていない。


「恐らく、次に渡される紙のアルファベットはNだと思います」


「どうしてそう思ったんだ?」


 もしかすると、既に紫音はトリックを解いたのだろうか。純は期待の混じった眼差しで彼女を見つめた。


「甲南大学のアルファベット表記、KONANですよ。なんぼーくんのエプロンにも書かれていました」


 甲南大学のキャラクター、なんぼーくんのエプロンには「KONAN」と書いてあった。思わぬ形であったが、それが謎を解く手がかりになったわけだ。


(なるほど……もし向こうが狙ってやったのなら凄いな。)


 純はあの時の部員の姿を思い浮かべ、小さく頷いた。


「とはいえ、肝心の答えが分かりません。次の紙に有力な手掛かりがあれば良いのですが」


 すると、純と紫音は部員らしき人物を見つけた。小さなグラウンドの前に簡素な観客席(というより、石段?)があり、そこに男性が座っている。


「文学研究会の部員さん……ですか?」


 紫音は無言で座っている男性に声をかけた。


「あ、はい。すみません、少し考え事をしていました。」


 そこで、男性はようやく二人に気付いて顔を上げた。


「小説のアイデアに悩んだなって時に、こうしてゆっくりしているんです。さあ、この紙をお受け取り下さい」


 男性は紙を取り出し、紫音に手渡した。アルファベットは予想通りNで、裏面はロウソクが描かれていた。


(ロウソクか……やっぱりここじゃ分からないから、i-commonsでゆっくり考えようかな。)


 そして、男性はこのように言った。


「常ニ備エヨ。災害や大きな事故は忘れたころにやってくるので、気を緩めずに備えるべきだ、という意味です」


 なるほど、と二人は思った。


 常にそのような厄災に備える心があるからこそ、この甲南大学は百年間生徒を支え続けたのだろう。もちろん、これからも。


「全ての紙が揃ったようですね。謎が解けましたら、i-commonsの部室にお越し下さい」


「分かりました」


 甲南大学で今も語り継がれている大切な教訓を学び、純たちは答えを探すためにi-commonsに戻った。




「戻ったけど……うーん」


 ここはi-commons二階のコンビニ横にある長いベンチ。二人は集めた紙を並べたが、どうにも答えが出てこない。


「まず、KONANの順に並べても二通りあるんですよ。ヒラメ、尻尾、蜂、地下鉄、ロウソクと、ヒラメ、尻尾、ロウソク、地下鉄、蜂のどちらかになると思うのですが」


 Nの紙が二種類ある上にどちらが順番として正しいか明記されていないため、両方の可能性を踏まえて考えないといけない。


 最初はこのことに気付かなかった、意外に難しい問題になっている。


「悪い、ちょっとトイレ行ってきて良いか?」


 純はふと、紫音にそう言った。


「分かりました、ここにいますから」


「ああ」


 彼は南側にあるトイレに向かい、姿が見えなくなった。


「さて、これをどうするか……」


 紫音は五枚の紙に目を移した。できれば諦めることなく、頑張って謎を解きたいところだ。


「ふふっ、紫音ちゃん困ってるの?」


「はい、今ちょっと困っていて……ん?」


 後ろから聞こえた声に、何の違和感も持たずに返答してしまった。


「あれ、斉藤さん!?」


 声の主は数時間前に粟生で見送ったはずの、斉藤真澄だった。彼女は黒いシャツに落ち着いた緑のスカートを穿いており、小さなポーチを持っている。


「どうしてこんな所にいるんですか?」


「ちょっと純君のことが心配になったから、ついてきちゃった」


 紫音は突然のことに困惑していたが、真澄はそんなことに構わず答えた。


「わざわざ甲南にまで……赤石さんのストーカーか何かですか?」


 すると、真澄は慌てて首を横に振った。


「そんなわけないじゃない。もう、紫音ちゃんったら酷い!」


 そして、真澄はベンチに置かれた五枚の紙に目を移した。


「それより、これが分からなくて困ってるんじゃなかったの?」


「ああ、そうでした……」


 紫音はまだ言いたいことがあったが、ひとまず真澄に事情を説明した。


「なるほどね、答えが知りたいけど、そもそもの並べ方が分からなかったのか」


 真澄はしばらく考えて、こう答えた。


「じゃあ、平尾さんって人が出したヒントを頼ってみるのはどうかな? 原点に戻って考える、そして紫音ちゃんはもうヒントを知っている。そうなるとヒントはもうここにあるってことよ」


 真澄が目を向けたのは、i-commonsの吹き抜けに掛けられている大きな赤いポスター。そこには「正志く強く朗らかに」と書かれていた。


「例えば、あれとかね」


「あっ!」


 紫音は気付かなかった。ヒントは謎の原点であるi-commonsの最も目立つところにあったのだ。


「ということは……!」


 その時、純がようやく戻ってきた。


「おーい、深山!」


 真澄は純の声を聞くと、ベンチを立ってその場を離れた。


「じゃあこの辺で。それじゃあね、紫音ちゃん」


 紫音が止める間もなく、真澄はその場を去っていなくなってしまった。


「ん、今誰かと話してた?」


 純は不思議そうな顔をして紫音の方を見つめたが、彼女は真澄が来たことを黙っておいた。


「いえ、別に。それはともかく、この問題の答えが分かったかもしれません」


 今度こそ、本当に解けたのだろうか。純は大きく驚いて、紫音の答えを期待した。


「本当か!? それで、その答えは……」




「お待たせしました、皆さん。」


 そして、純と紫音は部員たちの前に再び現れた。


「おお、謎は解けましたか?」


 三階の部室には、既に平尾以外にも多くの部員が集結している。だが紫音は自身の推理に自信があったため、全く緊張しなかった。


「はい。まず、この紙をKONANの順に並べます。そうすると、ヒラメ、尻尾、蜂、地下鉄、つまりサブウェイと、ロウソクになります」


 紫音は結局、この並びだろうと確信した。なぜなら、これを並び替えると……


「ヒラメのヒラ、尻尾のオ、蜂のハチ、サブウェイのサブ、ロウソクのロウ」


「おおっ!」


 平尾が嬉しそうな声を上げた、つまりこれが正解だろう。紫音はそのまま答えを言った。


「ここから考えられる結論は一つ。正解は、甲南大学創立者の平生鉢三郎さんです!」


「どうして、そう思ったのか聞いても良いですか?」


 平尾が理由を聞いてきたので、紫音はゆっくりと話し始めた。


「あそこに書かれている、正志く強く朗らかにという言葉。そして部員たちが言っていた言葉はどれも、平生さんが遺した言葉なんですよ。それらは甲南大学の指針として、今も学生たちに語り継がれている」


 そう、紫音は平生氏について知っていたのだが、その名前を忘れてしまっていた。結局ヒントが至る所に散りばめられていたことを考えると、答えが分かればそこまで難しい問題でもなかったのだ。


「答えは意外とストレートで……そして、甲南のことが大好きな皆さんだからこそ出せた問題でしたね」


 きっとこのような学生がいる限り、甲南大学と平生氏が遺した言葉が消滅することはない。そんな思いを込めながら、紫音は答えの根拠を語り終えた。




「おめでとうございます。そうです、平生鉢三郎さんが正解です」


 平尾は、そして隣で聞いていた部員たちも拍手をした。


「甲南大学の歴史を受け継ぎ、自分たちの思いも貫いて未来へと進む。それが我々、文学研究会の使命です。」


 そう話す平尾の姿はとても誇らしく、純や紫音は心を突き動かされるようだった。


「謎を解いたお二人に、この言葉を捧げます。正志く、強く、朗らかに」


 彼は紫音が謎を解くために使った言葉を、改めて彼らに贈った。そういえば彼のみ、紙を渡した際に平生氏の言葉を伝えていなかった。


「正義を貫いて、幸せに働く。それが、自らの職務を全うするために大切なことですよ」


 平生氏は悪事を働く者たちに怒りを露わにした。だがそれは陰湿なものではなく、彼は正義を貫いて働くことを「愉快」だと日記で語っていたのだ。もちろん、それは独りよがりなものではない。


「連続殺人事件を解決できるのは、赤石さんと深山さんだけです。ミステリーに憧れる、そのレベルに留まっている私たちにはできません。ですから、不安な時はこの言葉を思い出して下さい」


 彼は甲南大学の文学研究会の一員として、全力で純たちの背中を押してくれた。


「もちろんです。俺たちは、必ず乗り越えてみせます」


 純は前に出て、平尾としっかり握手した。


「ちょっと、今回も私が謎を解いたんですよ……?」


 紫音はまた不服そうな顔をしたが、少し恥ずかしそうに目を逸らしながらこう言った。


「折れませんよ、私たちは」




「この人形可愛いな、ちょっと写真撮ろうっと」


 一方、真澄は楽しそうな顔でなんぼーくんの写真を撮っていた。


「可愛い顔と、かっこいい兜。色んな要素が詰まっていて、愛を感じるわね」


 彼女の服装は、甲南大学にいても違和感を感じない程に綺麗で、輝いていた。


「しかし、この甲南も百周年か。みんなから愛されて、甲南もみんなを愛したからこそここまでの歴史を創り上げたのよね?」


 真澄は上を見上げて言った。それは誰に向けてというものではなかった。


「甲南は立派に続いていくわ。いつまでも、どこまでも」


 十年後も百年後も、きっと甲南大学は学生の道を明るく照らし続けるはずだ。


「さあ、せっかくここまで降りてきたんだし。美味しい海老カツでも食べて帰ろうかな?」


 真澄はどうやら満足したのか、甲南大学を出てどこかへと歩き去った。




 そして、純たちも甲南大学から駅へと向かっていた。


「どうだった、大学は?」


 その帰り道、純は黙ったまま静かに歩いている紫音に話しかけた。


「そうですね。思ったより楽しそうで、みんな優しくて」


 平生氏の言葉から様々なことを学び、これからの自分に何としてでも活かしていく…なんて大層なことは言えないが、少なくとも自分たちが困った時に、少し勇気を出せるようにはなっただろう。


「私は、大学であんなに輝けますかね?」


 紫音は心が弱く、学校でうまくいかずに両親と衝突してしまって、粟生にある祖母の家に行くことになったという過去がある。だからこそ、甲南のあのような生活を夢のように見ていた。


「……それは知らん。お前が立てた目標があるなら、それはこれからのお前が決めるしかないんだよ」


 純の放った「知らん」という言葉は、決して後ろ向きの意味で言ったわけではない。


「誰かが決める人生より、お前自身の手で決めた人生はきっと何よりも強い、百点満点ってやつだ」


 これは紫音の望む、いやそれ以上の答えだった。


「今の言葉、百年後まで残ってくれねえかな」


「馬鹿言わないで下さい。どれだけかっこいいことを言っても、一言多いので〇点ですよ」


 純がいつものようにふざけ始めたので、紫音が笑いながら言葉を返した。


「あっ、今俺のことかっこいいって認めたな?」


「バカ……」


 紫音はほんの少し、純の体に寄り掛かった。真面目に悩んでいた問題が、今ではどうでもよくなってしまった。


「何やってんだよ。歩きづらいんだよ、ばーか」


 純はそんな紫音と共に、岡本駅へ戻っていった。




 続く

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